2017年4月25日火曜日

ネパールの停電そして選挙

雨が降ると道はぬかるみ
今年に入ってネパールの電力事情は急に良くなりました。過去数十年に渡って、いつも停電を続け、一日18時間の供給しかされないこともしばしばでした。所が事態は急激に変化し、今は停電皆無の状態です。そりや、時々作業停電や、雷雨の時には、天候が回復するまで一時的に供給を停止することがありますが、以前に比べると極めて良好で、過去の状況がまるで嘘のような状態です。深夜でも街灯が煌々としています。夜出歩くには全く不自由は感じません。懐中電灯不要の世界になってしまいました。ある友人は昨年の11月にインバーターに使う蓄電池を新たに購入しましたが、その翌月から停電がなくなり、不要となってしまいました。悲劇様々の状況です。
というのは、矢張り政府の悪徳政策によって、意図的に停電をしたいたようで、これに依って、ソーラーパネルや、インバーターの販売業者は大打撃を受けたのは間違いありません。うすうす気が付いていたのですが、通電中に全部の家庭がインバーターに接続して充電をしていたはずですが、これでもパワーが落ちなかったという事です。という事は、電力が過剰に存在していた証でしょう。電力関係の大臣が変わってから、激変したわけです。様々な情報が交錯する中で、やはり、政府高官は、電気を横流しして、莫大な利益を得ていたことも発覚しました。

2017年4月23日日曜日

ネパールの地方選挙

街頭演説会
ネパールは今地方選挙の真っ最中で、それぞれの政党があちこちで投票を呼び掛けています。さて、これはネパールのみならず、インドの地方選挙でも同じような光景を見るのではないでしょうか?村の選挙は私達が想像するのものとは大きく異なっています。まず第一にお金がかかります。識字率が低いので、選挙とはどういうものか理解できません。日本のように、広報が配布され、個々の候補者の意見が述べられることがあっても、読み書きのできない村人の票を取り込むにはどうすれば良いでしょうか?結局人海戦術、すなわち選挙運動員を雇用しなければなりません。ここで左右されるのは、矢張り資金力という事になります。地域の代表になるには、50人程の運動員を集めなくてはなりません。運動員と言っても、無料奉仕してくれるわけではありません。現在の経済状況では一日あたり700円ほどの費用がかかり、一カ月ほどの期間を契約して個別訪問を行ってもらう事が当然となっています。となると、その費用だけでも100万円を計上しなくてはなりません。他の候補者に乗り換えられると困りますから、

2017年4月20日木曜日

カトマンズの片隅で

古都パタンの王宮広場
先日友人で、ここカトマンズで宿の経営をしているジャガットさんと一緒にある家族を訪問しました。カトマンズ中心地にあるナヤバザールの簡素なアパートにはインドからの家族5人が住んでいます。32歳の夫は近くの縫製工場で一日500円の収入を得ながら、家族を養っています。彼等の出身地はインド・ビハール州のラクソールの村ですが、6歳の男の子が初期の小児麻痺で足が不自由で立ち上がることが出来ません。そんな子供を抱えた家族は、村人から差別を受け、村から出ていくように促されていました。両親からも迷惑がられ、結局村を離れることになりました。9歳の長女は栄養不足で年齢の割に発達が遅れているようで、身長は6歳の次男と変わりません。正常に育ったと思える8歳の長男を伴って、全員5人でインドの首都デリーに向かいました。そこで数か月過ごしたようですが、あまり芳しくありません。ネパールでは、海外出稼ぎ熱が高く、若い人や仕事をする人がいないとの情報を得て、はるばるカトマンズにやってきたそうです。こちらに来て約半年経過しています。足の不自由な息子のために、生活費を節約しながら、検査(費用は約10,000円)も受けました。幸いな事に格別異常はなく物理療法で回復に向かうだろうという診断を得ました。と言っても、療法に通う費用を捻出するのも大変です。こうした、話をどこからともなく、友人のジャガット氏が聞きつけて、何とかできないものかと奔走しています。そんな中に私も参加することになりました。

2017年4月15日土曜日

ネパールのバブル

雨が降るとぬかるみ
ネパールでも、最近は詐欺事件が横行しているようです。とある中級ホテルの隣にATMの装置があります。これが、ホテルの部屋から監視できるように、小さな無線通信付きのカメラを仕込んでいたそうです。それで、暗証番号を盗み見て、カードを偽装して大量の現金を掠め取ったとの事です。いやはやサイバー詐欺はどんどん進化しています。この悪事を働いた外国人はネパールの警察に逮捕されたそうです。
或る事件では、激化する利息競争を利用して、高利で資金を預けるとのタレコミをして、資金を集め、最初の一カ月だけ配当をつけ、その後は雲隠れする金融業者も登場です。お金持ちはそれなりに、高額の資金を預けますから、被害も大きくなってしまいます。中には、ノイローゼにかかる人々も出現しています。結局元金は保証されることもなく、泣き寝入りになってしまいます。こうした事態に備えて政府が取り締まりをするわけでもなく、野放しの状態です。

2017年4月14日金曜日

2001年シトウェ(ラカイン紀行)



この記事は2001年にミャンマーを訪問した際の日誌を再編集したものです

1.     ラカインの話(はじめに)

ンガパリ・ビーチの夕日 2003年撮影
2001年から2002年にかけて再びミャンマーを訪問しました。今回の旅はミャンマー国内でもバングラデッシュと国境を接する西方のラカイン州を中心としたものでした。ミャンマーという国は日本の倍程度の面積があり、東西南北でそれぞれ異なった民族が住んでいます。従来の主要観光コースを外れると異なったミャンマーの素顔を垣間見ることが出来ます。それでは、今回の紀行文をじっくりとお楽しみください。





2017年4月2日日曜日

付録 ビルマ旅行事情


この記事は1998年にミャンマーを訪問した際の日誌を再編集したものです


付録

ビルマ旅行事情

19982
    経路
通常BKKより一番安いフライトはバングラデシュピーマンの便で週一便で毎週火曜
日の午後出発し、夕方の4時頃がヤンゴン到着予定で料金は往復約120US$タイランド通貨
5000バーツ。他にミャンマーエアーエウェイズは、6500Bすなわち150USSで往復こちら
は便数が毎日2往復あります。 また、日本からは、全日空の直行便が関西新空港からあります
が、料金は未確認です、噂によるとおよそ8-9万円、ヤンゴン市内が荒れている時には、5万円程度まで、値下がりするとか? ピーマンの便は遅れる事もあります。ここの機種はエアーバスですから座席数も多く、直前でも余程でない限り席が取れます。一時間のフライトですが機内で軽いスナック類と飲み物があわただしく提供されます。ピーマンの便でBKK-RGN-CCU或いはBKK-RGN-KTMと各地を途中下車しながらのコースも楽しみです。この逆コースは高くなります。尚ヤンゴン到着が遅くなっても心配はいりません。別項に空港から市内へのアクセスを参照して下さい。

2017年4月1日土曜日

13.名勝地



この記事は1998年にミャンマーを訪問した際の日誌を再編集したものです


 13.名勝地

13.1マンダレーヒルと周辺

マンダレーにて2002年
マンダレーヒルのてっぺんにはきれいな寺院があります。参道に当たる部分は屋根付きです。 雨季には雨除けに暑い時には日除けの役割を果たしてくれます。 熱心に信者がお参りしています。 境内には食堂もあり土産物もある巨大コンプレックスとなっています。もう少し閑静な所が良ければ一寸離れてバスで行く事の出来るヤンギン・ヒルへ出かけるのも良いでしょう。この寺院群もマンダレーヒルと同様な造りとなっています。マンダレーヒルのような混雑はありません。マンダレーヒルは3$の入場料が必要ですが、ヤンギン・ヒルは入場料金不要です。どちらも頂上からは肥沃なミャンマーの大地をじっくりと眺める事が出来ます。
他にマンダレーに郊外にはアマラプラのウービン橋という木造の橋がありま。ウービン橋付近の景色は本当にのどかなものです。日本ではどんな田舎に足を踏み入れても大きな広告板や送電塔マイクロウェーブ中継基地等が視野入り込んで耗粋な自然の姿を写真に収めようとするとかなり難しくなっています。ここではただカメラを向けるだけで自然そのものを記録する事ができます。 ウ-ビン付近は

12.4再びミャンマーを考える



この記事は1998年にミャンマーを訪問した際の日誌を再編集したものです


 12.4再びミャンマーを考える

イラワジ川の船着き場にて
現在の方法で半鎖国政策を続けて行くと国際社会の中で孤立化して行く様に思います。 それは望んで孤立化するのではなく、何処の国も相手にしなくなるのではないかという意味も含まれます。 産業の育成や国家の近代化への道を考えるにあたり、時既に遅しに近い響きがあります。 何とか今年はアセアンの仲間に加入する事が出来ました。 今までのスタートの遅れで外国の企業は投資意欲を失いかけています。望むと望まないに拘わらず孤立化への一面も背負いこんでいる気もします。
ミャンマーは確かに自然の環境に恵まれた土地です。 隣のバングラデッシュのようにサイクロンに見舞われる事もなく、ヒマラヤの山岳地帯の様に寒くもなく、タイランドの東北地方(イサーン)のように半乾燥した台地が続く事もありません。フィリピンのような台風銀座でもありません。矢張り宣伝のとおりゴールデンランドと呼ばれるにふさわしい自然環境と資源に恵まれた大地と解釈しても良いのではないでしょうか? 今後これらの資源がどのように利用され、人々の生活はどのように変化していくものでしょか?