2016年12月26日月曜日

12月14日再びヤンゴンへ

チャイナタウンのレストランにて
ニャウンシェからのバスは深夜の国道まっしぐらでしたが6時到着の予定は7時になりました。メッティラからの高速道路は良いのですが、そこへ到達するまでに時間がかかっていたようです。昨夜のバスはガンガン冷房が効いて寒いぐらいでした。毛布もあるのはあったんですが、それでも寒い。車内の寒暖計は18度から15度を行ったり来たり。深夜1時頃トイレ休憩に入ってからようやく冷房を切ってくれたんですけども。まるでそれは保冷車みたなものでした。何か新鮮野菜でも積んでいるのでしょうか?ミャンマーのバスは昔から貨客混載が原則です。昔出かけたラカイン州にあるビーチリゾートからヤンゴンに向かうバスは床一面にカニが満載されたボックスが敷き詰められていました。今回のバスは床にこそ直接荷物を入れることはないのですが、超ハイデーッカーのバスですから、荷物室にはたっぷり収納することが出来ます。これがミャンマーの現実に沿った運輸手段となり得るわけです。時の流れにそって、乗客も満足でき(何しろ3人掛けシート)超激冷エアコンそしてスナック付けてですからね。乗客の数は36席中半分ほどしか埋まっていません。しかし、荷物は大量です。まあそうしないと高速で走っていると安定が悪いので転覆の恐れありとなります。要するに、モノと客を同時に運べる車両が必要なわけです。ピックアップトラックは、市場と村の間を行き来しますが、皆荷物を大量に持ち込んで乗ります。しかし、そこはぎずぎずした感覚は全くなく、乗客全員が譲り合って、荷物の上げ下げにも共同で、にこにこしながら手伝っています。

朝7時過ぎにアウンミンガラーバス駅到着ですが、このバス駅はものすごく広くてミャンマーの北、東方面からのバスの発着場となり、行先事に通りの名前が付けられています。同じマンダレー行きでも複数のバス会社があり、それぞれが、自分達の乗り場を確保しているようです。昨年バガンから到着したバス、つい最近パハンから到着したバス、そして今回インレーから到着したバス。それぞれの停車場(プラットフォーム)は最大歩いて10分ほどかかります。夜に到着すると方向感覚が分からなくなり市内バスの乗り場を探すのに大変です。でもゴーグルマップがあれば大丈夫かな!市内バスがなくなるとタクシーのお世話にならなければなりません。この料金が馬鹿高くつくわけです。パハンからヤンゴンのバス料金(約300キロ6時間5000チャット)よりも高い料金になってしまいます。複数なら割安ですが、単独だと、長距離バス以上の値段になってしまいます。
さて、料金の事は別として、座席の幅も広く、比較的ゆったり過ごすことが出来ました。しかし半分寝たような、半分目が覚めていたような感じで熟睡とはいかなかったようです。多少揺れても夜行寝台列車の方が休めるかもしれません。しかし、ここインレー方面からの列車は寝台車がついていないのが難点です。しかも所要時間が24時間と記されています。
バスを降りるとタクシーが客引きをしていますが、それを横目でちょっと離れた茶店でモーニングティーから一日が始まります。600キロを超える夜行バスは老体にはちょっと厳しかったかなぁ。お茶さんで一休みしていると向かいの席にはタクシーの運転手とその友達とやらがお茶を飲んでいます。私たちが外人とわかると、タクシー7000チャットで市内いくけどと声をかけてきました。いいや、市内バスで行くと答えると素直に引き下がりました。最終的にはタクシーを利用して市内に入ることにしました。出発が朝の7時半ですが、すごい渋滞で結局1時間半かけてようやくスーレーパゴダに到着しました。
幸いにガーデンゲストハウスは空き室ありで、今回はホットシャワーの出る部屋と水シャワーの二つを取ることにしました。朝9時前に到着してもチェックインをして部屋に入れるのは、本当の優しいおもてなしですねぇ。大体においてミャンマーの場合は朝早く到着しても部屋が空いていれば、即入室OKになっています。日本のように午後3時とか4時チェックインのシステムだと不自由でかないません。
さて、バスから下車した時に気が付いたのですが、私の前には日本の女性が座っていました。一人旅で2か月ほど東南アジアを回っているとの事、これからバングラデッシュやインドそしてネパールを周る予定だとか。一緒にお茶を頼んで一休み、結局三人でタクシーをシェアすることになりました。
近年日本に住む外国人が多くなり、自宅近辺に友人が出来たりしますから、情報も簡単に手に入りやすくなりました。しかし、殆どのこうした友人達は意外と自分の国を旅行していない場合が多く、ちょっと辻褄が合わない場合もあります。友人に頼まれたとかで、今から日本からのお土産をヤンゴン市内の友人宅に届けにいくとの事でした。正式な住所はなく「31番街でこの写真みせたら分かるという」単純そのもので写真が数枚持参です。果たしてこれで家族に会えるのでしょうか?・・・・結果は見届けていませんが、これで十分たどりつくことが出来るのがミャンマーの面白い部分です。
私が2005年に訪問した時、ちょっと腰痛を患い、毎日近くの病院に通ったことがあります。当時は印刷所を経営していたかたです。確か30番か31番通りか記憶は定かではありません。タブレットに10年前の写真を入れて、近辺のお店に見せると、即「知っているよ!所で何でこの人に会いたいの?」と怪訝な顔をされましたが、事情を説明して納得、即連行で、もう一本通りを挟んだお店に案内してくれました。
さて、ヤンゴン市内で事業をしている多くは中国系かインド系のミャンマー人が多いようで、私の友人は南インド系の友人です。この印刷所を経営する主人は今は長男にお店を任せて、ちょっと南インドにいる母親の所にでかけているとの事でした。2か月ぐらいインドにいるとの話で、今回は会うことができませんでした。私が来年1月25日に南インド行く予定を伝えると、南インドの連絡先を教えてくれました。是非とも11年前のお礼を言いたいものです。彼のお母さんはまだ99歳で健在そのものらしく、何不自由なく暮らしていらっしゃるとか!
所でこの家族はすごく日本贔屓な方々でして、長男は日本で4年ほど過ごしたことがあるそうで、今も日本語を忘れていません。確かお父さんも日本にいたことがあるとか・・・。そうした意味ではものすごくたくましい人々です。昔はビルマと呼ばれていた時代でも、何等かの方法で日本に潜り込んで、日本語を話すようになって、たとえそれが不法滞在であろうが日本の文化や技法などを取り入れながら現在に至っているわけです。ちなみにこの印刷店は、一階に日本製の印刷機が二台あり(中古一台400万円)上は作業場で、10人ほどの従業員がパッケージの包装などの手作業に追われていました。ミャンマー国営通信会社(MPT)のパーケージを引き受けたり、ミャンマー国際航空の印刷部門を受け取ったり活発に事業を展開しています。
今度日本に出かけて、中古の良い印刷機を手に入れたいと夢を語ってくれました。
話は余談になりましたが、日本人の旅行者の持参していた写真を見ると、この家族もインド系ミャンマー人です。しかも、どうも結婚式の写真のようで、名前も記載してあります。名前からするとイスラム系の家族です。衣装もイスラム色がにじんでいます。回教徒の服装と言えば、黒づくめで全身くろのベールで覆われたカラス派衣装がイメージとして沸き上がりますが、ここミャンマーはそれほどきつくもなく、結構華やかに着飾っています。でも何となく肌の露出度が低いんですねぇ。やはりインド系や中国系は、昔からのコネを利用して巧に生活をしていかざるを得ない伝統を引き継いでいるのは間違いありません。
宿についてちょっと一休み、隣のお茶屋で又テータイム。今日明日のチャット不足に備えて20ドルを両替です。銀行のレートよりも50チャット多くもらえますから、100ドルでは5000チャットの開きになります。この金額は円では500円ですが、これで300キロほどバスで移動できる金額です。焼き飯大盛3杯分の値段です。この両替所は29番街と30番街の中ほど、アノーラッタ通りに面した場所にあります。ネオンサインの看板があがり、店内にはしっかりとレートが表示されています。しかも領収書もその場で発行、明朗会計で便利なお店でした。昔の両替光景とは大きく異なり大きな前進ともいえるでしょう。でも相変わらず札束を抱えて街行く人々を見かけます。ピックアップトラックは、ビニール製のセメント袋のようなものにびっしりと札束が積み込まれ、それが何袋もあってまるで現金輸送車そのものです。普通のピックアップトラックですから、金網も鉄格子もありません。それで、びっしり詰め込また札束の入ったズタ袋を運んでいるには驚愕の呻きを発するしかありません。ミャンマーだからこそ出来るのかもしれません。
昔の両替はいわゆる闇両替という言葉どおり、裏でこそこそ両替をしていました。お店によっても開きがあり、ホテルやゲストハウスなどでも両替をするようになっていましたが、これもあくまで闇両替の一部でした。当時は宿代、列車代、入場料そして一部のバス代金などはドル払いの規則になっていました。今はチャット払いに変更になりましたが、最近のドル高の影響でドル払いが好まれています。宿の方も、ドルが上がれば、チャットでの支払いも上乗せするようになりました。しかし地方に行くとドルのレートは低く計算され、ヤンゴンで高いレートで交換したチャットで払うのが有利な場合があります。ヤンゴンでは1ドル1370チャットで計算しますが、地方では1300チャットで計算していました。仮に宿代金が10,000チャットだとすると700チャットの差額が出ます。この金額ならば田舎でお茶タイムが二人で二度出来る計算になります。食事は闇両替のチャット払いという二重構造でしたから、予算の配分がちょっと厄介な時代があったのです。一時はFEC(Foregin Exchange Certificate)=兌換券なるミャンマーでしか通じないドル札を強制両替させられる時代もありました。(一回の入国に付き200ドル分)これをうまく案分してチャット札と両方持たなければなりませんでした。
両替を終えてスーパーマーケットでどんなものがあるか眺めるのも面白いものです。市場と違って値札が貼ってあるので値段がすぐわかります。

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