2024年12月23日月曜日

EP06 Andreとその家族

 アンドレは富山でダイハツ自動車の整備工として3年間実習生として勤務していました。満期になって帰国したのが二年前です。久々に彼を訪問することとなりました。ジャカルタからは、サルマンの弟モスリムが近くのビンタロというバス乗り場まで車で送ってくれました。3時間半のVanサービスは高速道路を突っ走って3時間半で終点のスペルティ2というターミナル(ブラヤ・バス・ステーション)に到着したのが11時ごろでした。突然の雨で迎えが遅くなったようです。でもこうした場合に備えて、SNSでのやり取りは極めて便利なものがあります。バイクでのお迎えを期待していたのですが、本人は車をチャーターしての出迎えです。いやはやびっくり驚きました。早速アンペラという有名なお食事処で運転手を含めて3人で昼食です。請求書を見ると、3人で1500円の価格です。現地の有名な店で、丁度お昼ごろになっていたのでお客さんでごった返していました。


昼食を終えてからは、彼が親しくしている日本語学校の訪問です。ここで1時間ほど学生に日本の習慣などについての講義をする羽目になりました。驚いたのは、声が大きく、はきはきと挨拶していることです。皆真剣な面持ちで対峙していました。小雨の降る中幾つかの質問に出くわしました。15人ほどの女性と20人ほどの男性がここで勉強をしています。建物の一部が寄宿舎となり、食事も提供され朝から夜まで熱心に勉強しているようです。日本語は勿論標準語ですが、実際には地方派遣となるケースが多く、日本の方言があるので戸惑う場合もあるでしょう。そういったエピソードを交えて講義は終わりとなりました。その後は、夕方彼の家に到着です。妹はまだ学生で自宅にいます。兄夫婦には、まだ一歳半の娘が一人います。家族全員が嬉しそうに出迎えしてくれました。お兄さんも、義理の姉も日本で仕事をしていたそうで、まだ日本語を覚えています。

愛知県で機械関連の勤務をしていたそうで、兄は製造部門に、義理の姉は検査部門を担当していたようです。兄の方はコロナ発生前に帰国しましたが、義理の姉は、一年遅れの帰国だそうで、コロナの時期は手取り給料が3万円だったそうです。それは、さぞかし厳しかったようです。その後めでたく結婚したようです。兄の横顔はアンドレとそっくりで血筋は争えません。良く見ると体格は小さいけれども、そっくりなのです。夕食は大きな川魚の丸焼きがでました。私の接待のためにどこかで特別に調達してくれたようです。お父さんは仕事が遅くなるようで、夕食には参加できませんでしたが、お母さんそして、78才のおばあちゃんも交えて、盛大な夕食となりました。食後はお兄さんと小一時間ほど話を続けました。次第に日本語の会話量が増えていきます。帰国後は殆ど日本語を話す機会はなかったようですが、話に引き込まれて、会話はどんどん盛り上がっていきました。

当のアンドレは今、通信教育で大学の日本語科で勉強をするかたわら、実習生送り出し機関のガイド役も引き受けています。今晩はジャカルタの空港近くのホテルに向かうそうで、日本人の社長さんの受け入れに追従するそうで、二泊三日の仕事が舞い込んでいます。その合間を縫って日本語学校の先生も引き受けています。大学に入る資金は、年金積立の脱退金を充填したそうで、日々の生活に張り合いをもっています。

家屋はかなり年季が入っていますが、暖かい家族の輪に満ち溢れています。同様な建物が二棟あり、兄夫婦が別棟に住んでいます。といっても向かい合わせで出入り自由です。家から50メートルほど行けば田園風景が広がり、地域のごみ焼却場が設置されています。今日の夜はアンドレの部屋を使用させてもらうことになりました。大きなベッドが置かれ、衣類が整然と積み重ねてあります。お父さんは夜遅く帰ってくるそうで、ゆっくりと安眠をむさぼりました。明日は家族全員と車を借りてピクニックに行く予定となりました。

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