2016年2月27日土曜日

アマダプラムの涙

ネパールヒマラヤのエベレスト街道にひときわ目立つ山がそびえています。それは、標高6,857メートルのアマダブラム(母の首飾り)という絶壁を抱えた勇壮な山です。高度な技術を要するこの山に友人は三度挑みました。
友人のシェルパの手記、そして聞き語りをまとめると以下のようになります。全行程はカトマンズを出発してからカトマンズに帰着するまで21日間を必要とします。その中で標高4600メートルのベースキャンプからの行動は14日間に及ぶ登山が標準的なコースとなっているそうです。今回はフランス人のグループを連れての登山です。

2016年2月5日金曜日

ミャンマー考察

ミャンマーは東南アジア諸国の中では最後のフロンティアなどという異名をもった特殊な国の一つです。過去に数度訪問した経験から、この国について考察をしてみたいと思います。最初に訪問したミャンマーは国名がビルマ社会主義共和国という名称の時代がありました。この時期には2度ほど訪問した記憶があります。当時は一週間しか滞在許可が出ず、各地を回るにはあまりにも時間が少なすぎました。大半はラングーン市内をぶらぶらして時間が過ぎて行きました。まさしく半鎖国の状態で、旅行者の数も少なく、交通渋滞という言葉もなく、平和そのものでした。経済規模は極めて貧弱で隣国タイのように、大きなショッピングセンターやデパートがあるわけでもなく、ひっそりし佇まいでした。
しかし、話によると、このラングーンは1960年までは、隣国タイからの外交官が外国製品や高級品の買い出しに往復したそうです。ビルマが独立してからしばらくの間はウー・ヌー政権の下で文民政治が行われていた時代です。その後汚職の蔓延やビルマ人の手による経済の自立などを掲げたネ・ウイン氏による軍事政権が始まり、ビルマ式社会主義を掲げた政治が、始まりました。1988年に国名をミャンマーに変更し、国際社会に目を向けるようになったものの、国際社会から経済封鎖を受け国家経済は思うように進展を見ることができませんでした。ここに、数年前からアジア諸国の中でも経済発展を遂げつつある中国が政治、経済の面で介入を始めたのを契機に、西欧諸国が危機感を持ち、ミャンマーと西欧諸国の駆け引きによって段階的に経済封鎖も解除となり、経済部門で徐々に進展をみるようになりました。これに併せて民主化運動が高まりアウンサン・スーチー女史の率いるNLD(民主主義派の政党)が勢力を伸ばし、いよいよ軍事政権から民政に移管しようとしている事が最近注目を浴びています。