メダンのショッピングモール |
2017年12月11日月曜日
スマトラ紀行(30) さようならインドネシア
2017年12月10日日曜日
スマトラ紀行(29)さようならブキッテンギ
パダンとメダンを結ぶ長距離バス |
2017年12月6日水曜日
スマトラ紀行(28) ブキッテンギ
名所時計台 |
散歩の途中で小学生が校庭でブラスバンドの練習をしていたのを見かけました。校庭は道路より低い場所にあるので、上から観察することになりますから、はっきりとわかります。そんな中であれっと思うのは、教師の80%が女性という事です。この州では当たり前の事なのかもしれません。先生はイスラム教徒ですから、スカーフをしっかりと被り、声たからかに生徒達を引き回しています。猛者女教師という印象です。
スマトラ紀行(27) 末っ子ヤント
右がヤントとその息子 |
これで、心身ともにリフレッシュです。今日は、この町に住む兄や弟の家を訪問です。弟とは、何度かあったことがあります。最初出会ったのは、サルマンが高校生の時で、末っ子のヤントは10歳の小学生でした。当時の写真がでてきましたので、掲載しましょう。
左がムスリム右がヤント |
こうして、彼らとの交流が延々と続いている次第です。よく観察してみると、兄弟は皆んな似たような性格をしています。基本的には真面目で素直です。一番の出世頭が、三番目の息子モスリムです。彼は若い頃から首都ジャカルタで衣料の販売をして成功したようで、今は車も持って副業もしているそうです。歳終えた母親を引き取ってジャカルタで一緒に過ごしているそうです。今後もこの家族を見守っていきたいものと考えています。
2017年12月5日火曜日
スマトラ紀行(26) サルマンの家
マウンテンバイク! |
スマトラ紀行(25) 朝のドライブ
牛力でサトウキビを絞る |
https://adventures.garmin.com/en-US/by/hoshiba/candung-bike-tour
(上記のサイトで地図を画像が閲覧出来ます。)
クです。さて、このバイクの後ろに乗り込むのですが、田舎ですから、ヘルメットも関係ありません。まさしく、旦那は典型的な農民タイプで大柄な体で、気持ちもおおらかです。言葉が通じないままも、何やかやと話かけて来ます。火山の斜面に開けた小さな村ですから、格別見るものは、ないのですが、のどかな田園風景がしっかりと心に刻み込まれ
2017年12月4日月曜日
スマトラ紀行(24) チャンドン村へ
チャンドン村の家族と一緒に! |
スマトラ紀行(23) 最終日
観光名所! |
「今からドライブにいきませんか?今日は私は時間があいていますから!」そんなわけで、午前中から学校を抜け出して旦那さんが運転する自家用車で30キロほど離れた名所へドライブです。いやはや、優雅なものです。アストゥティ女史とは、もうこれで一週間になりますから、お互いに知己の中ですから、遠慮も何も不要です。
名所巡りに出かけました。見どころその第一番は、近代的なハイウェイです。山間部を走る道路ですが、立派な橋桁が螺旋状に出来上がり勾配を挙げて行きます。片隅には、旧道らしき曲がりくねった道も見えます。日本では良く見かけますが、インドネシアでは画期的な橋で、彼らが自慢したがるのも無理はありません。もう、坂道での渋滞やエンジンを唸らせる必要もなく、スイスイと高度を上げていきます。峠らしき場所は撮影ポイントになっていますから、家族連れやカップルが駐車して、記念撮影をしています。私達も仲間入りです。
2017年12月3日日曜日
スマトラ紀行(22) 田園でのイベント
頭の上に載せて |
2017年12月2日土曜日
スマトラ紀行(21) 竹祭り
スマトラ紀行(20) 忙しい日々
竹祭り会場の展示物 |
2017年12月1日金曜日
スマトラ紀行(18) 屋外授業
2017年11月28日火曜日
スマトラ紀行(17)パヤクンブ工科大学
大学前にある学生募集の看板 |
2017年11月27日月曜日
スマトラ紀行(16) 授業開始第一日目
記念撮影 |
2017年11月26日日曜日
スマトラ紀行(15)パヤクンブ
パヤクンブ散策 |
拡大して地図と画像を閲覧する。
舎町をブラブラと散歩してみました。郵便局は立派なミナン建築で天にそびえるかのような放物線状の屋根が見事です。既存の郵便局や政府庁舎などは、こうした建築様式を保っています。最近はセメント作りですが、デザインは伝統様式をしっかりと保っています。今でも町には馬車が走り主要な交通機関となっています。しかし、最近はどの家庭でもバイクが必需品となり、これが重要な交通機関となり、以前走っていた市内循環の乗り合い
スマトラ紀行(14) 再びパヤクンブへ
竹祭り開会式 |
2017年11月25日土曜日
スマトラ紀行(13)ファーリ少年
ファーリ少年の事
このクリーニング店は、三人の従業員を抱えています。一人はこの地方の田舎の娘でジャカルタで働いた事もあるという女性、そしてもう一人は、この建物と同じブロックに住む夫婦の奥さん。そしてクリーニング店の裏側に住まいがある女性がパートタイムで忙しい時に応援来てくれます。この奥さんは、まさしく働き者で、陽気な性格です。旦那はバス会社の客案内係として働いています。奥さんは、色々な仕事を経験しています。メイドさんとして働いたこともあったそうです。しかし学歴が低いので、給料の良いところへは就職は出来ません。幸いにちょうど良い場所が見つかったものです。サルマンも彼女の事を気に入って信頼しています。
先日は数日間実家の父親が病気だったので、急遽実家に帰っていたので私が到着した時には会うことができませんでした。成る程実直そうな人柄です。そして小学校一年生のファーリという一人息子も一緒です。このファーリ君はなかなか可愛い少年で、はにかみ屋ですが、挨拶を交わしてしばらくしてから、私のパソコン(タッチパネル方式)で絵を描く練習をすることになりました。
いや、結構頭脳明晰な子です。簡単に使い方を教えると、少しづつ描きはじめました。直ぐに要領を覚えて、山を書いたり、雲をか
始めての絵 |
5日後の絵 |
いや、結構頭脳明晰な子です。簡単に使い方を教えると、少しづつ描きはじめました。直ぐに要領を覚えて、山を書いたり、雲をか
2017年11月24日金曜日
スマトラ紀行(12)ブキッテンギ
中央郵便局 |
Masdarさんからは熱烈なコメントが寄せられています。果たして今回のパソコン教室はどうなることでしょうか!
何を教えれば良いか、色々と調べなければなりません。いやぶっつけ本番になりそうです。
それにしてもサルマンは私の人生にとって忘れがたき人物です。今も昔もあのおっとりと
通りかかった小学校の鼓笛隊の練習 |
幸いにサルマンの店は商売繁盛の方向に進んでいます。うまく舵取りをしなければならないでしょう。日本で言うと掘っ建て小屋みたいな洗濯屋ですが、少しづつ大きくしていくでしょう。私の教えた言葉の幾つかを実践してくれる所が又嬉しいものです。
2017年11月23日木曜日
スマトラ紀行(11)サルマンの日々
鶏唐揚げ定食(80円) |
80円均一の食堂 |
2017年11月22日水曜日
スマトラ紀行(10)パヤクンブ工科大学へ
二人用レインコート |
工科大学 |
2017年11月21日火曜日
スマトラ紀行(9)ブキッテンギ到着
開店二年目を迎える洗濯屋さん |
私がこの街に始めて足を踏み入れたのが25年前です。マレーシアのペナンからフェリーでメダンのベラワン港にはいり、ブラスタギ、パングルランそしてパラバットを経由してブキッテンギに入りました。当時はインターネットもなく、地球の歩き方やロンリープラネットなどのガイドブックも普及もない時代でした。それでも何かしのガイドブック(安宿情報)や宿に備え付けてある旅のノート、そして口コミの等が有力な情報収集の手段でした。何かのガイドブックに記載されていた安宿にガンガ・ホテルという名称の安宿が街の
2017年11月20日月曜日
スマトラ紀行(8)ブキッテンギへ
ALSの事務所ではバスの出発は18時だから予定の30分前までにバス駅に到着するように説明を受けました。宿のチェックアウトは12時になっています。ギリギリの時間まで粘ってチェックアウトです。30メートルほど離れたところには、ちょっと小奇麗な喫茶店兼食堂があります。価格表示もあり、安心です。スマトラはコーヒーの栽培が有名ですから、人々は一般的にコーヒーを好みます。と言ってもインドのようにミルクを入れるのではなく、ブラックで砂糖を入れたものを飲んでいますが、これがもうむちゃくちゃ濃いのです。それで、タバコをプカプカさせるのが、あたかも身だしなみという風潮です。もう、街のあちこちに吸い殻が散らばっています。世界全体が灰皿の社会で、誰も遠慮することなく吸い殻をポイポイと捨てています。日本や西欧社会のような禁煙化しつつある社会とは大きく事情が異なります。
ともかくバスの出発まで6時間もあります。この喫茶店はWIFIもあり落ち着ける場所です。昼ごはんを食べ、コーヒーを飲んでいるとあっと言う間に2時間経過です。さて、この喫茶店の主人やスタッフの昼食の時間です。私が日本人だと知っていたので、ご飯を一緒に食べませんか?と誘いを受けましたが、残念、今食べたばかりですからねぇ。なるほど、親切な人々も沢山います。
トバ湖周辺はキリスト教徒が多いので、アルコールの規制もゆるいようです。ここでは、キリスト教徒が大半でイスラム教徒が少数化という背景があります。やたらと目に入るのが教会です。
ご飯とお茶で時間を潰してもまだバス駅に向かうのは早すぎます。7キロの荷物を抱えながら、ブラブラと市内を散策です。どこにいても湖が見えるので大満足です。そうこうしている間に、そろそろ駅に向かう時間となりました。
18時発のバスは予定よりも5分早く到着しました。図体の大きなメルセデスベンツの大型バスは5時55分に到着し、私を含めて二人の乗客を乗せて出発です。さて、今から16時間のバスの旅が始まります。マレーシアの場合は贅沢で3列席の配置ですが、ここでは2人と2人の4人がけが一列にならぶバスです。もう既に座席は満席の状態です。幾つかの空席を残したままの出発となりました。座席は意外と座り心地が良く、これならぐっすり眠れそうです。車内は音楽がガンガン鳴り響き、後ろの方からタバコの匂いとトイレの匂いが立ち込めています。日本の高速バスのイメージとはかけ離れた存在です。ああ、こんな環境の中で16時間も過ごすとなると、ちょっとビビリます。しかし9時を過ぎると音楽は消滅でやれやれ一安心です。道中7時頃は夕食タイムとかでバスは
ともかくバスの出発まで6時間もあります。この喫茶店はWIFIもあり落ち着ける場所です。昼ごはんを食べ、コーヒーを飲んでいるとあっと言う間に2時間経過です。さて、この喫茶店の主人やスタッフの昼食の時間です。私が日本人だと知っていたので、ご飯を一緒に食べませんか?と誘いを受けましたが、残念、今食べたばかりですからねぇ。なるほど、親切な人々も沢山います。
トバ湖周辺はキリスト教徒が多いので、アルコールの規制もゆるいようです。ここでは、キリスト教徒が大半でイスラム教徒が少数化という背景があります。やたらと目に入るのが教会です。
ご飯とお茶で時間を潰してもまだバス駅に向かうのは早すぎます。7キロの荷物を抱えながら、ブラブラと市内を散策です。どこにいても湖が見えるので大満足です。そうこうしている間に、そろそろ駅に向かう時間となりました。
メダンとパダンを結ぶバス |
2017年11月19日日曜日
スマトラ紀行(7)サモシール島半周
パラバットへの船乗り場 |
今日も宿探しです。大体このあたりの相場は150,000ルピアですが、値切って100,000ルピアに決定です。このあたりの宿の仕組みは宿帳を書く必要もなく、金を払って鍵をもらうだけです。のんびりしすぎの傾向です。昨日の宿も今日の宿も日中はひっそりとしていて、宿の管理人を探すのが一苦労です。待つこと30分ようやくやって来ました。150,000を値切って100,000に成立です。
Garminへジャンプ |
立ち寄ったお店の人がとても親切で、タバコを購入して、安い宿ないですかと訪ねたら、向かいの宿は10万ルピアでOKなはずですよと進めてくれました。それで、出かけたものの誰もいません。近所の人に探してもらうも拉致があきません。待つこと30分バイクで従業員が戻ってきました。部屋はあるけど掃除が終わっていないから、向かいの店でお茶でも飲んで待っていてくださいとの事です。
詳細な地図と画像はここをクリックすると閲覧出来ます。
待つこと30分ようやく準備完了です。トイレ付きの部屋でまずまずの感じ。でも昨日のバングルーランの宿がもっと気持ちよかったですね。広い庭があって、もう一泊しても良さそうな宿でした。しかしここでもネットはありません。こうして比較するとSIBAYAKが優マークでした。
2017年11月18日土曜日
スマトラ紀行2017(5) バングルーランへの道
ブラスタギからパングルラン |
2017年11月17日金曜日
スマトラ紀行2017(4)シバヤク登山
シバヤク山 |
(ここをクリックすると画像と地図を同期させたものが閲覧出来ます。)
2017年11月16日木曜日
スマトラ紀行2017(3)グンダリンの丘
グンダリンから眺めるシナブン山 |
詳しくは、ここをクリックすれば地図と画像を閲覧出来ます。
快適な宿も見つかりました。現地の物価にも少し慣れてきました。昨日は久しぶりのインドネシアで多少緊張していましたが、今日からはゆったりモードです。しかも、地方の小さな田舎町に移動しましたから、過ごしやすさが違います。冷房も必要なく、ちょっと水シャワーが厳しいかなぁという所です。宿のスタッフも温厚な笑顔を見せています。インドネシアというと、危ないとか治安が良くないとか、騙されるという言葉に連想されますが、こうしてゆっくりと眺めると良さが滲み出て来ます。
2017年11月15日水曜日
スマトラ紀行2017(2)ブラスタギへ
ブラスタギ町から見るシバヤク山 |
さて、宿の主人からバイクタクシーをお願いしたら、登場したのがインド系のお兄さんでした。しかし残念な事にインドの言葉を話すことができません。両替のお店にいったらインド系のお姉さんが応対してくれました。彼女に聞いてみましたが、彼女もインドの言葉は話せないそうです。ここがマレーシアとインドネシアの大きな違いでしょう。マレーシアでは公用語として英語、中国語、マレー語そしてタミル語が使われています。インドネシアの場合、インド系住民の数は相対的に極めて少ないからでしょう。この地区は別名インド街と呼ばれているようで、よくインド系の顔を見かけます。運転手もそんな一人なのでしょう。さて、事前の話で8000ルピアでしたが、当の本人は場所を良く飲み込めていなかったようです。宿の主人の説明してくれた地図と方向は似ているのですが、バス会社(SINABUNG JAYA)は見当たりません。本人は電話で連絡しようにもSIMカードの残高が不足しているようで、急遽立ち寄って補充です。それから今利用しているオンラインのバイクタクシーの本部に場所を確かめています。どうも、当初考えていた場所より、かなり先のようで、8000ルピアでは無理で12000ルピアになるのを了解してほしいということでした。
詳細は、ここをクリックしてください。Garminのサイトに移動します。
2017年11月14日火曜日
スマトラ紀行2017(1)メダン到着
メダン中心地にあるヒンズー寺院 |
2017年6月7日水曜日
婦女子の為の補習校
今日も又学校を訪問しました。今回の学校は特殊な学校で、学齢期に通学できなかった女性を対象にした女子専科学校とでも名称を付けましょうか?婦人の為の学級です。この学校で何かお手伝いすることが出来るものかどうか、実地検分に出かけました。
校長さんもにこやかで穏やかな人です。しかし、その目には確たる信念が輝いていました。何しろ女性ばかりの職場です。学校と行っても、貸しビルの一画を借りての授業です。幸いに、この施設は、他の学校と共同でビルを借り、一カ月35000円の家賃を20,000と15000円の共同利用です。
学生は学年に応じて毎月600から1200円の授業料を支払います。教師は8人の構成で現在は70名ほどの生徒が通学しています。その中には70歳のおばあちゃんも在籍です。ポカラからやって来たおばあさんは、カトマンズで毎月4000ルピーの部屋代を払って、ここに勉強しにきているそうで。こうした学校はネパール全土で20校ほどあるようで、政府の援助と地元の支援で運営されています。
2017年6月4日日曜日
カトマンズの学校でのパソコン実習室
今日は怒り心頭
近くのテウダの学校に出かけました。昨日昔からの友人で、この学校を卒業したミヌさんの仲介で、パソコン教室の支援をどうするか下見にでかけたわけです。約束通り10時に予約を入れて科学の教師に会いました。なかなか愛想の良いかたでしたが、職員室に入ると、校長が、「貴方は何者か?」というような不愛想な眼つきで私をにらみつけていました。この時点で校長は私をネパール人と思っていたようです。引き続きコンピューターの教師を紹介されて、パソコン室に向かいました。さて、パソコンが12台ほど並んでいます。いずれも埃だらけで、デスプレーも指紋や汚れに満ち溢れていました。先生に聞くと、一応稼働しているとの事。勿論ネットワークは構成されず、インターネットの環境もありません。全校で300名ほどの生徒がいて、第一学年から10年生まであるそうです。となると一クラスで30人程度。パソコンの授業では2人に一台の生徒が利用できる環境でした。色々と先生に質問していると、この先生のコンピューターの知識がどの程度なのか判断が出来ます。さて、それでは、これらのパソコンのリストがありますか?勿論あるわけがありません。それでは早速作成してみてください。
近くのテウダの学校に出かけました。昨日昔からの友人で、この学校を卒業したミヌさんの仲介で、パソコン教室の支援をどうするか下見にでかけたわけです。約束通り10時に予約を入れて科学の教師に会いました。なかなか愛想の良いかたでしたが、職員室に入ると、校長が、「貴方は何者か?」というような不愛想な眼つきで私をにらみつけていました。この時点で校長は私をネパール人と思っていたようです。引き続きコンピューターの教師を紹介されて、パソコン室に向かいました。さて、パソコンが12台ほど並んでいます。いずれも埃だらけで、デスプレーも指紋や汚れに満ち溢れていました。先生に聞くと、一応稼働しているとの事。勿論ネットワークは構成されず、インターネットの環境もありません。全校で300名ほどの生徒がいて、第一学年から10年生まであるそうです。となると一クラスで30人程度。パソコンの授業では2人に一台の生徒が利用できる環境でした。色々と先生に質問していると、この先生のコンピューターの知識がどの程度なのか判断が出来ます。さて、それでは、これらのパソコンのリストがありますか?勿論あるわけがありません。それでは早速作成してみてください。
2017年6月2日金曜日
村の学校でパソコン教室1
スルケ村 建物はお世話になったジャガット家 |
2017年6月1日木曜日
三軒の家を訪問
昨年訪問した小児麻痺の少年
今年も彼を訪問しました。昨年は地震後一周年でお見舞いとして食料等2000円分を購入して届けました。今回は僅かながらですが、1000円のお小遣いを差し上げました。お爺さんが傍で孫の世話をしています。足が不自由で立ち上がることが出来ません。年齢を聞くと13歳になったそうです。顔にはハエが飛び回っています。しかし、その目は人懐っこく優しい目をしています。いわゆる世間の穢れをしらない素直さに溢れています。話に聞くと、政府から毎月1000円程度の金額が身体障碍者への給付として届いているそうです。さて、この金額は私達日本の貨幣価値に置き換えてみると、最低賃金の二日分程度の金額ですから、単純に考えると月1万円程度の給付と同等になるでしょう。私が近づいて手を差し伸べると、ニコニコと笑顔を見せてくれました。周囲にいた人々も、「ああ、僕ちゃんは喜んでいるよ」とささやいているのが聞こえました。私には彼の人生を変えるようなことはできませんが、彼の清々しい笑顔が私の心を慰めてくれると同時に、どうしようもない悲壮感とが交錯する瞬間です。傍にいたお爺さんは、1000ルピーのお札をそっと、孫のポケットにそっとしまいこんでいたのが印象的です。家族崩壊や子供の虐待などは日本では新聞記事に数多く報告される昨今です。家族の愛情があってこそ、周囲の愛情があってこそ、この子は生き延びているのでしょう。とにかく複雑な心境を抱えながら、家族の元を離れることになりました。
今年も彼を訪問しました。昨年は地震後一周年でお見舞いとして食料等2000円分を購入して届けました。今回は僅かながらですが、1000円のお小遣いを差し上げました。お爺さんが傍で孫の世話をしています。足が不自由で立ち上がることが出来ません。年齢を聞くと13歳になったそうです。顔にはハエが飛び回っています。しかし、その目は人懐っこく優しい目をしています。いわゆる世間の穢れをしらない素直さに溢れています。話に聞くと、政府から毎月1000円程度の金額が身体障碍者への給付として届いているそうです。さて、この金額は私達日本の貨幣価値に置き換えてみると、最低賃金の二日分程度の金額ですから、単純に考えると月1万円程度の給付と同等になるでしょう。私が近づいて手を差し伸べると、ニコニコと笑顔を見せてくれました。周囲にいた人々も、「ああ、僕ちゃんは喜んでいるよ」とささやいているのが聞こえました。私には彼の人生を変えるようなことはできませんが、彼の清々しい笑顔が私の心を慰めてくれると同時に、どうしようもない悲壮感とが交錯する瞬間です。傍にいたお爺さんは、1000ルピーのお札をそっと、孫のポケットにそっとしまいこんでいたのが印象的です。家族崩壊や子供の虐待などは日本では新聞記事に数多く報告される昨今です。家族の愛情があってこそ、周囲の愛情があってこそ、この子は生き延びているのでしょう。とにかく複雑な心境を抱えながら、家族の元を離れることになりました。
タミ族の公民館
公民館の内部 |
2017年5月31日水曜日
村の大工さん
左の二人が大工さん右は、ジャガット氏のお父さん(75歳) |
2017年5月19日金曜日
ええぇ、これ何?ネパールのウェブ作成
干場の作成しているサイト |
ネパールの業者によるサイト |
2017年5月14日日曜日
ネパール地方選挙当日
政党の出張所! |
投票所の近くには、それぞれの政党が路上でテーブルを持ち出して、幹部が分厚い有権者リストを手にして、見張っています。少し距離を置いたところに別の政党幹部がたむろしているという微笑ましい選挙風景です。有権者には、プラスチック製の写真がラミネートされている投票所入場カードが配布され、今回三か月にわたり三度行われる投票に利用されるとの事。それが終わると、このカードは無効になり、次回の選挙時には、再度発行されるとの話です。さて、選挙が三回繰り返されるという事は、一カ月後に、再度カトマンズ市内からそれぞれの村に帰るわけです。これも私達には見当のつかない不思議な現象です。何しろ、今回が初めてのモダンな選挙です。
2017年5月13日土曜日
ネパールの選挙 前々日
選挙のポスター |
バイクによる行進 |
ポカラでは、毎日選挙運動が続いています。市内には、時々バイクの隊列が旗をなびかせながら勇ましく行進していくのが、ここ地方都市の典型です。他方カトマンズ市内は、法律に準じて、こうした行動は自粛を控えさせられているようで、目立った動きはありません。唯一の大都市カトマンズと地方の大きな違いです。小さな町では、それぞれに家には、自分達の支援する政党の旗を大きく掲げています。子供達も小旗を手にして遊んでいます。まるで、日本の選挙とは大きくことなった方法です。諸外国とは異なって事前投票の制度がありませんから、今カトマンズ市内の人口は大きく減少しています。数日前から、村から出稼ぎに来ている人々や、住民票を田舎に置いている人々は、一斉に帰郷しています。新聞記事をみると、はるばるインドへ出稼ぎに行っている人々の一部も、投票の為に里帰りをしているそうです。そんなわけで地方は活気づいている次第です。
カトマンズ市内には、選挙委員会から選挙の仕組みや、方法、注意事項などのポスターをあちこちで見かけますが、果たして、この絵に表現されている方法で実行されるのでしょうか?個別訪問禁止とか、暴力はいけません、接待禁止など表示されていますが、こうした事は、外部から逆に考えると、こうした事を行ってくださいというのも同然です。規則があっても、それを遵守する道徳感が欠けてしまいました。
2017年4月25日火曜日
ネパールの停電そして選挙
雨が降ると道はぬかるみ |
というのは、矢張り政府の悪徳政策によって、意図的に停電をしたいたようで、これに依って、ソーラーパネルや、インバーターの販売業者は大打撃を受けたのは間違いありません。うすうす気が付いていたのですが、通電中に全部の家庭がインバーターに接続して充電をしていたはずですが、これでもパワーが落ちなかったという事です。という事は、電力が過剰に存在していた証でしょう。電力関係の大臣が変わってから、激変したわけです。様々な情報が交錯する中で、やはり、政府高官は、電気を横流しして、莫大な利益を得ていたことも発覚しました。
2017年4月23日日曜日
ネパールの地方選挙
街頭演説会 |
2017年4月20日木曜日
カトマンズの片隅で
古都パタンの王宮広場 |
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