パダンとメダンを結ぶ長距離バス |
さて、バスは5時を過ぎてもやってきません。バス会社の人に聞くと、5時半がバスの発射時刻だとか。結局バスが到着したのは午後6時前でした。サルマンの弟夫婦も見送りに駆けつけてくれました。彼は市場で衣料品のお店をしていますが、閉店となる5時を待って、押しかけたようです。こうして、皆んなに見守られながら、18時間のバスの旅が始まりました。
行きは、どのくらいかかるものか、心配でしたが、帰りは意外と楽なものです。通過した土地が時々目に入り、ああ、ここまで来たんだという読みが出来ます。車両も前回のバスに比べると少しばかりマシなもので、比較的新しい車両です。勿論トイレ付のバスですが、参考のために中を拝見すると、便器のそばに、四角い枠に囲まれた貯水槽がありますが、それが、バスが揺れる度に、水もゆらゆらしています。急カーブや急発進になると、水槽から水がジャンプしそうです。まあその辺りを考えて、水量を調整しているのでしょうが・・・。そして水槽にはプラスチック製の柄杓がプカプカ浮いていました。これは、私達にとっては、揺れ動く車内でトイレ作業をするという事はかなり敷居が高いようです。まあ地元の人々はなれえいますから何の抵抗もないのでしょうが。
隣に座った青年は、「仕事でパダンに来たんだけど、結局給料もらえなくて、バス代だけもらったので、今メダンの家に帰る所です。」インドネシアの人々と話を始めると、出身はどこでしょうという事から始まります。話を聞くとかなり移動距離が激しいのです。仕事を求めて、あちこちインドネシア国内を移動し、気に入った所があると、奥さん見つけて定住とでもいいましょうか!親御さんが、すごく遠方にいたりすることが良くあります。日本の場合は、若い人々が東京や大阪に出て家を構えると、もう戻ってこなくなるというケースですが、インドネシアの場合は、ちょっと異なります。必ずしも首都や第二の都会に集中するのではなく、地方都市間での人の移動を多く見受けます。トバ湖で出会った叔父さんは、バタム島(シンガポールに近い島)から、兄弟に会いに来たと話をしていました。
パヤクンブの工科大学の助手のラムジルさんの奥さんはスラバヤで育ちました。お父さんの実家がここ、パヤクンブにあるそうで、年齡になったので、故郷に戻ってきたそうです。最近は飛行機代金が安くなり、遠くても、少しお金を足せば数時間で移動することが出来るようになりました。今から20年ほど前までは、飛行機などは高嶺の花で、庶民は、もっぱら、長距離バスを利用していました。今でもロングランのバスが走っています。ちなみに、ここブキッテンギからジャカルタまでは2泊3日かかるとか、費用は3.5万ルピアですから、およそ3000円です。時代は大きく変わってきました。飛行機代金もジャカルタまでは5000円ほどで飛ぶことが出来るようになり、これなら庶民にも手の届く範囲です。
以前は、こうした長距離バスが運送業も兼ねていました。そう言えば、ミャンマーの長距離バスは貨客混載バスに近いものです。一見見たところは、普通のバスですが、乗客が少なくても、床下には、乗客の荷物意外に委託を受けた荷物を満載していることがしばしばあります。ここインドネシアでも同じような光景を見かけ懐かしい思いを感じます。
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