2015年11月4日水曜日

ミャンマー紀行2015(1)始めに

久しぶりにミャンマーを訪問しました。前回のミャンマー訪問が12年前の2003年でした。それより前はほぼ毎年ミャンマーを訪問していたのですが、長い間ご無沙汰していました。巷では、近年ミャンマーは、目覚ましい経済発展を遂げて物価が上昇して宿の確保が難しい等とニュースが流れている日々でした。そんな中で、今回機会があって、いつもの友人3名と共に、憧れの国、微笑みの国ミャンマーに足を踏み入れることになりました。
ミャンマーに最初訪問したのは、1985年頃でした。最初の訪問から30年ほど過ぎました。当時、ネパールへ足を運んだ帰りに、バングラデッシュのダッカ、そしてビルマのヤンゴンそれから、タイのバンコクへと途中下車をしながら立ち寄ったものです。当時の格安航空券はバングラデッシュの飛行機でした。確かカトマンズからバンコクまでは、片道200ドルの料金で二か所の途中降機が可能でした。
最初に訪問したミャンマーは滞在許可が一週間しかなく、洋酒一本とタバコ一カートンを抱えて入国すれば、現地の宿代金と生活費がカバーできるという不思議な時代でした。勿論、この時期は、インドでも、同様にお酒(ジョニーウォーカー赤ラベル)を持ち込むと倍の価格で引き取り手があまたで、30ドルの出資でリターンが30ドル(利益倍層)になった時代です。当時30ドルといえば、インドでは一週間の生活費に充当できる時代でした。インド西北部とパキスタンの国境にある、アムリッツアーという町で宿泊した時は、宿のボーイにせがまれて、私の着ている柄模様のYシャツがお気に召したようで、しつこくせがまれて、販売することになりました。その値段と宿の一泊の料金が同じだったことを記憶しています。又、日本製のライターが人気ある時代で、地元の人々へのお土産として、喜ばれた時代でした。当時流行したソニーのウォークマンやYASHICAのカメラなども、5割ぐらいプレミアムがついて販売できました。まるで、現在では想像できない時代です。このことは、深夜特急にも記載されていないようですが・・・。