2024年12月23日月曜日

EP32 パンチャの墓参

 パンチャの家からバイクで10分ほどの小高い丘(30mぐらい)は共同墓地となっています。自宅からお水と花(花弁)を持参して出発です。4方向から丘に上る道がありますが、その内の一つはバイクでも到達できます。この国では、イスラム教徒は火葬ではなく土葬を基本としていますから、ここには、無数の遺体が眠っています。墓石には生年月日、没年月日が刻みこまれています。そんな中で、お母さんのお墓に到着したら、、ペットボトルの水を掛け花弁を納めています。敬虔な面持ちで墓石に向かってお祈りをしていました。今日は普通の日ですが、イスラム教の大祭の日には、皆お墓を綺麗にしてお祈りをするそうです。こうして一か所の墓地で2箇所のお祈りを済ませた後で、更にもう一つの墓地に向かいました。日本で言えばお盆という感覚なのでしょう。お昼過ぎに家に帰り、他の友人達と談笑が続きます。概してこの国では男性は集まって噂話に熱中していますが、その半面女性は何かしら家事、時には仕事を抱える人もいますからどちらかというと女性の方が働き者という印象です。これは、インドネシアだけではなく、タイやミャンマーなども似たような傾向があります。友人にこの話をすると笑っていました。「男はね、情報収集の為モスクにお祈りに出かけて人と話をするのが必要だよ」

パンチャ家庭は少しばかり奇数なようで全部で5人兄弟ですが、上からの三人のお姉さんとその次の2人の息子は父親が異なるそうですが、本人達は全く気にしていません。財産分与に問題が生じないのか質問すると、私のお父さんは、土地を買っても、自分の名義にしないで子供たちの名義にしてあるから、そういった問題は起きないそうです。それも一つの生活の知恵かもしれません。

日本で働いていた時に母親が3年間に渡る人工透析を続けたにも拘わらずなくなったのが8月、そして4か月後には戦前生まれだったお父さんも亡くなったそうで、日本の会社からは、休暇をもらえず、悲嘆に暮れていたはずです。当時は4番目の兄が実家に戻り、色々と葬儀の采配をふるったそうです。この話は私がこうして現地に来て初めて知った事でした。お父さんは子供たちを大学に通わせるために朝早くから夜遅くまで働いていたそうです。

小さい頃のパンチャは学校が終わると夕方まで農作業のお手伝いをしていたそうで、時には夜中に起きて、田んぼの水張り当番をする暮らしだったそうです。そんな中で周辺の畑にある果物は他人のものであろうが、関係なしで貪り食うのに事欠きません。今でも当時の果物の美味しさを忘れていません。スイカやメロンなどは自由に手に入ったそうで、パパイヤやマンゴー、バナナ等は農村部に行けばどこにでも自生しているに等しいのです。日本のお店で販売されている果物の価格を知るとびっくりします。おかげ様で当方は滞在中毎日マンゴー1個を食べるのが習慣になってしまいました。

 

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