いざこざ・トラブル
さて、急増している日本人旅行者との間に各種のトラブルが発生しています。次の物語は、実際にあった話です。伝聞ですので多少違っているところがあるかもしれませんが・・・。
一人のスラランカの青年がいました。彼は19歳で浜育ち、サーフィンを日本人から習いました。その事件が起きたのは数年も前の事です。当時彼は日本人と西洋人の考え方の差を知り、特に日本人に対して好感を持つようになっていました。すなわちアジア的マインドが気にいっていました。従来の西洋人の方法は、どうも我々スリランカ人を人間扱いしていないのではないかいう空気を感じていました。それに比べると日本人は我々を同等に見てくれていると・・・。昔の日本人はドラッグ(麻薬)もやらず、サーフィン一本で見ていても気持ちがよかったとか。ともかく彼は日本人贔屓だったのです。
そして半年前にちょっとした事件が起きました。結果として、彼の日本人贔屓が不孝をもたらしたともいえましょう。その事件とは・・・。
二人組の日本人旅行者が、この街ヒッカドワにやってきました。彼は全く面識がなかったのです。ただ彼らがインドから1.2キロものハッシッシ(樹脂製のインド大麻、固形エキス又は液状で、催眠効果がある)を運んで、このヒッピーの集まる街で派手に売り捌いている事が、小さな街では、すぐ話題になり、現地のチンピラがオマワリに通報しました。
彼等二人がコロンボに用事に出かけた際、留守を狙って家宅捜索が為され、現t実に彼等の絵やから品物が発見され、後は夕刻に彼等が帰ってくるのを待つばかり、宿の周囲には大勢の警官が配置されました。
さて、この事を聞きつけたスリランカの青年は、これは一大事と勇敢にも彼等の救出作戦を試みたのです。その計画は万全だったのですが・・・・。
まず、彼はヒッカドワからバスで20分ほど手前の街で、コロンボ方面からやって来るすべてのミニバスをのぞきました。例の二人の日本人を必死に探そうとしたのです。次々とやってくるバスを調べましたが、彼等はまだ到着しません。一度家に帰って食事を済ませ、夕方はヒッカドワの入り口で待ってみました。とその時数台目で見かけたその日本人は、オマワリさんのパスポートチェックを受けているところでした。彼等は中国人と称してパスポートを示し難なく通過することが出来ました。すかさず、そのスリランカの青年はミニバスに乗り、彼等と連絡を取って、「宿へ帰るな、我が君たちをかくまう」となって、ジャングルの中の誰にも分らない家に連れていくことになりました。それから全員で協議して国外脱出の方法を案じました。幸いなることに、警察側では、単なる日本人というだけしか知らず、名前も、顔も、パスポート番号も把握していない状況です。(民宿の場合はお金さえ払えば良く、宿帳など記載するシステムがない)早急に大韓航空と連絡を取って、スリランカの青年は3-4日後の便を取りに出かけました。最終日あコロンボの高級ホテルに滞在し、外へ出歩かない限りほぼ完全に事態は推移したはずです。飛行機に乗れば安心。出国チェックと言っても、これも何の問題もなく通過できる状態だったのです。
所がこの二人組は、ちょっと気を許しコロンボ市内を散歩したのです。これがコロンボ市内まで出張いているヒッカドワのガイド(客引き)の目に入り、即警察に通報。あっと言う間に全てがおじゃんになりました。ヒッカドワに連れ戻され宿で検証。勿論彼を助けようとしたスリランカの好青年も御用となりました。引き合わせがあっても、当初はお互いに知らぬ存ぜずで頑張ったんですが、結局は三名とも刑務所暮らしとなりました。
さて、大変です。こうした場合、在外公館は殆ど関わりをもたないそうな。それでも、スラランカの青年は面会に来た実の兄に、重要な紙切れを着替えのズボンの折り目に挟んで渡したそうです。その紙切れには日本大使館向けで現状を訴える内容が記されていました。兄はそれを、何とか日本大使館に届け・・・。既に二週間が経ちました。
ようやく、日本大使館より弁護士と係官がやってきました。例によって色々と交渉が始まり、日本人一人当たり10,000ルピー(7万円)の罰金と国外追放という処分が決まりました。しかし後に残ったこの好青年は、さらに二カ月の間刑務所暮らしをつつけたそうです。もっと早く出るにはお金が必要だったのです。或る日本の友人が以前送ってくれた800ドル(日本への招待費用として)で訪日を楽しみにしていたのですが、その一部をつぎ込んで半年の刑期を二カ月にしてもらい・・・。結局ドル札はその後いろんな事で出費し再び文無しになったのです。
毎日魚やタコを採っていた生活は、今年は大きくリズムが狂ってしまったのです。今の所、その二人組の日本人からは何も連絡が届いていないそうです。それでも彼は日焼けした黒い顔に白く輝く歯を見せて明るく振舞っています。今日も日本人の旅仲間と楽しそうに話し合っています。
その他に彼はオーストラリアのサーファーと一寸問題があったのです。その白人が波乗りをしている日本人をコケにしたのが原因でオーストラリア人と傷害事件を起こしたのです。その後、しばらくの間、この地域からはオーストラリア人が姿を消したそうですが・・・。
直接話を聞いてみると本当に日本を好む、心優しい硬骨漢という印象を持つ青年です。偉い!そのあたりのゴロツキ・チンピラとは大違いでした。
さて、急増している日本人旅行者との間に各種のトラブルが発生しています。次の物語は、実際にあった話です。伝聞ですので多少違っているところがあるかもしれませんが・・・。
一人のスラランカの青年がいました。彼は19歳で浜育ち、サーフィンを日本人から習いました。その事件が起きたのは数年も前の事です。当時彼は日本人と西洋人の考え方の差を知り、特に日本人に対して好感を持つようになっていました。すなわちアジア的マインドが気にいっていました。従来の西洋人の方法は、どうも我々スリランカ人を人間扱いしていないのではないかいう空気を感じていました。それに比べると日本人は我々を同等に見てくれていると・・・。昔の日本人はドラッグ(麻薬)もやらず、サーフィン一本で見ていても気持ちがよかったとか。ともかく彼は日本人贔屓だったのです。
そして半年前にちょっとした事件が起きました。結果として、彼の日本人贔屓が不孝をもたらしたともいえましょう。その事件とは・・・。
二人組の日本人旅行者が、この街ヒッカドワにやってきました。彼は全く面識がなかったのです。ただ彼らがインドから1.2キロものハッシッシ(樹脂製のインド大麻、固形エキス又は液状で、催眠効果がある)を運んで、このヒッピーの集まる街で派手に売り捌いている事が、小さな街では、すぐ話題になり、現地のチンピラがオマワリに通報しました。
彼等二人がコロンボに用事に出かけた際、留守を狙って家宅捜索が為され、現t実に彼等の絵やから品物が発見され、後は夕刻に彼等が帰ってくるのを待つばかり、宿の周囲には大勢の警官が配置されました。
さて、この事を聞きつけたスリランカの青年は、これは一大事と勇敢にも彼等の救出作戦を試みたのです。その計画は万全だったのですが・・・・。
まず、彼はヒッカドワからバスで20分ほど手前の街で、コロンボ方面からやって来るすべてのミニバスをのぞきました。例の二人の日本人を必死に探そうとしたのです。次々とやってくるバスを調べましたが、彼等はまだ到着しません。一度家に帰って食事を済ませ、夕方はヒッカドワの入り口で待ってみました。とその時数台目で見かけたその日本人は、オマワリさんのパスポートチェックを受けているところでした。彼等は中国人と称してパスポートを示し難なく通過することが出来ました。すかさず、そのスリランカの青年はミニバスに乗り、彼等と連絡を取って、「宿へ帰るな、我が君たちをかくまう」となって、ジャングルの中の誰にも分らない家に連れていくことになりました。それから全員で協議して国外脱出の方法を案じました。幸いなることに、警察側では、単なる日本人というだけしか知らず、名前も、顔も、パスポート番号も把握していない状況です。(民宿の場合はお金さえ払えば良く、宿帳など記載するシステムがない)早急に大韓航空と連絡を取って、スリランカの青年は3-4日後の便を取りに出かけました。最終日あコロンボの高級ホテルに滞在し、外へ出歩かない限りほぼ完全に事態は推移したはずです。飛行機に乗れば安心。出国チェックと言っても、これも何の問題もなく通過できる状態だったのです。
所がこの二人組は、ちょっと気を許しコロンボ市内を散歩したのです。これがコロンボ市内まで出張いているヒッカドワのガイド(客引き)の目に入り、即警察に通報。あっと言う間に全てがおじゃんになりました。ヒッカドワに連れ戻され宿で検証。勿論彼を助けようとしたスリランカの好青年も御用となりました。引き合わせがあっても、当初はお互いに知らぬ存ぜずで頑張ったんですが、結局は三名とも刑務所暮らしとなりました。
さて、大変です。こうした場合、在外公館は殆ど関わりをもたないそうな。それでも、スラランカの青年は面会に来た実の兄に、重要な紙切れを着替えのズボンの折り目に挟んで渡したそうです。その紙切れには日本大使館向けで現状を訴える内容が記されていました。兄はそれを、何とか日本大使館に届け・・・。既に二週間が経ちました。
ようやく、日本大使館より弁護士と係官がやってきました。例によって色々と交渉が始まり、日本人一人当たり10,000ルピー(7万円)の罰金と国外追放という処分が決まりました。しかし後に残ったこの好青年は、さらに二カ月の間刑務所暮らしをつつけたそうです。もっと早く出るにはお金が必要だったのです。或る日本の友人が以前送ってくれた800ドル(日本への招待費用として)で訪日を楽しみにしていたのですが、その一部をつぎ込んで半年の刑期を二カ月にしてもらい・・・。結局ドル札はその後いろんな事で出費し再び文無しになったのです。
毎日魚やタコを採っていた生活は、今年は大きくリズムが狂ってしまったのです。今の所、その二人組の日本人からは何も連絡が届いていないそうです。それでも彼は日焼けした黒い顔に白く輝く歯を見せて明るく振舞っています。今日も日本人の旅仲間と楽しそうに話し合っています。
その他に彼はオーストラリアのサーファーと一寸問題があったのです。その白人が波乗りをしている日本人をコケにしたのが原因でオーストラリア人と傷害事件を起こしたのです。その後、しばらくの間、この地域からはオーストラリア人が姿を消したそうですが・・・。
直接話を聞いてみると本当に日本を好む、心優しい硬骨漢という印象を持つ青年です。偉い!そのあたりのゴロツキ・チンピラとは大違いでした。
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