2016年11月21日月曜日

2.インドを歩く日本人



2.インドを歩く日本人

最近、日本人旅行者に接する機会が多くなりました。その事柄に関係して感じますことを、少しばかり書いてみようと思います。殆の人に共通することは、日本語は十分理解出来るが、英語は極めて苦手(小生も似たりよったり)。勿論現地語も差パリ。まあインド社会に来て間もない人々には無理駆らぬことかもしれませぬが。現地語に関しては、数か月後には、ある程度の用が足せるのが一般的かと思いますが・・・。郷に入っては郷に従えとやらで、皆さんはドラッグ(大麻吸引)の方向に努力を傾注されているようであります。勿論言葉が全てというのではありませぬ。言葉が出来なくても、ユーモアのセンスを持って上手に旅を楽しんでいる人々も数多くいる次第です。この両者を持ち合わせない人々は、一種の硬直状態を抱えたままの旅に陥りやすいようです。

インドで生じる出来事を否定してから解釈するか、肯定した上で考えるか、或いは、どちらでもないのかも?得てして南アジア社会の悪評を論ずる時は全員の目が輝き、生色を帯びてきます。今後も、この傾向は強まるでしょうが、そんな旅はもう、終わりにしたいものです。「インドを歩く本」を指して、「インドをダマす本」と文字っています。そんなに悪口を言う人が、なぜまだインドを旅しているのだろうか?
ある人々は申します。団体客が金を沢山払いすぎるから、インド人は俺たちを見ると「タカってくるし、吹っかけてくる」と、あたかも責任を団体旅行客の仕業のようにすり替えてしまいがちです。それでは、一体そう叫ぶ人々はどれだけ、南アジア社会のことを理解しているのでしょうか?単に、長期かつ安宿にインドで過ごしただけで、他を非難する資格はあるのだろうか?インド人を蔑視する事が出来る賢人集団なのであろうか?
概して、こうした日本人の動きを観察すると、日本人コロニーに於いては、仲間どうし打ち明けて、陽気に過ごすと共に、現地の人々に対しては威圧的な態度をとりがちです。その反面、単独では陰性になりがちで、何となく満たされない感情を持つという傾向が見られます。それで持って、日本へ帰国すると偉大なインド帰りとし英雄視されてしまいます。そうなると、またインドを再訪しなければなりません。今一度、「どのようにして旅をするか、どのようにしてインドを歩くか」本当の旅の在り方を考えなければなりません。インドを歩く本をバイブル視した旅、そしてその内容を受け売りすることは、もう結構です。旅の原点をもう一度振り返ってみたいものです。
単純な例に置き換えてみるならば、九州の人が北海道を旅している道中に、大声で「悪い場所、面白くないなぁ」と大声で非難するでしょうか?情報過多、情報過大となる時代です。色メガネをしたままでのインド旅行は、遠慮したいものです。ボラれたり、吹っかけられたりの旅は、それを怒りとして感ずるか、ゲームとして感ずるか・・・。当初は誰でも怒りがちですが、慣れると何でもなくなるのです。回教社会の商売は親戚縁者と友人と一般客とで価格差が生じることが律法に定めてあるそうです。
旅を続ける中で、少しずつ様々な事を体験し、身につけていくことは、広い視野を養うことにつながります。それが真の相互理解への道につながるものと思います。

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