ミャンマー各地にある寺院 |
200年ほど前の教会 |
スクールトラック |
近辺諸国のタイも、同様な部分があり、歴史を感じさせるものは多くはありません。タイのアユタヤとスコタイの二つの町は15世紀の遺跡と共存しています。厳密にいうと、スコタイの場合は、遺跡は町の郊外にあり、現在のスコタイ市街と共存しているわけではありません。チェンマイの城壁都市と言えども、周囲に堀の跡が残っている程度にしか過ぎません。
こうした観点からすると、マラッカやペナンは17-8世紀の都市が現在の市内の一部を形成し、見ごたえのある街並みを築きあげています。日本各地の江戸時代の街並みを再現したかのような風情があり、それは貴重な観光資源となっているわけです。中国雲南の麗江に出かけたことがありますが、ここも見事なものでした。小高い丘に登ると町全体が見渡せますが、コンクリートジャングルではなく、瓦葺の建物が延々と広がり、風致地区として中世の街並みをしっかりと残しています。又近辺にある大理の町も個性のある都市でした。ミャンマーやタイの通常の都市の形成は、市内の中心地に市場があり、その周囲に寺院が点在し拡がりを見せているともいえるでしょう。ミャンマーではその最先鋒がヤンゴンにあるシュウェダゴン寺院に相当するのでしょう。やたらと寺院だけが、格別に巨大な様相を占めています。これが仏教国における都市の発達の原点になっているようです。交易の場として栄えた町としてインドの沿岸部にはボンベイやマドラス、カルカッタなどがありますが、18世紀に英国の植民地時代を経ているだけあって、その名残が市内に点在しています。インドのラジャスタン方面ではジャイサルメールや、ウダイプールなどいわゆる城壁都市の名残があり、旧市街と新市街に区分けされていますが、旧市街でも人々が今でも生活を営んでいます。デカン高原に散在する地方都市も、ムガール帝国の名残を随所に観察することが出来、ハイデラバッドのチャールミナルのように街のシンボル化しているものもあります。しかし、インドのタミルナド州になると、街の形成はゴプラム形式の寺院を中心に配置され、発達したように見受けます。
さて、東南アジアの都市の構造を考えると、つい100年ほど前には、木造や竹製の家屋で暮らしてきた極めて小さな集落が発達し始めたと見受けます。数十年前から近代的なコンクリートの建物が作られ、繁栄の一途をたどっているとも言えるでしょうだから、どの町を見ても同じような光景に出くわすのは当然です。強いてゆうならば、ランドマークとなる遺産があるかどうかです。仏教系の町はやはり寺院が目玉となり、スリランカの仏歯寺などはその典型でしょう。まあスリランカの首都コロンボはオランダの植民地や英国の植民地の名残を留めでいますから、新しいビルの中にいくつかの旧時代の建造物が残されていますが、これも時代と共に次第にその数は減少していくことでしょう。
さて、ここモールメインは典型的な仏教を主体とした交易の港町として栄えた場所です。町の南北に走る小高い丘には4つほどの有名な寺院が並び絶好の散策の場所にもなっています。寺院を除けば、他に目玉となる対象は見つかりません。強いて言うならば、港町としての活気が加わるでしょう。港と言っても、アジア特有の河口にある港です。これは私たちにとっては馴染みの薄いもので、海岸線に囲まれた日本では港町と言えば、必ず海に面し、入江の部分を活用して港町として発達していくのが当然です。しかしアジア社会では、タイのバンコク、ベトナムのサイゴン、ミャンマーのヤンゴンそしてバングラデッシュのダッカとインドのカルカッタなどは、海から20-30キロほど離れた内陸が港町として発達しています。
モールメインは人種のルツボで極めてコスモポリタンな町で、インド系住民の数も多く見受けます。又中国系寺院もいくつか見かけました。レストランではタイ語の会話も弾んでいます。回教寺院も市内に数か所あり、まさしく国際的な雰囲気が漂っています。住んでいる人々の顔つきも様々です。これはミャンマー都市部で良く見かける光景ですが、田舎に行くと100%仏教徒且つビルマ人の世界に変わってしまいます。
この街で少し特色があるのは、古い教会があることでしょう。英国植民地時代から始まったと言える教会が数か所見受けます。ちょうど学校が引ける時間帯だったので、生徒たちはスクールバスではなく、スクールトラックというか、ピックアップの後部を座席に改善した乗り合いトラックでの通学です。マラッカでは、自家用車での送迎が一般的で学校の終わる時刻になると、周辺は交通渋滞が発生していましたが、ここは、又別天地です。
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