インドネシア語が出来れば、人口2億を超える広大な島国の隅から隅まで見渡せるわけですから、それが彼らの世界観だったわけです。インドでヒンズー語が出来るという事は、通常のインド庶民にとっては、それが彼らの世界観となってしまうのと似たような部分があります。
しかも、インドネシア語の世界は、直接的に物事を表現せずに、状況によっては間接的な表現となりますから、誤解を招き易い部分があります。相手を非難したり、批判するという事は避けてしまう一面がありますから、当然の事ながら、遠回しな表現になり、それをしっかりと受け止めるという言語能力も必要になります。一般的には日本と同様遠慮深い一面があるのも事実です。特に、こうした地方にいくとその傾向は益々高まっていくのです。従って直接的な表現は出来る限り避けて会話をすすめるのが、インドネシア語文化の特徴も言えるでしょう。
彼も親日家で、奥さんは日本で二年間勉強されたそうです。又アストゥティ女史の妹さんは、今日本の東京大学で勉強されているとかで、どこかで、誰かが日本と繋がっています。いや世界は狭いものでもあります。まだ40代の市長さんは7回も日本に出かけたことがあるという親日家で、気楽に声をかけやすい人物でした。
さて、屋外の授業は10時からの予定ですが、いわゆるラバータイム(インドネシアタイム)で30分遅れての開講です。こうした事は珍しくありません。日本のように時間厳守という言葉は、この国では不要です。しかしかなり遅くなっても始まるのは始まるのですから、考えてみればそんな大きな問題ではありません。これが終わったらすぐ、他の要件が待っているわけでもありませんから。こうした融通の効く社会は時には便利なものです。体育館のような広いホールには、プラスチックのシートが敷かれ、学生たちは、その上に座っての授業です。急遽にわか仕立てでプロジェクター用のスクリーンとプロジェクターが準備されました。所が残念な事に周囲が明るすぎて画像がはっきりしません。事前に確かめる手順がなかったのでしょう。しかし体裁は整っているわけですから、まあこれでも上出来の方でしょう。
例によって講師陣の紹介が続いてアストゥティ女史の講演、それに続いてムコダスさんの講演と2時間ほど続きました。その間当方は周囲の散策です。学生達は結構熱心に聞き入っています。最後には質問がありましたが、これにも数人の学生が思い思いの意見や質問を述べていました。時々風が強くなり、スクリーンの固定が不十分でゆらゆらする中での講演は、味のあるものでした。簡素な作りでも、学生達の眼差しは真剣そのものです。講義が終わると、全員バイクで帰宅です。確かにバイクの存在は、高等教育の支援に大きく結びついています。
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