2016年12月28日水曜日

12月16日ミャンマーを振り返って!

インレー湖にて
さて9泊10日の現地密着型の新しい旅の発見を続けながらミャンマーの旅は無事終わりました。様々な場面で私たちの既成概念を打ち砕いでくれるのも、ミャンマーならではの痛快さです。
日本製の左ハンドル左側の乗り降り口を強制的に改造した市内バス。
七輪が今でも重要な燃料としてあちこちで活躍しています。
高速道路にいたっては、追い越し不要で、信号機のない交差点を直角に入り込む構造になっているのには驚いてしまいます。
今でも町を行く人々の半数はロンジー(腰巻姿)で財布や携帯電話を腰の部分にキュッと挟みこんで歩いています。
お子様用の低い椅子でちゃぶ台の上で飲む路上の茶店。
超洒落たお店もあるけども、昔ながらの屋台との対比。
新旧入り交ざり、人々も入り交ざる魔法の国のような社会です。
格別大きな遺跡はパガンやマンダレー方面に残る王朝の跡を除いて、これといったものはありませんが・・・

2016年12月27日火曜日

12月15日 さようならミャンマー

カック遺跡でガイド嬢と

今朝はおなかの調子が悪く、水のような下痢に悩まされての起床でした。ああぁ途中でトイレに行きたくなったらどうしようと一抹の不安を抱えてしまいました。ううむ。仕方ない折角ここの宿がサービスとして提供している朝食(パンとコーヒー)もキャンセルです。市内から空港へはバスで1時間少々かかります。列車は時刻がうまく合いません。ともかく予定より早く出かければ、渋滞にも巻き込まれることもなかろうという事で、7時半の空港方面行のバスに乗ることが出来ました。料金は300チャット25円ほどで18キロほど離れています。幸いに市街へ向かう車線は混雑していましたが、逆方向なので比較的空いていました。ドドドォと急発進、急停車を繰り返す改造バスは迫力満点で、乗務員3人体制での運行です。長距離バスでも、同様に数人乗り込んでの運行はミャンマーならではのおもてなしです。荷物が沢山あるお客には、さっさと手助けします。出入り口にいる係はいわゆる乗客安全係で、急発進、急停車の際には乗客の体を支える役割があります。飛び乗ろうとする客をしっかりと支えてくれるのも彼等の役割です。日本のワンマンバスの運転手がポケモンを操作しながら運転するよりも安全なのかもしれません。それにしても、車掌さんというのは余ほど記憶力が良いのでしょうか!お金を貰ったかどうか、すぐわかるんですね。しっかりと記憶されていらっしゃるようで、二度請求される事はありません。距離によって100チャットから300チャットになっている路線ですが、お客も正直に申告しているようで、まさしく仏の教えに沿ったお国柄かもしれません。

2016年12月26日月曜日

12月14日再びヤンゴンへ

チャイナタウンのレストランにて
ニャウンシェからのバスは深夜の国道まっしぐらでしたが6時到着の予定は7時になりました。メッティラからの高速道路は良いのですが、そこへ到達するまでに時間がかかっていたようです。昨夜のバスはガンガン冷房が効いて寒いぐらいでした。毛布もあるのはあったんですが、それでも寒い。車内の寒暖計は18度から15度を行ったり来たり。深夜1時頃トイレ休憩に入ってからようやく冷房を切ってくれたんですけども。まるでそれは保冷車みたなものでした。何か新鮮野菜でも積んでいるのでしょうか?ミャンマーのバスは昔から貨客混載が原則です。昔出かけたラカイン州にあるビーチリゾートからヤンゴンに向かうバスは床一面にカニが満載されたボックスが敷き詰められていました。今回のバスは床にこそ直接荷物を入れることはないのですが、超ハイデーッカーのバスですから、荷物室にはたっぷり収納することが出来ます。これがミャンマーの現実に沿った運輸手段となり得るわけです。時の流れにそって、乗客も満足でき(何しろ3人掛けシート)超激冷エアコンそしてスナック付けてですからね。乗客の数は36席中半分ほどしか埋まっていません。しかし、荷物は大量です。まあそうしないと高速で走っていると安定が悪いので転覆の恐れありとなります。要するに、モノと客を同時に運べる車両が必要なわけです。ピックアップトラックは、市場と村の間を行き来しますが、皆荷物を大量に持ち込んで乗ります。しかし、そこはぎずぎずした感覚は全くなく、乗客全員が譲り合って、荷物の上げ下げにも共同で、にこにこしながら手伝っています。

2016年12月25日日曜日

12月13日夜行バスに挑戦



バスの切符
大型バスが勢ぞろい(ドライブイン)
宿泊しているJOY Guest Houseの朝食は割と豪勢でコーヒーか紅茶のお好みのものを大きなポットで提供されますから、3―4杯お変わりが出来、お得感にあふれています。二階のバルコニーからは、インレー湖特産のトマトなどが、早朝から荷揚げされる風景を見ながらの朝食は悪くはありません。ただ、バルコニーの前に電線が垂れ下がり、「高電圧注意」の張り紙があるのが気にかかります。部屋も静かで快適です。ホテルやゲストハウスの競争が厳しいようで、インレー湖の宿は思ったほど高くはありません。二人で20ドルほど見積もれば、相応の快適な宿が見つかります。一人だと15ドル前後でトイレシャワー付き、8ドルでトイレシャワー共同という感じになります。前日、この宿でバスを予約しました。何しろ宿からバス乗り場までお迎えが付いて19000チャット(1600円)で三人掛けの大型シートだそうです。他の旅行代理店で聞いても同じような値段で、大きな違いはありません。受付嬢の可愛さにひかれて、つい買ってしまいました。
さて、チェックアウトは12時になっていますから、それまで部屋でごぞごぞ、午後からは散歩の時間です。陽射しの強い日中ですが、のんびりとした田舎街を散策するには、苦痛とはなりません。ブラブラしながら、歩いて15分と地球の歩き方に書いてある名刹に向かった次第ですが、30分歩いても到着しません。結局あきらめて引き返したのですが、後で地元の人に聞いたら、30分はかかるそうな!ああ、だまされたかな!
帰り際には、水たまりの見える小さなスナック屋さんでお昼ご飯です。湖面が近いので空気はひんやりし、地元の人々で大盛況です。店内は若いお兄さんが一人で切り盛りしています。もうてんて舞いをしています。懐かしの七輪(炭火)が二つほどあり、ガス台の代用をしています。七輪というのは火力の調整が難しいようで、現代の我々には使いこなすことはほぼ不可能でしょう。そんな中で、適正価格!シャン・ヌードルは1000チャット(90円)で販売していました。麺のぬめりがまだ取れていないのが残念でしたが、そこそこの味でお肉もたっぷり入っていました。何気なく歩きながら、ひょっと迷い込んだお店というのは小説にもなる世界です。いったん宿に引き返し再び散策です。偶然目に入ったマッサージのお店へと友人の足はスイスイと運んでいきました。ミャンマーは、未だに人の良さ、素朴さを随所で見ることが出来ます。そこに住む人々は仏教信仰で去勢されたようにも見えます。と言いながらも、世界のマスコミで報道されていたような民衆の一斉蜂起のような強さも見受けることが出来ます。又、バングラデッシュに国境を接したラカイン州ではロヒンニャ族の迫害や差別などが国連で報道sれています。こうした激しさの裏には、宗教界からの影響も強いようです。今後世界が益々狭くなっていくミャンマーの社会は、どのように変革を成し遂げていくものでしょうか?科学の分野においては、周辺諸国とは大きな差があり、その溝は一向に埋まる気配はありません。そもそも工業化社会が成り立っていない杭です。農業は盛んですが、ようやく農産物のプロセス(加工)をする段階になったきました。一例としてプラスチックのスプーンを自国でつくるにも、その技術がないため、外国から輸入しなければならないという現実を抱えています。
さて、マッサージはたっぷりと一時間かかりました。5時ごろに終了し、宿に帰るとちょうど良い時刻になります。5時半に迎えが来る予定は10分ほど早く迎えが来ました。昔はここからニャウンシェから10キロ離れたシュエニヤンがタウンジーへ通じる主要道路の分岐点にあり、ここからバスに乗り換えることになっていました。今は時代も大きく変わり、ここニャウンシェが始発のバスも登場しました。宿へ迎えに来たバン(タクシー)は5分もしない内にバス駅!停留所に到着です。あれあれ!数名の外国人が荷物を持って待っています。さて20分ほどすると、大型のバスがやってきました。係の人は、このバスに乗るように指示をしています。うわぁ。でっかいバスです。ハイデッカーのゆったりバス。これなら快適に眠れそうです。座席には、毛布とお水そして缶ジュースにスナックのパックが準備されていました。さて、定刻通り6時過ぎにバスは発車しましたが、冷房ガンガンで寒い寒い車内です。この冷房は深夜1時半ごろになってようやく停止となりました。半分寝たような、寝ないようなウツロな気分でバスに揺られつづけた一夜です。

2016年12月24日土曜日

12月12日カックー遺跡

カックー遺跡
カック―遺跡

  この遺跡へ行く手順を掲載します。地球の歩き方にも書いてあるようですが、まずは、タクシーを用意しなくてはなりません。今回はニャウンシェからだと45000チャットで行くことが出来ました。宿で問い合わせると55000チャット、とある旅行代理店で聞いてみると48000チャットとそれぞれ微妙に異なります。今回の利用は偶然街角で見かけたひなびた旅行代理店でした。この代理店は自分達の車を利用していますから、途中の手数料が省かれて安くなっているのでしょう。さて、インレー湖(ニャウンシェ)から50分ほど走るとタウンジーに到着です。運転手は心得ているようで、まずはタウンジーにあるカックー遺跡の管理事務所に立ち寄ります。ここで手続きをすることになります。パスポートを出して(複数名でも一名で良い)一人当たり遺跡入場料の3ドルを払います。これはドル払いでもチャット払いでも、どちらでも良いわけですが、交換レートは今回は一ドル当たり1350チャットでした。そしてガイドの同行が義務付けられていますが、この料金が5ドルとなっています。受付窓口には、民族衣装を纏った数名のお嬢様方が並んでいます。どれも美人ばかりです。その中の一人が我々に同行することになりました。後は運転手とガイドにお任せです。ニャウンシェでは、私たちの泊まっている宿まで車が迎えに来ました。9時に出発したのが、11時半ごろカックー遺跡に到着です。ここで昼食を摂り、ゆっくりと遺跡を見てあるくと1時間半ほどかかります。宿に帰ったのは4時過ぎになりました。出かけてみると以外と簡単でした。遺跡そのものは一キロ四方しかないのでそんなに時間はかかりませんが、なるほどガイドは様々なポイントを知っていますから、大助かりです。印象的なのは、寝転がっている仏様、豚の神様です。卒塔婆の先端は細くて華奢な作りで繊細な細工がしてありますが、春先の嵐でいくつかが破損しています。全体的にヒンズー教の要素も入っているようで、タイにある遺跡(スコタイやアユタヤ)とも類似したものです。帰りは途中のパオ族の村も立ち寄ってくれました。この辺りはニンニクの産地と見え、ガーリック畑が広がっています。いけども、いけどものどかなシャン高原の田園風景が広がっている中を車は疾走していきました。ここからは、隣国タイも遠くはありません。ミャンマーでは収入が低いので、タイに行くと3倍以上の給料がもらえるとの事で、出稼ぎ熱も高まっているようです。所々立派な家を見かけますが、これは出稼ぎマネーで建てられたものでしょう。

2016年12月23日金曜日

12月11日 インレー湖のボートツアー

Joy Hotel の朝食

湖上に浮かぶ寺院
カロ―から乗ったトランクバスは8時45分に出発です。あれあれ、客は私たちだけで出発です。途中で客を拾いながらタウンジーまでいくのでしょうが・・・。値段を聞くと2000チャット(180円)です。昨日のミニバンに比べると激安です。にこにこと愛想の良い車掌に聞くと、この路線は私たちは毎日一往復しているとか!でも、この集客状況で採算が取れるのでしょうか?朝タウンジーを出て、ここカロ―へ来て折り返しの便だそうです。概して東南アジアは朝早くから人々は動きます。インドネシアもタイも同様です。多分このバスは朝早くタウンジーを出て道中買い物に行く客や市場へ野菜を運ぶ人々で満載になったのでしょう。1時間ほど走ると次第に席が込み合い、ほぼ満席で走りました。お客さんが降りたり、乗ったりの連続です。近距離はどうも一人あたり200チャット(18円)になっています。トラックの後部に長いベンチを置いた簡易な乗り合いトラックですから、そんなに料金を頂くわけにはいきますまい。久々の純オープンカーの旅を満喫することが出来ました。車掌はシュエニュアンに到着すると、ここで降りてくださいと親切に指示をしてくれました。
さて、ここから先ニャウンシェまでは10キロほどすで20分ほどで到着の距離です。以前は乗り合いトラックが頻繁に走っていましたから、すぐ見つかると思いきや、ピックアップバスの詰所がありましたが、人相の悪いおっちゃんが「一人1000チャットだよ」と声をかけてきました。いやあ、今乗ったカロ―からの乗り合いトラックに比べると法外な値段になります。どうしようか思案のしどころです。こうした時にはお茶屋に入って、冷静にもう一度検討しなおす必要があります。誰に聞いても1000チャット。ローカルっぽい乗り合いトラックは見つかりません。まあ仕方ない。1000チャットで手を打ったわけですが、地元の人は500チャットで乗っていました。これがやはりツーリストプライスというものなのでしょう。乗り込んだ軽トラックタイプの車両は床に玉ねぎの袋がどっさり積まれ、ようやく私の足が二本入る隙間を見つけて座った次

2016年12月22日木曜日

12月10日タージィからカロ―へ

洞窟寺院
ご自慢のトヨタ2009モデル

ここ、タージィは鉄道の分岐点で東へ行くとインレー湖やシャン州の州都タウンジーに向かう路線、北に向かうとミャンマー第二の都市マンダレーそして南はヤンゴンで西の方向にパガンがあります。最近は道路状況が大幅に改善され、人や物資の輸送は道路が主体となっています。タージィの西数キロ先はミッチラという比較的大きな町があり、ここには、日本の慰霊碑があるとかで、時々日本からの訪問客もあるそうです。さて、朝7時過ぎに目が覚め周辺をウロウロ、カラオ行きの交通機関を探してみました。宿の前に一台の小型バンが止まっていて、客引きをしています。料金は昨夜宿で聞いた通り5000チャットです。所でどうも、この乗り合いバンは、満席になったら出発するというタイプの乗り物です。急ぐ事はありますまい。満席になったら次の便で行けばと思い、まずは朝食に出かけたのですが、まだ動く気配はありません。後4人程集まれば出発です。そんなわけで、私たちも仲間入りで15分もしない間に出発となりました。昔はこの区間は乗り合いトラック(ピックアップ)が走っていましたが、今は進化してバンのタイプになりました。その分料金も値上がりしましたが、快適さは保証されています。30分ほどは平地を走り、後は山道を疾走していきます。これだと予定より早くつくと思いきや、ドライブインで延々と30分休憩です。結局所要時間3時間でカロ―に到着です。

2016年12月20日火曜日

12月9日パゴーからタージィ 列車の旅

パゴーからタージの切符二人分
目玉焼きライス
今日の朝は6時50分に目覚ましをかけました。ともかく7時までに駅に行かなくてはなりません。目覚ましをかけたものの、それ以前に目が覚めてしまいました。宿の従業員3人は受付のある床にマットレスを敷いてまだすやすやと休んでいます。私たちがごそごそとし出したのを感じてか、彼等も素早く起きてお別れをしてくれました。列車出発は7時40分です。駅と言っても5分ほど歩けば到着する距離です。昨日の確認情報では駅前には数軒ものお店やお茶屋、食堂があるのが分かっていたので、余裕たっぷりです。さて、駅に到着してまずは駅長室へ。パスポートを見せて切符購入ですが、何と料金は二人分、上級席で12500チャットです。円換算で二人で1000円という感じでしょうか?これで、距離にして400キロ以上離れ、10時間も列車に乗れるというのは、最高の贅沢かもしれません。切符の販売窓口では普通席の客が列をなして順番を待っていましたが、様子を見ると、ミャンマー国鉄は赤字そのものの気配がします。500円で400キロの移動が出来るという事を信じますか?東京から名古屋の距離に該当するでしょう。普通列車で移動しても4000円はかかります。まさしく謎だらけのミャンマー国鉄です。じっくりと考えてみれば、なるほど納得がいかないわけではありません。人件費が日本の10分の一、設備も日本の50年前と似たりよったり、いやそれ以上古いかもしれません。駅の設備は、とっくに減価償却済の建物です。勿論日本でいうATS(自動列車制御装置)などがあるわけでもなく、システムも超旧式に沿ったもので運営しています。営業係数は1000ぐらいになっているのではないでしょうか?まあ列車の本数が極めて少ないので事故の確立は極めて低い、列車速度も40キロ程度での低速運転ですから安全と言えば安全。思い出してみると微妙な乗り物でもあります。

2016年12月19日月曜日

12月8日 パゴーへ

パゴーで見かけた婦人警官

 ガーデンゲストハウスの朝食はパンとジャム・バターそしてインスタント・コーヒーミックスと簡素なものですが、ヤンゴン市内の中心地スーレーパゴダを目前にしての朝食は最高のおもてないかもしれません。今日はおまけに、昨日岩田さんが日本からはるばる届けてくれたコンビニおにぎりが加わり、豪勢なものとなりました。昨日私が立て替えて両替したチャット(100ドル分)ではこの先一週間ほどの予算には足りません。両替商の開店時刻は朝8時半で夕方6時半まで営業をしているとの事で、朝食後すぐ隣の路上喫茶店でお茶をすすり、時間合わせをしながら両替店に向かいました。今日のレートは1ドルが1270チャットです。面白いことに、1ドルと100ドルでも両替率は異なります。又新しいお札と古いデザインのお札でもレートが異なり、最新の100ドル札は1370チャット、どれだけ新しくて、しわ一つない旧デザインのドル札は1360チャットとレートが異なります。100ドルの両替に対して7000チャットの開きは大きいものがあります。全部でとりあえず200ドル分の両替です。昨日と合わせて300ドル分のチャットがずっしりと私の懐に収まりました。

2016年12月18日日曜日

12月7日 空港へお出迎え!

ヤンゴン環状線車両は日本製
日本とヤンゴンは全日空の直行便で結ばれています。日本発が午前11時で、その日の夕方ヤンゴン現地時間で16時半が到着時刻となっています。現地の新聞の今日のフライトの欄には午後3時40分と記載されています。実際に飛行機がついたのは、16時10分で、予定より早く到着したことになります。飛行機が時代と共にその機材が新しくなり若干速度が向上し予定より早く到着しています。航空会社の時刻表よりも早く到着するケースを多く見かけます。さて、友人には空港へ迎えに行きますと連絡を取ってあるので、得意技のヤンゴン環状線を利用することになりました。2時10分ヤンゴン発の列車は3時前には空港最も近いパ・イェット・セ・ゴン駅に到着です。帰りの列車時刻を確かめた後、ブラブラがたがた道を歩いて20分ほどで空港に到着です。冷房の効いた待合室で電光掲示板を見ると友人の乗る全日空便は午後4時10分到着確定と表示されています。さてさて、待つことおよそ1時間、ぼつりぼつりと乗客が入国審査を終えて機内預け荷物を取り出して到着ロビーに解放されていきます。日本からの直行便は様々な人々が乗り込んでいるようで、バッジやステッカーを付けた団体観光客、商社マンらしき人々、そして個人旅行客(以外と少ない)そして韓国から乗り継いだとみられるミャンマー出稼ぎ組などが吐き出されていきます。そんな中で10年ぶりに再会する岩田さんの顔を拝見することになりました。あれあれ、荷物がちょっと多いかな!スーツケースとディバック!

2016年12月7日水曜日

ヤンゴンの巻き寿司


ミャンマーの街角で見かけたお寿司屋さんは、22番街の通称チャイナタウンに住居を構え、反対側のインド街のYMCAの路上で巻き寿司を販売しています。巻きずしと言っても、意外と本格的なもので、その場で具をのせてしっかりとスダレで巻いて出来上がりです。親戚の甥っ子がお店を手伝っています。一本を6切れにして切り分け、上にはマヨネーズたっぷり載せ、発泡スチロールの容器に入れて1000チャット(86円)で販売しています。お味も値段から言っても遜色はなく、私の口にピッタリでした。買い物ついでに、ミャンマー語で話始めると、彼は元は船乗りで、アジア各地に出かけたことがあるそうです。東京にもいたとの事で、たどたどしいながらも日本語を話します。マレーシアで2年ほど働いたことがあるそうで、話の中で時々マレー語が混じってきました。それで、マレー語で話が弾んでいきました。お寿司は結構売れているようで、通りがかりの人々が良く購入しています。午後2時から6時半ごろまでの営業です。こんな楽しい光景に出逢うのもミャンマーの旅の楽しさの一つです。

2016年12月5日月曜日

ミャンマーに吹く自由の風

さて、ミャンマーの旅行は以前に比べると色々な変化があります。2015年からは陸路でタイへ入ることも可能になり、昔の軍事政権の下では考えられない状況に変化しました。政府から指定された宿以外寺院での宿泊も可能になりつつある日々です。ミャンマーでは、外国人宿泊許可のある宿は外人を受け入れる事が出来るのですが、一定の設備(清潔なトイレや冷房、非常口の設置などなど)に合格した宿にはライセンスが出ているようです。私たちが、冷房不要、トイレ共同でよいから安いのが良いと思っても、受け皿は極めて限られていました。最近は、こうした状況が徐々に変わりつつあり、現地の商人宿のような設備でも、英語の看板(GUEST HOUSE)を掲げて商売を始めています。なるほど、これだと、ミャンマー人の生活をより一層深く知ることが出来ます。あまりきれいとは言えませんが、私にとってはほどほどの設備で安心して泊まることが出来ます。パハンでは全くの地元宿に宿泊することが出来ました。料金は7000チャットですから日本円で600円でした。価格はさておいて、宿の人々は親切そのものです。こうした宿では領収書など発行される事もなく、受け取る側と支払う側の完全な信頼関係で成り立っています。愛想の良い旦那は、独特のシャン風の布カバンをぶら下げて、その中に現金を放り込んでいます。そういえば、パハンからヤンゴンへ行く道中、立ち寄ったドライブインでエビセンベイを買った時は、財布というか、キャッシュレジスターはプラスチックのバケツでした。こんな微妙な感覚を伴いながらミャンマーの日々が過ぎていきます。

2016年12月4日日曜日

ヤンゴンへ


朝7時に起床で朝食を済ませて旅立ちの準備です。8時のヤンゴン行きのバスを予約していますが、バス乗り場までは歩いて5分もかかりません。昨日切符を買った時には、宿のマダム兼雑貨店オーナーをは、店番を誰かに頼んで親切に「ここで待つんですよ」と私の手を引いて薄暗い街の中、場所を詳しく教えてくれました。いやはや親切そのものです。格別に宿から買ったからということで手数料を取るわけでもなく、ミャンマー人の優しさに触れる旅は延々と続きます。さて、予定より10分早く着くと、係が待ち構えて、ここで待ってくださいと新しい場所を指定してくれました。バスはあっちから来るから!待つこと25分、ようやくバスは姿を現しました。この場所から乗り込むのは私一人だったようで、誰も他にいません。同じ時刻に数社のバスがヤンゴンに向けて出発です。料金は300キロの距離を5000チャットですから450円程度の価格です。しかも冷房付きで、ガンガンと冷え込んできます。寒さよけに毛布までついているではありませんか!昔に比べるとサービスは格段に良くなったものです。15年程前に訪問した時にも長距離バスを利用しましたが、切符を買う時はエアコンですと聞かされ、最初の2時間だけ、見かけは立派なバスに乗りました。エアコンというのも名前ばかりで、乗車時はエアコンが効いて、出発するとエアコンは停止です。皆窓を開けて自然の温風まがいの冷房を効かせるしかない時代がありました。

2016年12月2日金曜日

パハンの市場

お魚がいっぱい
今日はパハンの市場をじっくりと観察しました。私たちには想定外の出来事が多く見受けられます。路上には、桶から飛び出したナマズが一匹放置されたままで、誰も気に留めてはいません。様々な種類の魚がひしめいています。それは、ミャンマーの築地市場なのかもしれません。魚と言い、野菜と言い商品が山積みになっています。大きなスイカが売りに出てたので、一切れ買って味を試したみました。日本のスイカに比べると若干甘味が不足していますが、まあ許容範囲でしょう。それにしても、一切れ8円の世界です。キャベツは、近代的なスーパーマーケットでは一玉40円を切っています。日本の価格からすると恐ろしいくらいに物価安の世界です。まさしく食べる事には不自由しないお国柄のようでもあります。
今日の昼ご飯はつけ麺を頼んだのですが支払いになると、おつりがないようで、代わりにインスタントコーヒー(ミルク、砂糖入り)を頂きました。これが十分まかり通る世界です。

2016年12月1日木曜日

モールメインからパハンへ

モールメインからパハン
約60キロ






















今日はモールメインからパハンへ移動です。宿を朝9時5分に出発して、パハン行きの切符売り場までは昨日チェックしてあるので安心安全です。歩いておよそ15分ほどの距離にあります。さて、切符売り場に到着したのが9時20分ちょうどでした。事前に聞いていた1000チャット(86円)を支払うと紙切れみたいなものをもらいました。切符には座席番号と出発時刻が記載してありますが、これ全てミャンマー数字でカタツムリの丸文字だらけです。そばで待っている乗り合いピックアップには、

2016年11月30日水曜日

モールメイン

ミャンマー各地にある寺院

200年ほど前の教会

スクールトラック
昨日と今日はモールメインの街を歩いてみました。これと言って格別に見るものは無いのがミャンマーの一般的な街の形態です。中世の面影を残した街並みというのは、この国では見当たりません。いずこも新しい街というか、現代の町のパターンです。近年になって高層建築や洒落たビルそしてショッピングモール等が発達し始めています。と言っても、それはせいぜい4階建て程度の小規模なもので、内装などはやはりバンコクの華やかさととはまだまだかけ離れています。この都市の形成をアジア各方面から検討すると面白いものがあります。

2016年11月29日火曜日

ミャンマー夜行列車

グリーン車!

モールメイン行9:00PM発

こちらは普通車両
今日の夜は久しぶりの夜行列車です。ヤンゴンを9時出発で翌日5時半にモールミン到着の予定です。5500チャットすなわち約500円ほどの料金で300キロの移動が出来るわけです。まさしく、ガッタンゴットンとゆっくりと列車は進んでいきます。久しぶりの列車の旅には心も踊ります。座席は2×1の超デラックスと思えども、エアコンはなし、窓の作りギシギシしていて、開閉するのに一苦労。近年は道路が改善されて、夜行バスが頻繁に走るようになりました。これっは、冷房付きですから、少々高くても、多くの方が利用するので、列車の予約は比較的簡単にとることが出来ます。
前日に切符を購入しましたが、窓口の混雑はゼロで、インドの列車予約とは大きく異なります。
切符には、英数字で列車番号そして座席番号が記載してあるのですが、出発時刻の1時間前に駅に入り、15分ほどしたら、予定の列車が入線です。まだ時間が早いようで、客の数はまばらです。そんな中、ミャンマー人が私に切符を見せて、「私の席はどこ}と聞いてきます。切符を見るとローマ数字で記載されています。これだと彼等にはピンとこないわけです。私たちがミャンマーに入って、市内バスやメニューなどの数字が全てミャンマー語で記載されていると、判別できないのと同じ感覚です。それで、やおら、私が彼等を案内する羽目になりました。うむむ!

2016年11月27日日曜日

7. 列車でスーラットへ


7. 列車でスーラットへ

ボンベイの宿で新しく購入したルンギ(腰巻)に火が付きまして、一部穴が開きました。35ルピーもしたのに・・・。原因は蚊取り線香の火で、直径3センチの穴が3つも・・・。悲しみ一杯なのです。
北インドでは庶民の飲み物Teaの値段が何となく高いのです。列車内でのコーヒーの価格は南から遠くなるに従い徐々に高くなり、ボンベイではマドラスの丁度倍の価格です。その反面清涼飲料水(リムカという柑橘系の炭酸入りドリンクやカンパ・コーラ=インド伴コカ・コーラ)は大きな値上がりを感じません。これはスリランカでも同様で、工場で大量生産される瓶入り飲料の価格は相対的に低下しています。「インドでチャイ(通常飲まれるミルク入りの甘い紅茶)を飲んだ」という事が語り草になるのも、時の問題かもしれません。
チャイ(Milk Tea)の価格が50パイサ(0.5ルピー)の時リムカは2ルピーで4倍の開きが、その後、チャイが1ルピーの時は、リムカが225ルピーでその差は2倍ちょっとで追い上げています。
今年は天候不順で南インド特産のココナツが不作で、関連する商品は高騰し異常価格です。

2016年11月26日土曜日

ミャンマーのネパール人

今日の朝はラーマンさんの自宅近くにあるネパールレストランを訪問しました。なるほどなるほど、多くのネパール人が昼ご飯に集まってきています。レストランの主人はご機嫌で、近くにネパール人の宿泊所があることを教えてくれました。立派なビルで宿泊施設を兼ねています。入口にはタウンジーからやってきた母と娘がいたので、ご挨拶です。久々のネパール語会話を楽しむことが出来ました。この施設はおよそ10年前に、宝石の商売で財を成したネパール系ミャンマー人一個人の手で作られたそうで、ミャンマー国内のネパール系住民が自由に利用できるとの事です。しかし大原則があり、この施設を利用できるのは、ネパール系ミャンマー人のみで、外国人やインド系、ビルマ系の人々は残念ながら利用できません。又最長15日間の滞在は可能で、期日が過ぎるといったんでなくてはなりません。数日後には、又利用できるそうです。いわゆる、こうした設備はダラムシャラと呼ばれています。インド各地、特に巡礼地ではそれぞれのコミュニティが利用できる宿泊施設が整っています。いや、しかし立派なものが出来ています。日本円に換算すると数億円の評価になるでしょう。屋上には、ネパール独特の仏塔が建立されています。お見事なものでもあります。ネパール系ミャンマー人を対象にした設備は他に、マンダレーにもあり、タウンジーにも存在しているとの事です。ネパール人の多くは、ミャンマーが英国の植民地時代だったころ傭兵として派遣され、その後も住むことになるわけです。ミャンマーの北には特に多く住んでいるとの事。私たちの知らないところで、様々な活動が為されているわけです。
 

6.ボンベイ、人の波

6.ボンベイ、人の波
2月上旬のボンベイ市内は、空は澄んでいても、朝晩の冷え込みはかなり厳しく、どうしてもブランケット(毛布)が欲しい土地柄です。半袖シャツとルンギのみでは凍え死ぬ?ようにおもいます。ここで、改めて南国、スラランカや南インドの良さを知ることになるのです。ちょっと努力すれば、国力が豊かになるようでう。と言っても、何があれば、豊になるのでしょうか?スリランカは最近物質的に富んできました。タミールナド州は精神的に富んだ土地柄と見受けます。この両者―物質と精神を平行して進ませるのは、かなり困難でありまするぞ。
どうもボンベイは、日を追ってインドらしさから離れていくようです。ここは大都会も大都会。もう人口過剰で、都市の機能はその容量をはるかにオーバーしたような感じがしてならないのです。V.T(ビクトリア・ターミナル)駅とその周辺は、いつも人、人、人の大群が、延々と続いております。そしてタクシーの波。一体これが人間の生活なのでそうか?これを持って豊になったと思うと、ゾォーとするものがあります。

2016年11月24日木曜日

5. インドの話あれこれ(ボンベイ行) 

5. インドの話あれこれ(ボンベイ行) 1984.3.19受信分
マドラス発13:55のボンベイ・メイル(夜間急行)は、ほぼ定刻に満席で発車しました。馴染み不快タミール・ナド州から離れるのが、少々悲しい感じです。列車内は殆どが南インド人で、とても温厚なる空気です。乗客の多くはルンギ(男性用腰巻)に着替えをし、列車内でくつろいでいます。
インドの列車は遅れるのが当たり前という言葉をよそに、帝国の9時数分過ぎにボンベイに到着しました。早速以前投宿したPopular Lodge(ポピュラー・ロッジ)に宿をとりました。翌日は政府観光案内所、東京銀行そしてエジプト航空の3か所で終え、予定の2泊を1泊に切り替えて、このGreat Bombayを脱出です。ボンベイを夕方5時の急行自由席で264キロ北に位置するスーラット(Surat)に到着したのが夜の10時ですから約5時間の旅です。
こうして思うに、矢張りボンベイとマドラスはその顔つきや空気が違ってきたようです。インドで最もインドらしい、印度的だなぁと私が感ずる土地は、どうもタミル・ナド州に集中されているように気がします。と申しますのは、南インドは極端に物価が安いのでして、もし、このタミル州がお金持ちで裕福になったらボンベイ同様インドではなくなるともいえましょう。格別に金持ちを否定したり、貧乏人を肯定したりするのではなく、一つの観点として、捉え方としての比較です。
タミル・ナド州のトリチラパッリで宿泊した宿のルームボーイ達は、一カ月約60ルピーんお手取りと年に二着の新しい制服が支給されます。それでも彼等は何となく楽しそうに、はしゃぎながら毎日を暮らしています。私自身も、彼等と共に、映画の話や村の話を聞いきながら気楽な日々を過ごしています。

2016年11月23日水曜日

4. マドライ



4. マドライ


1月末のマドライの陽射しは、とても強いのです。ちょっとカラリとした感も致します。朝夕は過ごしやすいのであります。マドライを見ていると、印度的だなぁと感じます。特にスリランカから来ると、尚その感じが強くなります。いつもお世話になるガネッシュ・メスなる食堂では、食事の際は、何と11人ものスタッフに面倒を見てもらうことになるのです。水を運んで持ってくる係、お皿代用のバナナの葉を配る専門家!ご飯(ライス)を給仕する係、副食を並べていく係、バケツに入れたカレー汁をかける役割の人、食事後のテーブルを掃除する係など、完璧な分業体制です。日本とは全く異なったシステムですから戸惑うことでしょう。開店そうそうに行くと、総勢10人のスタッフに見守られて食事をすることになりかねません。客の数よりも、従業員の数が多いこともしばしば!街の賑わいは、スリランカのコロンボやカンディの比ではありません。
・八百屋には総合野菜販売業は少なく、玉葱専門店、芋類専門店などと、これも分業の度合いが深いものと感じました。
・郵便局の近くに、封筒や関連した必需品が売られているものと思っていたけど、なかったのが残念。
・いんどの船会社、出入国事務所・銀行では、矢鱈と人が多いのに気が付く。よく見ると書類をあっちへ持っていったり、こっちへ持って来たりする係(ペオン=英国方式)がいます。私たちには風変りに見えますが、当人達は休む間もなく一生懸命ですから、努力は買いましょう。現地のシステムに順応することが大切です。
・マドライより、トリチィのバスは3時間。160キロの道を10ルピーの料金で走るのであります。日本に比べると馬鹿安です。図体の大きいアショカ・レイランド社の車体が、ドコドコと唸りながら走ります。その点スリランカを走る日本製のミニバスは、何と言ってもこまわりが効くようで、まるでコマネズミのようにくるくる走ります。比較すると、さしずめ象車と猫車の違いなり。道中、緑豊かなのに驚きます。4月以降のTamil Nadu州はカラカラ天気で褐色の世界に近いのに、今は緑の絨毯です。しかし、同じ南インドでも西側にあるケララ州や、スリランカ南西部のように、鬱蒼として森林やジャングルがないことに気が付きます。丘には、うっすらと低木が茂っているにしか過ぎません。しかし訪問する季節によって、こうも違うものかと印象づけられます。
・先日のラメッシュワラム到着時の話に戻ります。ある日本人旅行者が、「Change Money・・・と言っているから、スリランカ・ルピーをインド・ルピーに交換できるさ。」と丁寧に別の旅行者に自信を持って説明しています。私が現地語でレートを確かめてみると、100スリランカ・ルピーは3538インドルピーでした。現実に交換した経験者は、信頼ある情報の持主なはず何ですが・・・。

2016年11月22日火曜日

3.日本人いろいろ



3.日本人いろいろ


A氏:下船後、入国カウンターで見かけた中年(3545歳)。重い荷物を背負って、疲れた感じ。声をかけたが、無口で反応なし。干渉すべきかどうか迷ってします。
B君:スリランカで出会って、10日間ほど同じ宿に滞在した。いつも不平、不満をブーブー言う27歳の日本人。彼の話は最もらしく聞こえますが、内容を深く突き進むと、考え方は可成り浅薄。
C君・D嬢:学生で二人ともスパスパのタバコ好き。日本を4日前に出て、スリランカ滞在の3日間滞在後、この船でインドに渡る。「ラメッシュワラムで一泊ゆっくりと」と船上で話していたけど・・・。クタクタになりながらも、B君と一緒にマドラス行きの列車に乗り込む。
E氏:30歳前後。インドの初旅で、日本を出発して数か月。10PMの列車に乗ってインド最南端に向かう予定が、何故か、B-E4人と一緒の行動。南インドはバスが便利と説明しても受け付けず、列車の時刻表とにらめっこしている。

2016年11月21日月曜日

2.インドを歩く日本人



2.インドを歩く日本人

最近、日本人旅行者に接する機会が多くなりました。その事柄に関係して感じますことを、少しばかり書いてみようと思います。殆の人に共通することは、日本語は十分理解出来るが、英語は極めて苦手(小生も似たりよったり)。勿論現地語も差パリ。まあインド社会に来て間もない人々には無理駆らぬことかもしれませぬが。現地語に関しては、数か月後には、ある程度の用が足せるのが一般的かと思いますが・・・。郷に入っては郷に従えとやらで、皆さんはドラッグ(大麻吸引)の方向に努力を傾注されているようであります。勿論言葉が全てというのではありませぬ。言葉が出来なくても、ユーモアのセンスを持って上手に旅を楽しんでいる人々も数多くいる次第です。この両者を持ち合わせない人々は、一種の硬直状態を抱えたままの旅に陥りやすいようです。

2016年11月20日日曜日

1.インドへの船旅



1.インドへの船旅

スリランカからインドへ渡る航路の切符は、接続する列車出発の5日前からコロンボ駅構内(Tourist Counter cum Railway Information Center)で求めることが出来ます。規則では25名の割り当てしかないのですが、何故か実際は60名の外人が乗車、乗船します。コロンボ発夕方の650分の列車に乗ることになります。当日切符を求めた日本人が二人いましたぞ・・・。料金は全部で341ルピー。2等自由席はちょっと混雑します。一人10ルピーで座席取りのダフ屋も登場。
1220  PM6:30 列車がホームに到着。プラットフォーム⑦番。
                PM7:05  コロンボ・フォート駅出発、予定より15分遅れる。
                PM7:30  マシンガンを持った兵士が五名巡回に来る。05
                PM8:00頃 乗車券拝見ということで鉄道職員が来る。
                                          その後数度にわたって鉄道公安官と兵士が巡回
1221日 AM 0:05  アヌラダプラ到着
                  AM 0:45  アヌラダプラ出発
                  AM3:40  タライマンナール桟橋到着

2016年11月19日土曜日

さて、どうなるか民族抗争



さて、どうなるか民族抗争

さて、タミル人とシンハリ人の抗争は一向に終わるようには見えませんが、どうもスリランカ政府の武力による根絶方針は長期にわたり、失敗に終わるような気配を感じてならない。すなわち、スリランカ政府の台所は大火事で、大蔵大臣が先ず悲鳴をあげた模様です。何しろ、ここ8カ月間の軍事費用は通常の20倍に膨らみ300クロール・ルピー。これを日本円に換算すると一カ月で30億円。すなわち一日あたり1億円を投じている勘定になります。間接的損害はこれ以上になっていることでしょう。
軍隊の数は、公称14,000人。こうして考えてみると、タミール人はしぶとく張り付いているようであります。さらに又、スリランカの外貨事情は悪化する一方です。以前にも述べたように観光収入のジリ貧、紅茶の生産高は例年の40%に低下し、国際市場ではインド産・中国産のTeaに押され気味。しかも近年アラブ諸国はスリランカ人の雇用を控え始めあとか。スリランカ政府軍は、イスラエルの後方支援を受けているという噂もうなづける次第です。更に石油価格の低下で中東諸国の通貨が弱くなり、海外からの送金も激減しそうです。世界的に民間の海外援助の中止も出始めています。どうもマイナスの材料ばかり続きます。

2016年11月18日金曜日

ランカ人根性物語



ランカ人根性物語

スリランカに出入りを初めてあら67年は経過したでしょう。人によってその印象は百人百様かと思います。短期間の一カ月以内の旅で且つ一日10ドル以上の費用で旅をする分には、スリランカ航空(Air Lanka)が言うように「パラダイス」かもしれません。それが7ドルから下がると、旅はみじめ?となる感が強いのです。
こうして何度も出入りをしてみると、時には良く、時には悪く、その印象が異なってくるものです。さて近年は、この各種なる意味での小悪魔たちの住む国を何となく愛するようになりました。それは、我々人間のどこか奥に潜む悪魔的存在を否定できないように・・・。そこにスリランカに対しての最終的な答えのようです。いつかは、また訪れたいと思います。逆に言うと、そこに住む人々は如何に忠実に育っているかをも教えてくれるようです。