2024年12月23日月曜日

EP60 エピローグ

 こうして、今回の旅インドネシア2024は無事終える事になりました。本当に皆さんお疲れ様でした。お世話になった方々に改めてお礼を申し上げます。今後とも皆さんの為に頑張っていきたいと思います。



EP59 行程表及び地図

 下記に関連したインドネシアの地図及び日程表を記載します。移動総距離はおよそ1500キロに及びました。数値はバイクで回った距離となり、一部区間で列車利用となっていますから、実際の移動距離とは異なります。概算として参照してください。




E58 日本国内での実習生

 私が彼らの世話を始めたのは今から6年以上前の話です。石川県の小松製作所で実習生として勤務していたテグのグループが立山登山を目指して夕方立山駅に到着しました。しかしこの時間では、山に行く交通機関は終了しています。仕事の帰りで、彼らの姿が目にはいり、インドネシア語で話しかけてみました。「今日はどうしようか、この辺りでテントしようか。」と考えていました。幸い私の住んでいるところは目の前ですから、招待することにしました。「お金もいらないから、心配しないで泊まってください。」彼らは当初は半信半疑だったでしょう。自分の家だと思って安心して使ってくださいとの申し出に疑心暗鬼の状態がじわじわと解けていきました。翌朝彼らは元気よく、立山に出かけました。この件がとてもうれしかったのでしょう。その後口コミで次々と山が好きな在インドネシア人の休息所、合宿所と化していきました。

EP57 インドネシアイスラム教徒の日常

彼らの大切にしていることは家族の絆と宗教の二点が日常生活の基本です。そして重要となるのが仕事(収入への道)ということに繋がります。家族との絆は近年普及しているSNSを通じて遠く離れていても容易に繋がることが可能です。日本では、コロナ流行期にビデオ通話などが流行しましたが、出稼ぎインドネシア人にとっては、遠く離れた故郷と直結する大切なツールです。日本在住時は仕事が終わると真っ先にスマホで家族に、恋人に近況報告です。しかも、家族との通話は延々と続きます。

EP56 旅を振り返って

今回は、インドネシアの元実習生の家庭を訪問する旅が続きました。その多くの人々は、様々な経験を積み人生を歩んでいます。インドネシアの旅は今回で10回目になるでしょう。しかしその多くはスマトラ島が中心でした。昨年は元実習生の住んでいるスマトラのパレンバンを訪問しました。今回はジャワ島が中心で多くの友人達の支援で次々とリレー方式で各地を移動することが出来ました。その多くは村から村への移動です。時にはバイクの後ろにのっけてもらい150キロを移動や自家用車で130キロの行程を迎えに来てもらうこともありました。勿論バンドンからジョグジャカルタ、スマランからジャカルタの長距離の移動は列車が中心となりました。

EP55最後の大失態

 今日はモスに空港まで送ってもらう予定になっていました。途中で渋滞があると大変だから、予定より早く出ることになりました。チェックイン開始は午後350分からとなっています。午後1時前に自宅を出発しましたが、少し方向が違うようで、多少心配になりましたが・・・。ところが到着した場所は国内線専用のハリム空港でした。案内所で聞いたら、ここじゃなくてスカルノハッタ空港です。私もモスも勘違いをしていたようです。さて大変な事になりました。時刻は3時です。モスに聞くと「大丈夫、ここから1時間ほどで到着するから」果たして本当に到着できるのでしょうか?とても心配になりました。運転手はどんどん他の車を追い抜いて先へ先へと進んでいきます。しかし区間によって渋滞する箇所もあります。所々に表示版があり、空港まで到着予定は20分などと標識があります。

EP54 次の目的地への準備

 ここで2日ゆっくりさせて頂き、明後日はKULに出発することになります。ジャカルタからのフライトはすんなりとチェックインが出来ました。所がペナンからバンコクのフライトは3回ほど試みてもうまく行きません。この切符は直エアーアジアからの購入ではなく、他のウェブサイトから申し込んで購入しました。私のフライトは確認できるのですが、思うように先に進んでくれません。じっくりとチェックすると電話番号が異なっています。電話番号はどうも申し込みをしたTripコム社のマレーシアの番号のままになっていました。これを編集しなおして、私の日本の携帯電話番号に置き換えると、すいすいと作業が進み無事搭乗券をゲットすることが出来ました。今日はマレーシア入国時に必要なアライバルカードをウェブ上でスマホ入力しなければなりません。今回ほぼ一か月の旅を通じて、スマホがなければ、手も足も出ないという状況を実感しています。インドネシア入国時のMPOX検疫QRコードに取得に始まり、アゴダやブッキングコムでのホテルの手配、友人達とのSNSを通じての連絡、ゴーグルマップを利用しての位置情報の確認など数多くのシーンで役に立っています。今回は元実習生や、インドネシアで世話をし続けて来た友人達の再会など意義深い旅となりました。それぞれの家庭を訪問することが出来、彼らの家族全員から丁重なおもてなしを受ける旅でした。都会の生活、田舎の生活そして、個々の家族の実情など、あまりにも多くの人々の生活を垣間見ることが出来ました。通常の日常生活もしっかりと観察させて頂きました。奇跡を感じるような日々はアッという間に終えようとしています。「インドネシアの皆さん立山へ遊びに来て下さい。仕事の疲れを癒す居心地の良い場所を目指して頑張っていますよ。」通常の観光旅行以上の心のお土産を頂いて感無量の日々でした。

EP53 LRTインドネシア版

今日は朝から雨が降っています。時々晴れ間がありますが、小雨状態が長く続いています。幸いな事に土砂降りは免れていますから、傘をさしながらの行動は可能です。宿のチェックアウトは12時ですから、それまで近郊の散策を予定していましたが、これはキャンセルとなり、ホステルでゆっくりと過ごすことになりました。1145分にチェックアウトを済ませ、街中見学を兼ねて徒歩30分ほどの距離にあるバス停まで出かけました。スディルマン駅近くのバス乗り場かと思い、トランスジャカルタのそれらしき場所で聞いてみたら、更に5分ほど歩いた別の乗り場という事です。ゴーグルマップだけを頼りにしていても、わからない事が沢山あります。ジャカルタの公共交通機関は複雑怪奇な仕組みです。

EP52 ジャカルタ旧市街

 ボゴールの植物園の見学を終えて、一度宿に戻りました。遅い昼食を済ませて時計を見ると4時半です。雨が降る気配もなく、勢いに乗ってジャカルタ旧市街に出かける事にしました。今宿泊している宿近くの国鉄ゴンダンディア駅から電車に乗れば15分ほどの距離です。電車は高架を走り抜け終点のジャカルタ・コタ駅に到着しました。電車を降りるとどこかのお祭りに遭遇したかの様に人人で溢れていました。それもそのはず今日は日曜日でお休みの日ですから、あちこちから人が集まっています。人込みをかきわけて直観的に旧植民地時代の建物の残る地域へと進んでいきます。次第にそれらしき建物が目に入ります。その規模はスマランの建築物の数倍も大きなものがドンと目に飛び込んできます。それはまるでヨーロッパの中世都市に紛れ込んだかのような錯覚に陥りました。ぶらぶらしている間に日が暮れて周囲は薄暗くなってきました。

EP50 コミューター路線初試乗

ジャカルタの公共交通機関を乗りこなすには多少事前準備が必要となります。まず近くのコンビニ(ジャカルタではIndo Maretが多い)で電子マネーのカードを購入し、チャージする必要があります。このカードはジャカルタ以外の交通機関では使えないので本体の27500ルピア(275円)は買い切りという事になります。それから、チャージすることになりますが、駅にもチャージの機械が備えてあります。コンビニでチャージすると、その都度1500ルピアが手数料として差し引かれます。今回はこの電子マネーでゴンダンディア駅からボゴール往復、ジャカルタ・コタ駅往復を利用しました。前者は片道6000ルピア、後者は片道3000ルピアの料金でした。車内にはアイコン付きで多くの注意書きが並んでい
ます。危険物持ち込み禁止、飲食禁止、ちょっと風変りなのは、床に座るのは禁止など日本では見かけない表示があります。車内は極めて清潔で走っている車内でも清掃係りがモップ掛けをしています。警備員も頻繁に巡回しています。この路線では車掌さんは乗っていません。車両は日本で利用されていた国電の塗装を一部塗り替えていますが、乗り心地や振動、音は昔日本で乗った電車と同じ感じでノスタルジアを感じます。

EP51ボゴール植物園

 ボゴールはジャカルタ中心部から60キロ南に位置し、中心部からコミューター路線を利用すると1時間半ほどで行ける手軽な場所です。大きな植物園があり、行楽地として賑わっています。日曜日ですから、大勢の客で賑わっていました。駅から歩いて20分ほどの距離ですから、そんなに遠くはありません。ここは結構大きな駅でオランダの植民地時代の建物も幾つか残っています。駅前付近は屋台が乱立し、路上で食べ物の販売や、お土産の販売などあらゆるものが、様々な形態で並んでいます。普通の日本人の目からすると、あまりの不衛生さで、路上の屋台での食べ物は敬遠することでしょう。洗ってあるのか、どうか定かではない丼でおいしそうに麺をすすっているグループがいます。最近は発砲スチロール製の丼を使う屋台も登場していますが。街中にはあちこちゴミが散乱したままで、歩くにも注意が必要になります。さて、目的地の植物園入り口に到着です。切符販売所はどういうわけか、仮設テントにデジタル機器を配置してQRコード付きの切符を販売しています。料金は25500ルピアですから日本円でざっと250円。

EP49 コンコスホステル


 終点の駅からは、ホステルまでは、スマホ片手でゴーグルマップに頼らざるを得ません。使ってみてびっくりするのは、その精度の良さです。大都会の場合は一方通行の道路だったり、道幅が広すぎて右側を歩けば良いのか、左側をあるけば良いのか良くわかりません。ゴーグルマップによるナビゲーターは、現場で拡大して眺めると、交差点はどこの信号を、どの横断歩道を使えば良いのか、事細かく読み取ることが出来ます。この街は日本の京都のような碁盤の目タイプの道路設計ではなく、縦横斜め曲線カーブとあらゆるものが混ざりあった道路構成ですから、目的地に到着するのは至難の技となります。最終目的のコンコホステルへは、近くに着いたのにまだわかりません。隣のビルの守衛さんに聞くと、わざわざ外に出てきて教えてくれました。主要道路の前が広い駐車場になり、20メートルほど奥まった建物の二階に看板がでています。同様な雑居ビルが5軒ほど並んでいるので、看板を見落としてうろうろしていたわけです。

EP48 スマランからジャカルタへの列車

 今日は朝6時前に目が覚めました。宿泊したホステルは530円と格安のカプセルホテルで駅からも近く便利な場所でしたが、冷房が効きすぎて夜中に寒さを感じてしまいました。チェックアウトの際は、デポジットとした100000ルピア(千円)が領収書とともに4つ折りにされて、引き出しに保管されていたようで、昨日受付をしてくれた方と異なる人の対応でした。これなら担当者が代わっても迷うことはありません。

EP47 スマラン市街

 宿泊したホテルはバス停からも近く、駅から15分ほどの距離にあります。この町は、鉄道駅がそのまま旧市街(オールドタウン)に直結しています。中国人街へも歩いて15分もかかりません。他の町に比べるとコンパクトで観光にも便利な町かもしれません。駅付近に観光地が集中している利便性はメダンやパダンに比べると歩きやすい町なのです。明日の朝は755分発の列車に乗る予定ですから、早速下見に行きました。改札口付近には搭乗券の発見機が設置されています。





EP46 ナナンの実家お世話になりました。

 今日は最後のお別れの日です。朝食、昼食を頂きお昼過ぎに出発する予定です。昨日は念を押して、私はバスで行きたいから近くのバスターミナルまでバイクで送ってもらえば十分ですと約束しました。家族は車で駅近くのホテルまで送ろうと企んでいたようです。


EP45 村の風景それぞれ


 今回の旅を通して様々な村の日々を撮影することができました。それぞれの村の比較を考察したいと思います。

     アンドレの自宅周辺

アンドレの住む家はバンドン市街地に位置していますが、主要道路から外れ、車一台が通れるかどうかの細い道を進んだ終点の手前50メートルほどの場所です。道の終点は行き止まりで、広々とした水田地帯になっていました。終点には、この地域で排出されるゴミ焼却場があるのが印象的でした。ゴミ焼却場といっても、日本のように完全に機械化しているわけではなく、人力でかき集めたゴミは人の手を借りて手動で燃やしているという状況でした。

EP44 家族鉄道博物館と旧市街を見学

昼食を終えて午後1時半過ぎから車をレンタルしてスマラン市内の観光地巡りをすることになりました。アンドレの家でもそうでしたが、インドネシアでは時々家族総出でピクニックに行ったりするのが好きなようです。そんな時は思い切り散財しています。インドネシアでは博物館の入場料金は、彼らの給料から考えると相対的に高額になっています。殆どが最低20000ルピアですから円換算で200円です。この金額だと屋台で2回分の食事がとれます。吉野家の牛丼2杯分と考えると1000円の入場券と置き換わります。お金持ちのインドネシア人にはどうという価格ではないのでしょうが、庶民にとっては高額と言えるでしょう。それでいて内容は意外と貧弱で古い写真に説明を加えたものが並んでいる程度で、学術的な雰囲気は皆無に等しいわけです。今回訪問した鉄道博物館は植民地時代の建築で優雅な雰囲気を味わうことができます。

EP43 子供たち

 ナナンの家には親戚の子供で10歳(小学校4年生)がいます。初めて出会った時は恥ずかしそうにしていましたが、徐々に慣れてきたようで、私の質問にもテキパキと答えるようになりました。二日目の午後昼食が終わってから散歩に出かけると、向かいの家の同年代(学級は一つ下)と一緒に追いかけて来ました。急いでやってきたのか、一足のサンダルを片方ずつ使って片足は裸足の状況です。追いかけて来た子供たちにお願いして小学校まで連れていってもらうことにしました。歩いて10分ほどですが、しっかりと道案内をしてもらいました。夕方になると、その子はバイクに乗ってモスクでお祈りに出かけました。田舎道ですから、自由奔放です。バイクの免許などは無関係で、子供たちが意気揚々とバイクを乗り回している光景は決して日本で見ることはないでしょう。

EP42 移動販売バイク

 第二弾は、ナナンの故郷で活躍している移動販売バイクです。毎朝周辺の家庭を巡回しているおばさんは、イスラム教のスカーフを被り明るく商売に励んでいます。私が散歩から帰った10時頃は、家の前にブルーシートを広げ、その上に野菜が沢山並んでいます。勿論バイクには様々な食品を積み込んでいます。この光景を見ていると日本で、最近流行している移動販売車が重なります。こちらは、バイクでの販売です。日本に比べて通年暖かいのでバイクで荷物を搭載して販売するにはうってつけのパターンとなります。取引は勿論現金決済でエプロンのポケットそのものが財布になっていますから、手づかみでお釣りを渡しています。

EP41 韓国へ出稼ぎ!


 朝8時頃にナナンの家からぶらぶらと村回りの散策に出かけました。村の風景はのんびりとしています。小さなお雑貨屋が数多く乱立しています。幾つかのお店はガソリンスタンドも兼業しています。と言っても手動式のポンプでバイクの給油を行う仕組みです。小規模のお店では、ペットボトルに入れたガソリンの販売も見かけます。ミャンマーやカンボジアでは良く見かける光景です。ここでは、かなり進化して手動式の給油装置が電動式のものに代わった店舗もあるようです。もの珍しげに写真を撮影していると、店主が不審そうにどうして写真をとっているのですかと聞いて来ました。「私は日本から来て、この村の友達の所に泊まっているのだけど。今散歩中でただ写真をとっているだけだよ。」ということで一件落着しました。更にのどかな村の光景を満喫し、帰路は同じ道を歩いたのですが、そのお店の主人に呼び止められました。お水をどうぞとペットボトルの水を差出され、更に店舗にある菓子パンを二袋掴みだして差し入れをしてくれるじゃないですか。無碍に断る理由もなく、30分ほど主人との雑談が始まりました。

EP40 ナナンの家


 お父さんはプロパンガスの販売店をしています。家の前には3キロのガスが充填されたボンベが山積みになっています。建物はかなり古いのですが、私の為に一室を準備していました。古いながらベッド、テレビ、扇風機が配置され休むには十分が場所です。入り口の扉が少しギシギシして傾いていますが、私にとっては全く平気です。

EP39 ナナンの家に到着

パンチャの自家用車で約100キロの道を走ってデマークのナナンの家に到着です。もう、彼らのネットワークはSNSを完全に使いこなしているようで、その連携は凄いものがあります。前回はバイクでロジックの家に到着したのですが、日本に居る彼からもらったゴーグルマップでの家の場所が完全に一致するわけです。今回もナナンが同様な手法で家の位置情報を送ってくれました。それを手がかりにパンチャは上手に行先を定めています。実はパンチャは免許をとって三か月ですから運転はまだ不慣れなのです。しかし奥さんが横に居てナビゲーターの代わりをしてくれます。同時に、パンチャはナナンのお兄さんとは初対面ですが、SNSを通じて始めて知己の関係になり、現在地を逐一報告しながら進んで行きます。時を合わせてナナンの玄関前には家族が待ち構えていました。この様にして次々とバトンタッチがなされていきました。ジャカルタからバンドンそしてジョグジャカルタ、続いて風光明媚なパラカンを経由してソロへ、更にソロからパティへ、パティからスマランのデマークへと旅が続いています。

EP38 ジャワ海の海岸

パンチャの自家用車は朝10時ごろ出発し、30分ほどで三番目の姉妹のお姉さん宅に立ち寄り軽く昼食を頂きました。その後Panatai Karang Jahe(ショウガサンゴ海岸?)へドライブです。今は雨季でしかも平日ですから、殆ど客いなく広大な駐車場には数台の車しか停まっていません。Pati Jakenのパンチャの家から1時間ほど行ったところにあります。雨は降っていませんが、雲が厚く薄暗いので何となく暗い気分になってしまいます。広大な駐車場は閑散とし、多くの海の家(屋台)の多くは閉店です。誰も海で泳いでいません。しかしシーズン中は賑わうのでしょう。動物の形をデザインした浮き輪、アニメの主人公を模倣した浮き輪が多種多様で砂浜の一角に積み上げられていますが、全てロックされている状態です。日本の夏以外の季節に海水浴場に来た感じがします。

EP37 パテの薬局

 奥さんは、パンチャが日本で働いた資金で、ここパテのジヤクン地区で薬局を開業しています。お店の主人ですから、スタッフに仕事を任せて夫のパンチャとあちこち出かけています。そもそも、パンチャが彼女と知り合ったのは、彼の3番目のお姉さんが薬局を開いていて、その時のスタッフだったそうです。縁があって結婚に漕ぎつけたわけです。そのお姉さんですが兄弟の中で3番目ですが商売は順調で毎年海外旅行に出かけているそうです。彼らにとっての海外旅行としてのターゲットはアラビア諸国です。今年はサウジアラビア巡礼とトルコの旅に出かけたとのことです。急速に商売が繁盛したようで、12年前は借家で始めたお店が今は土地を買取り二階建ての豪華な家を持つようになったそうです。支店が6つほどあり、それぞれの支店に3人のスタッフを配置するとなれば総勢20人を超える商売です。更に薬科大のインターン生もスタッフの他に勤務しています。薬屋さんはそんなに儲かるのでしょうか?謎のインドネシアです。私がお店を訪問した時、お客さんがバイクでお店にやってきました。客は膝に外傷を負っているようで、三番目のお姉さんは、症状をチェックしてどうすれば良いのか、どんな薬がいいのか、テキパキと指示をしていました。この国でAPOTEKというのは薬局の意味ですが、薬剤の適切な使用に詳しいので、簡単な病気の

EP36 パティの串焼き一家

 パティのジャクン地区はパンチャの奥さんの故郷で、彼女はここに帰ると活き活きとしています。それもそのはず、親戚がわんさといるわけです。この地区で有名な串焼きのお店は彼女の親戚が運営しています。どうも元祖オリジナルのお店が叔父さんの家だそうで。12年前から商売を始めて6店舗もつようになりました。パンチャの奥さんのお姉さんもモスクの前に串焼きの店舗を構えています。叔父さんは本店の他に5日毎に開催される家畜市場内にも出店しています。お姉さんの家と叔父さんの家の串焼きを双方試してみたのですが、やはり元祖の叔父さんの家のタレに軍配があがります。元祖だけあって、地元の人が入れ替わり立ち代わり、店舗内の飲食、お持ち帰りなどで賑わっていました。叔父さんのお店では一日に平均一頭半のヤギを使用するとかで商売繁盛そのものなのです。

EP34 スコハルジョからパティへ

今日もかなりの距離をドライブしました。田舎道の細い道路を通り抜けながら、今日は奥さんの実家へと向かうことになりました。途中泥噴火の名勝地を経由しての遠回りのコースです。日本でも幾つかあるようですが、ここも特異な地形をしています。平な場所なのに地下から泥が噴火しています。周囲は塩田が行われています。今は雨季ですから製塩作業はしていませんが、乾季になると作業が始まるようです。ここに着いたのがお昼過ぎで、自宅から持参した飲み物、お昼ご飯で休憩です。泥噴火は間欠泉のように、時々音を立てながら噴出を繰り返しています。私も初めて見た光景に愕然としました。危険防止の為100メートル以内に近づくことが出来ないので遠方から眺めるしかありません。もっと近くで観察したかったのですが、行ける場所までいくと、そこから先はロープで立ち入り禁止となっています。観察ポイント最終地点では1キロ200円で塩を販売していました。通常塩田といえば、海岸付近しか思い浮かびませんが、内陸部でも塩田が成り立つわけです。そういえば、岩塩はヒマラヤ奥地で産出されるのですから、納得の行く話です。

EP35 パティの市場

 パティのでは週三回、月木土曜日と市場が開かれます。更に5日毎に家畜市も開かれています。今日は運よく両方の市場が開かれる日でした。パンチャの案内と共に朝見学に出かけることになりました。田舎では都会を除いて毎日市場が開かれるわけではありません。週23日とか、5日ごととかが市場の開催日です。日本では最近見かけなくなりましたが、二七の市とか呼ばれ毎月27の付く日に市場が開かれるというのは良くあることです。しかし最近は近隣にスーパーやココンビニなどが乱立し、日本の市自体は絶滅の危機を向かえているようです。ここインドネシアでも、コンビニの出店が相次ぐ中で、市場の重要性はまだ残っています。卵や新鮮な肉、野菜などが店頭に並び活気を呈しています。

EP33 田舎の空気

 田舎といえども様々なパターンがありますが、ここスコハルジョの場合はそれなりの特色を持っています。周囲が田園に囲まれた地区で、居住区の区割りは広い面積が割り当てられています。一区画が30メートル四方に及んでいますから、どの家にも広い庭、畑も備わり立派な建物も見かけます。周囲は閑散とし、空き家の数も増えています。それは現在の日本同様な現象で都市部への移動が激しく、地域内には、多くの高齢者が住んでいるのみの状況です。

EP32 パンチャの墓参

 パンチャの家からバイクで10分ほどの小高い丘(30mぐらい)は共同墓地となっています。自宅からお水と花(花弁)を持参して出発です。4方向から丘に上る道がありますが、その内の一つはバイクでも到達できます。この国では、イスラム教徒は火葬ではなく土葬を基本としていますから、ここには、無数の遺体が眠っています。墓石には生年月日、没年月日が刻みこまれています。そんな中で、お母さんのお墓に到着したら、、ペットボトルの水を掛け花弁を納めています。敬虔な面持ちで墓石に向かってお祈りをしていました。今日は普通の日ですが、イスラム教の大祭の日には、皆お墓を綺麗にしてお祈りをするそうです。こうして一か所の墓地で2箇所のお祈りを済ませた後で、更にもう一つの墓地に向かいました。日本で言えばお盆という感覚なのでしょう。お昼過ぎに家に帰り、他の友人達と談笑が続きます。概してこの国では男性は集まって噂話に熱中していますが、その半面女性は何かしら家事、時には仕事を抱える人もいますからどちらかというと女性の方が働き者という印象です。これは、インドネシアだけではなく、タイやミャンマーなども似たような傾向があります。友人にこの話をすると笑っていました。「男はね、情報収集の為モスクにお祈りに出かけて人と話をするのが必要だよ」

EP31 朝の散歩カンポンライフ 

朝起きてから30分ほど周囲の散策をするのですが、村の生活は近所の人々がお互いに顔見知りで皆にこやかに挨拶をし合っています。日本の都会のタワマンだと、隣に住人とのコンタクトが一切遮断されているのが常ですが、これこそが村の生活です。ずっと昔、今から数十年前にバングラデッシュの友人宅を訪問した時、スリランカの友人に連れられて彼の村を訪問した時・・・。周囲の人々はお互いにどこの誰なのかじゅうじゅう承知しているのが当たり前の世界でした。今回も同様な経験を得ることになりました。数日前に訪問したアリの家でも地域全体の住人がお互いを知り尽くしていました。散歩の途中で小学校の前で文房具屋を開いているインドネシア人は、今から10年ほど前に技能実習生として日本に出稼ぎにいったそうです。今でも日本語を忘れないようにユーチューブやアニメなどを利用して練習をしているそうです。村の小さな児童公園の散策を終えて帰る際に路上でとある夫人に会いました。彼女は日本語がすごく達者で流暢な発音で話をしてくれます。8年ほど前に三年間日本の足利市のプラスチック工場で仕事をしていたとの事で、今はこちらで日本語の先生をしています。科の情の説明によれば、実習生はまずLPKという語学学校兼研修センターで数か月訓練を受け、送り出し機関を通じて日本に出稼ぎに行く方式になっているそうです。LPKでの費用は毎月45万円で授業料、寄宿舎、食事がついています。一定のレベルに達すると送り出し機関を通じて日本の会社からの面接があり、合格すれば日本に派遣されるそうです。この費用は最低24万円から50万円ほどと開きが大きいようです。今でも日本への出稼ぎへの需要が高まっているそうです。

EP30 パンチャの生家 スコハルジョ

彼の家には、お姉さんと奥さんそして本人の三人が住んでいます。車は奥さんのものだそうで、仲睦まじく三人でマゲランまで迎えに来てくれました。今から3時間ほどかかりますという話は4時間以上かかったわけです。昨夜は暗くて家の様子が良くわからなかったのですが、夜があけて周囲が明るくなるとその姿は異なっています。大きな家が3棟あり、30年前に建てた叔父さんの家は、本人がジャカルタに家を構えているので、ここへは、たまにしか戻ってこないそうで、現在空き家状態です。そんなわけで、昨夜はここで投宿となりました。基本的な設備は全部そろっていますから、私にとっては、何の不自由もありません。しかも広い家は貸し切り状態です。強いて言えば、お化けがでそうな広さで人の住む気配は殆どありません。パンチャがいつも住んでいる別棟からマットレスと枕、敷布、かけ布団を持ち運んでセット終了です。雰囲気からすれば、豪農の旧家という雰囲気です。この地区では、多くの人々がジャカルタに家を構えてそちらに移住しているパターンを幾つも散見しました。この家も空き家、この家も空き家という現象で、以前二つあった小学校は一つが廃校になり、もう一つしか残っていません。彼の家の敷地内にはマンゴーやバナナの木そして多くの花が賑やかに咲き誇っています。今の所パンチャは無職ですが、全く気にしていません。

EP29 パンチャの家に直行

 車がマゲランのモスクを出発したのが3時過ぎです。車は奥さんの車で新品とかで冷房もしっかり効いています。窓の開閉も爽やかです。この国では自家用車の移動よりもバイクでの移動が明らかに早く到着することができるようです。車は渋滞に巻き込まれ、細い道だと速度が出せません。高速道路を突っ走るのなら自家用車の方が早いのですが、市街の走行は圧倒的に小回りの効くバイクが有利です。交差点にはバイク専用の停車区域が優先して、車両はバイクの次の区域で待つことになっています。6時過ぎに日没ですから、タイミングを見極めてお祈りタイムで、近くの有名なモスクで15分ほど休憩しました。当のパンチャはお祈りタイムです。



EP28 友人のジュース屋さん

 

テグはここモスクの近くにある露店に友人を持っています。今日は金曜日でお店は凄く賑わっています。次々とお客さんが持ち帰りをしています。通常は6時半ごろ開店しますが、今日は金曜日礼拝の日です。そんなわけで10時開店で2時閉店となりました。その4時間で300杯の売り上げがあったそうで、効率は極めて両行です。客単価は15000ルピアですから、ざっと150円です。これに300を掛けると45000円となるわけです。利益率30%としても15000円以上の儲けとなりますから、この国では儲かる商売と言えるでしょう。日本でも屋台でこれだけの売り上げがあれば上出来の方でしょう。ちなみに場所代金は一日10500ルピア(105円)を払うだけで良いそうです。その代わり家で作ったゼリーやトッピングの材料などをバイクの後ろで引く荷物用三輪車に乗せて運んでいました。荷物用三輪車にはテント一式、食材、保冷ボックスに入れたアイスクリーム、掃除道具、包装資材、洗浄用とバケツ一杯の水を弟と妹と本人の3人がかりで自宅から運んで、この場所で兄弟力を合わせてテキパキと仕事をしています。自宅は20キロ離れている所にあるそうで、ここまでの所要時間はバイクで約2時間の距離にあります。弟は外国のお札に興味があるようで、私の持っている各国の紙幣を目にして大喜びをしていました。わずか2時間ほどの顔合わせでしたが、最初も最後も丁重な挨拶をうけ感激です。弟はスマホの通訳アプリで、「ここへ来てくださって有難うございます。」と画面を見せてくれました。午後仕事が終わってからは、テグの案内でボロブドールやその付近の山を見に行く予定だそうです。2時半を過ぎてパンチャが奥さんとお姉さんを連れて登場しました。90キロの距離を遠方から私を引き取りに来ました。

EP27 マゲランでバトンタッチ

 今日は朝8時にテグのアパートを出発しました。事前に連絡を取り合っていたパンチャの家に移動するのが手配済みです。待ち合わせはマゲランのモスク付近が目印となっています。アパートを出発して3日前の夜に通過した街並みが何となく呼び起されてきます。夜と昼の光景は、どの世界でも同じでその表情は大きく異なるのが常です。夜の走行はとても長く感じますが、日中は比較的短時間に、即ち体感速度が違うことにつながります。およそ50キロの行程ですが、道草をしながら、撮影ポイントを見極めながら進みますから、目的地に到着したのは11時半過ぎになりました。

EP26 ロジック家訪問

 ロジックと出会ったのは今から2年半前になります。彼ら9人のグループは日本では同じ監理団体に所属し、新庄田中町にあるアンドレの住む同じアパートの一室に一か月の事前訓練を受けていました。一か月の間は手当として3万円支給されていたそうです。物価高の日本では3万円では食べていくのには精一杯です。その3万円の中からアパート代と電気代を割り勘で払うとすれば、どこかへ出かけるのも大変です。インドネシアから予備として持参しているのなら別ですが、その可能性は低いでしょう。こうした実情を背景に先輩のアンドレ経由で皆さんの食材購入費用として1万円を渡した記憶があります。そのグループ内の一人がロジックでした。今も富山県の舟橋村の建設作業員として働いています。彼のフェースブックには田園風景の中で農園らしき場所で作業をしている姿がありました。それが、昨日訪問した場所に良く似ています。もしかして?と同じ会社で仕事をしているアンマに現在地を知らせると、「ロジックの家はとても近いんだよ。ロジックと連絡してみたら?」ということで早速連絡をとりました。夕方遅くなって返事が来たのです。彼に早速実家の位置情報を送ってもらい。それをテグに連絡して出かけることになったのです。この地域は火山噴火の名残を留め、火山灰が肥沃な土地を提供しているようで、特にたばこの葉の栽培がメインです。それに混じって唐辛子や豆類キャベツなども栽培されています。

EP25 バンサリ公園

テグのアパートからバイクで30分ほど急な坂道を上っていくとバナサリという公園があります。ここがシンドロ山の登り口になっている場所で、景勝地の一つです。小ぎれいに整備された公園は平日なので人影もまばらです。大きな公園から更に徒歩で20分ほど登った所に無料休憩所がありベース・キャンプと記載した看板が上がっていました。周辺は葉タバコの栽培が盛んで時々農家の人が作業にいそしんでいます。こうした場所まで軽トラックやバイクが走っています。マゲランの北に位置するパカランは街の東側にシンドロ山、西側にメルバブ山が聳える風光明媚な土地で撮影ポイントは数多くあり、テグは時間があればこの地域をバイクで走り回って絶景ポイントを知り尽くしています。そのなかの一つがバンサリ公園です。公園そのものは、見晴らしの良い場所にあり、シンドロ山への登山口にも当たります。この公園から15分ほど登った場

EP24 シンドロ山とメルバブ山ドライブ

 

20分ほど走行するとパラカンという町の郊外に入ります。主要道路から外れると田園風景が広がっています。そんな中を見晴らしの良い場所を探し出して停車してくれます、しかも撮影し終わった画像は即ラインアプリで私が受け取ることができます。30年前のインドネシアの旅では信じられない事象です。更に受け取った画像を利用してSNSやブログで最新記事として配信することも可能です。私がデジタルカメラを使い始めたのは今から1996年ごろですから28年前となります。当時のデジカメはカシオの35万画素の極めて仕様の低いものでしたが、今でも当時の画像はGoogle Photoに保管しています。最近のスマホは5000万画像など高性能でその仕上がりは格段の開きがあります。このパラカンという町は左右に単独峰が聳える町で抜群の光景を楽しむことが出来るのです。走行距離50キロを今日も終わりました。午後はゆっくりと休息いや、今日の一日のまとめ作業に専念です。

EP23 テグの独身生活

7時過ぎからおよそ2時間バイクで周辺の眺めの良い場所に連れて行ってもらう。景色の良い場所なのです。左シンドロ山に右にメルバブ山が見えています。景色の良い場所からほど遠くない所で独身のテグは一人暮らしです。ここは、景色の良い場所で標高700メートルほどあるので暑くはなく、気候も温暖と見えてここに3か月前からアパートを借りているそうです。アパートと言っても、部屋にマットレスが敷いてあるだけの簡素なものです。電気ポットと小型の炊飯器、そして電熱器の三点が家財道具という感じで、室内はがらんとしています。勿論トイレ、炊事場は共同です。しかし彼も2か月後の1月には結婚するとのこと。インドネシア人で東京のホテルで働いている恋人があと1週間ほどで帰国するそうで、何かと準備がありそうなのですが、当の本人は性格上からものほほんと待ち構えています。そんな彼は、この地域の事を良くしっています。どこが撮影ポイントなのかを良く見極めて、バイクでの一周の合間に絶景の撮影ポイントで停車してくれます。ときどき「おとうさん、どこにいる」と姿を見かけなくなると大声で呼び声がかかって来ます。多少ぶっきらぼうな性格ですが、日本で出会ったことが、その後何度となく私の所にやってきたことを感謝しているようです。

EP22 バイクでジョグジャカルタ郊外ケラテンからパラカンへ

今日はアリさんの家を出発して、終日バイクの旅が始まります。朝はスマホのアラームで7時に目が覚めました。アリの家では奥さんが朝食の準備をし、早々に近くの勤務先にでかけましたが旦那のアリは私達と談笑しています。昨日彼は終日私達と付き合ってくれました。日本から帰って以前の車から乗り換えをして全部で8人乗れるというイスズのパンサーを使っています。これが典型的なインドネシアスタイルなのでしょう。大家族全員が乗れて、どこへでも移動できる重宝さがあります。中古車ですが、彼にとっては宝物に違いありません。

EP21アリの副業はキクラゲ栽培

アリはバイク修理の仕事の他にキクラゲ栽培の事業も始めています。どうも本人はスマホで色々と検索を行い動画などの情報でノウハウを蓄積しているそうです。古い建物の一部を利用したキクラゲ栽培工場です。熱帯性気候で一年中高温多湿なのでキノコ栽培に適しているのでしょう。薄暗い部屋にはキクラゲの菌の入ったプラスチックの円筒状のものが沢山並んでいます。乾季には毎日水やりが必要とのことで、今は雨季なのですが、生育状況をみながら散水しています。出来た製品は、そのまま出荷したり、乾燥キクラゲとして販売しています。斜め向かいに住んでいる友人は平茸の栽培農家です。彼の好意で平茸栽培を見学させてもらいました。アリの栽培場は建物の4分の一ほどを占めたキクラゲ棚が並ぶのに対して、友人の平茸栽培場は建物全体にびっしりと上から下まで菌床が並んでいました。みんなそれぞれ知恵を絞って収入の道を探っているようです。

EP20 ソロへのドライブ

今朝は9時出発でソロに向かいました。方角がどうも違うなと不信に思っていると15分ほどしてから自動車修理工場に向かいACを直してもらう。この店で3日前に修理してもらったけど、また稼働しなくなったとの事で出発前に整備してもらうことにしたようです。待つこと30分、修理を終えてソロ方面に向かいました。距離的には近いのですが、何しろ中古車なもんですから、スイスイというわけには行きません。勢いの良い音がしているのですが、以外と速度は上がっていません。最初に向かったのは、この地域で有名な回教寺院です。中近東の王様から寄贈を受けたそうで、外観、内装ともにアラビア風の建築です。入場料金は無料ですが、飛行機に乗る時と同じように荷物検査と身体検査があります。注意して見るとボデーチェックのスキャンを通過するときに金属物やライターを所持していると警告

EP19 移動販売車

日本では買い物難民の問題が大きく取り上げられ移動販売車が活躍を始めています。しかしここでは、バイクによる移動販売が主流です。朝8時頃になるとバイクの左右両側にどっしりと荷物を積んだ棚が後部座席に陣取っています。お菓子から野菜、観物、肉、卵などあらゆる食材が少量ずつ小さな棚に並んでいます。お母さんはこれらの商品を吟味しながら、数点の品物を満足そうに買っています。話を聞くと価格もさほど高くもなく、家の前まで来てくれるのでありがたがっています。





EP18 アリとその家族

アリの家に着いて早速両親を紹介されました。今から20年ほど前に整備された日本で言えば新興住宅地の一角にあります。敷地内は碁盤の目のように道路が走り、新旧の家が立ち並んでいます。30から40メートル四方の土地が区画される中にアリの新築の家は半分未完成の状態です。他に古い建物も壊さずに両親夫婦と弟が暮らしています。更にもう一棟は昔、牛小屋だったそうですが、今はキノコ栽培を始めています。アリとお父さんはバイク修理屋も営んでいますから、地元の人々からの修理依頼が続いているようで、ガレージには6台ほど整備を待っています。五か月前に日本から帰国したばかりのアリです。お母さんは到着時に顔を併せて挨拶したものの、再度アリの新居にやってきて「息子が日本にいる時は、大変お世話になったそうで、本当に有難うございました。」と至極丁重な挨拶を受けました。私も凄く恐縮してしまいました。

EP17 プランバナン郊外の料亭

その後は近くの有名なレストランで遅い昼食の時間です。これはオメンさんが全額支払ったようです。彼は観光ガイドをしているそうで収入も悪くはないようです。米国製のセダン車を乗り回しています。エアコンもしっかりと効く新車です。他方アリの車は大き目のSUVでかなり年季がはいり、窓も開くようで、開かないようで、エアコンも今は故障中です。アリは久しぶりの対面で物凄く嬉しい表情を示してくれます。奥さんも一緒に姿を見せ幸せそうです。奥さんとは初めて会うのですが、以前アリのアパートに出かけた時に当時の恋人だった彼女とチャットしている時に私が割り込んで挨拶をしたことがあります。奥さんは時々アルバイトで高級ホテルに行き、ご婦人方のメークアップ係りとしてアルバイトで時々仕事をしているそうです。朝彼に連絡してみると、「早朝3時からメークアップしていて、時間がかかりそう。」と連絡が入りました。メークアップに3時間も4時間もかけている奥さんとは、どんな方なのか不思議に感じていました。彼女が美容関係の仕事で、顧客のメークアップに時間がかかるということで謎が解けたのです。

EP16 朝のジョグジャカルタ

朝私としては定時の7時に起床し、近くの下町を散策しました。昨夜の賑わいに比べるとものすごく閑散としています。でも今日は日曜日ですから、午後から町は賑わって来るのでしょう。無料の朝食を済ませて午前中はテグのバイクに乗って市内散策です。王宮に入る予定が現在修復中とかで残念なことに入ることはできなかった代わりに、別の小さな馬車の博物館を回ることにしました。入場券は日本では、病院で使用されていると同様なバーコード方式で手首に巻きつける形式となっています。

EP15 夜のマリオボッロ通り

 さて、今日は私が予約したホテルに泊まることにして、テグのバイクで宿をめがけて出かけたのですが、私の手違いで支払いが済んでいないとの事で断られてしまいました。確かめると事前支払い要となっていたのです。それを宿でチェックインの際に支払えば良いと勘違いをしていました。急遽直ぐ近くにあるホステルに向かい宿泊することになりました。この宿はユニークで二段ベッドの相部屋形式ですが、簡単な夕食と朝食がついています。コーヒーやお茶も飲み放題で水の補給も無料でした。早速軽い夕食を済ませてオメンと合流です。繁華街のマリオボッロ通りは、歩いて15分ほどの距離ですから、そんなに遠くはありません。あまりの人込みの大きさで落ち合う場所を探すのに、お互いに10分ほどかかりました。オメンは奥さんと小学生の娘と三人でやってきました。

EP14 列車でバンドンからジョグジャカルタへ

今朝は約束通り8時半に駅でクルニアワンと待ち合わせをしました。モダンな設備の駅で、事前に購入した切符のバーコードを搭乗券に切り替える必要があります。この搭乗券の発券は出発の2時間前からQRコードが出されるという仕組みで。駅構内には支払い済みの2次元バーコードをかざすことで、QRコードをプリントアウトするマシンが備わっています。