2016年11月6日日曜日

経済援助や企業進出について

典型的なスリランカの家族
経済援助や企業進出について
開発途上国への援助や企業の進出ということに関して、最近思う事が一つあります。
一般的に、日本企業や商社の海外進出の評判を観察すると、金儲け主義だとか、現地に何も還元しない、或は文化的交流に欠けるという声を聴きますが、この事に関係する話を少しばかり致しましょう。
私自身詳しくわかりませんが、思いつく点を幾つか。
一般的に欧州系企業の評判が良いのですが、それを解釈するにはいくつかの点を修正して判断する必要がありと思うのです。すなわち、現在の瑠璃ランカ或いは、この国同様に元大英帝国だった一部の国では、全くと言って良いほど英国式の文化が浸透しています。それらの影響は政治形態、教育制度、土地制度、食文化等幅広く及んでいます。現地の人々の考えからも、英国方式しかないと考えているようで、海外進出に対しては絶対的優位にあります。

しかし、スリランカにとって、そこに到達するには、元来の自国のオリジナルを大きく後退せざるを得ません。教育界では英語という武器に隷属したからこそ、そのシステムが確立したのでしょう。また当初においては、現地との経済的摩擦は現在以上に大きく、その被害も大きかった事と想像します。現在ならばマスコミを通じて瞬時に世界の出来事が伝わるのですが・・・。
今は当時の事を知る由もありません。格別日本を支持しようという積りはありません。勿論日本がも各種の注意を払う箇所が出てきましょう。現地の日本企業に不満が生じたと仮定します。その不満を消す一つの方法は、極論すると、その国のオリジナル性を全滅させて、日本のシステムを植え付ける事でしょう。しかし、そんな事は不可能です。
当時の干場

でも英国はスラランカに対して、こうした方針を5割程度実施したと言えるでしょう。それが、経済であり、歴史なのかもしれません。何もキングス・イングリッシュが世界で最高のものとは決め難いのでして、要するに通じる英語で十分なのではないでしょうか?
スリランカを例にしてみると、元来この国の考え方は仏教の要素が浸透していますが、社会のシステムには英国風が蔓延しています。ここに矛盾も数多く見受けることになります。パキスタンが回教化を進める中でも、西欧的社会システム(殊に経済の分野)が広範に行き亘っていかざるを得ません。一つの国を理解する事は大変な事で、日本企業の金儲け主義うんぬんの表向きの批判のみではなく、他国との比較や現地の社会的な歴史的な背景を踏まえた上での考察をとも立ってこそ、今後の相互理解への道が開けるのではないかと考えます。如何でしょうか?
働きものの日本人、せっかちな日本人、これも頷けます。旅行者を観察していてもよく分かることです。日本人のみが農協団体的旅行者ではないはずです。アメリカからも、ドイツからも似たようなグループが押し寄せているのです。旅行者の場合と現地の滞在者とでは、見方も異なります。この点を踏まえて、今後もゆっくりと考察を深めて今後の動向を探っていきたいと思います。
食事にも変化
12月28日、カンディを出発してコロンボに入りました。途中、商店・人家などの焼け落ちた跡が可成り見受けられます。日本で報道されているよりも、もっと酷いものだったようです。一寸話は変わりますが、ヒッカドワなる観光地では現在500人の失業者が出ているそうです。土産物店、バテック工場、レストラン等の大半は閉めたままです。大手のホテルも今の所全く再開の見通しが立っていないとの報告がシンハラ語の新聞に掲載されていました。英字新聞には景気の良さそうな事柄が多く載っているのとは対象的でした。
コロンボ市内をよく観察すると、何となく以前とは異なります。例えばいつも気軽に出かけていたタミル人経営の飯屋が姿を消し、代わりにシンハラ系の食堂になっていたのです。これは以前より食事代が割高になってしまいます。料金もそうなんですが、それにも増して、ヒンズー的清潔さが失われてしまったという事も大問題なのです。ヒンズー的清潔というのは、南インドでよく見かける純採食料理店の伝統は、食べ物そのものに臭みがなく、気分的にも潔癖さを感じます。
何しろ、これらの多くの店はバナナの葉をお皿の代用にして営業していますから。こんな良き伝統を持つお店が無残にも焼き討ちに遭い、止む無く営業中止、若しくは引っ越しの破目に陥ったのは悔しいことです。それでシンハリ人も今になってようやく安い食物がないことに気づくのです。
一般的にシンハリ系の食堂では、ライス(米飯)・ブレッド(パン)・ホッパークレイプ)が中心となり、どちらかというとタミル系の食堂に比べて割高感があります。庶民は止む無くハーフプレート・ミールズ(半人分)のシステムで6-7ルピーを支払って空腹を耐えなければならなくなったのです。
映画館も焼き討ちに遭い、無残な姿が残されたままです。庶民はこれにも不自由を感じざるを得ないわけです。

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