2024年12月23日月曜日

EP01 旅の始まり


私が最初にインドネシアを訪問したのは、今から30年以上も前の事でした。当時はLCCもなく、マレーシアからインドネシアに行く最安の方法はペナン島からマラッカ海峡を越えて対岸のスマトラ島にあるメダンに入る方法でした。朝9時頃からペナンの港がオープンします。多くの乗客がいるので出入国や税関の検査などで時間がかかりました。航行時間は3時間ほどなのですが、出入国に多くの時間がかかったものです。船内の乗客の中には不法労働者の送還中らしきグループも見受け、彼らは手錠をはめられ警察官の監視のまま乗船しています。スマトラで最大の街メダン郊外にあるベラワン港には、市内への無料送迎バスが待機していました。こうしてメダンの市街に到着したのは、現地時間で夕方5時過ぎでした。その後、この船は数度利用したことがあります。時代の変遷とでもいうのでしょうか。格安で飛行機が飛ぶようになってからは、毎日運航の船は回数が次第に減少し、遂に2011年には姿を消してしまいました。


メダンに到着してから、世界最大のカルデラ湖のある景勝地トバ湖や、西スマトラ州のパダンやブキッテンギを訪問した経験があります。ブキッテンギの安宿で出会ったのがサルマンという青年です。当時彼は、私の泊まった安宿で仕事をしながら高校に通っていました。その直後から、彼への修学支援が始まりました。その後も時々インドネシアの訪問が続きました。Covid19の影響もあり、中断することもしばしばありました。そして今から6年前に日本で仕事をしているテグとの出会いが契機となり、続々と在日インドネシア人が私の家に来るようになりました。昨年は、その友人の一人ギオを尋ねてパレンバンに出かけました。今回は、そうしたインドネシア人達との繋がりを求めてジャワ島を中心に旅をする事になったのです。

今日から旅が始まります。大阪の兄の宅から車で送ってもらい関空に到着したのが8時15分でした。3時間前の7時50分からチェックインが始まったようで。大勢の人が並んでいました。ここで40分ほど待たされ9時過ぎに私の番が回ってきたのです。既にチェックインをしていたし、荷物も機内持ち込みのみでアッという間に手続きが終わり紙の搭乗券に引き換えです。そのあとは駆け足で荷物検査です。昨年は荷物検査に長蛇の列が出来、通過するのに1時間半ほど要したのに比べるとすごく短時間で終了しました。しかしフライトは40分遅れの出発で11時半の離陸になりました。マレーシアの入国カードもDMACとかいうデジタル化したものです。果たしてこのようなデジタル化は有効なのかどうか疑問も残ります。システムに不具合が発生した状況ではどの様に対処するのでしょうか?又、これだけ多くの人々が出入りする時代では、その件数も膨大な数になります。データをチェック検証するシステムも完備しているのでしょうか?最近までは、それぞれの国に入国する場合、出入国カードや税関申告書など手書きの提出書類が義務付けられていました。その場で手書きとなれば、人それぞれで筆跡も違い、係官は目を通しているのでしょうか?その膨大な紙の資料は、検査されることなく、ゴミ箱にどっさり放り投げられた事でしょう。この状況はデジタル化したデータも当然なことながら、適当な早い時期に削除という方向に向かっているのでしょう。

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