さて、このブログのシリーズに時々私が10数年に渡って世話をしているシェルパ(ダマイ・サルキ・シェルパ)がいます。田舎の出身で素朴な青年です。本人に出会ったのは14歳の時でした。本人が18歳になった時からほぼ毎年のようにトレッキングのガイド兼ポーターをしてくれました。田舎の出身で寺小屋(僧院)での勉強をした青年には、他に生きて行く道は限られています。ガイドの資格試験や、登山関係の資格取得などの費用を捻出し、本人を励ましてきました。そうした甲斐があって、昨年は技術的に難しいとされるアマダブラムの登頂に成功し、そのGPSのデータを整理して届けてくれました。
一介の田舎の青年が、年を追う毎に成長していく姿を見るのは楽しいものがあります。彼には近年になって、一つの希望がありました。それは、エベレスト遠征隊の登山ガイドとして仕事する事でした。ガイド仲間から様々な情報を入手し、その方法を色々と探っていたようです。
遠征隊の登山ガイドはエベレストとなればおよそ2ヶ月ほどの期間が必要になります。そして収入も従来のトレッキングガイドとは大きく異なり、高収入が約束されます。初回は装備の費用などがかかるのですが、回を重ねる毎に、支給される装備費は一部が純収入に回る結果になります。今までは単発のフリーのガイドとして、カトマンズ市内のトレッキング会社を数軒回りながら仕事を紹介してもらいながら日々を送っていました。
エベレストの遠征隊の参加といっても、有力なコネがなければ簡単に入り込めるものではありません。そんな中で彼に希望を与えたのが、アマダブラムの登頂です。これはシェルパ族の友人のお声がかかり、一緒に同行することになりました。標高7000m弱の標高ですが、技術的には難しく、頂上近くの石室での野営も必要だったそうです。そして拍車をかけたのが、昨年参加したネパール山岳協会主催の氷雪訓練でトップの座を得ることができた事です。本人はそういったことを自慢げに話をするタイプではありません。どちらかというと、おっとり、むっつり、にこにこしているのですが・・・・・。その時の教官のお気にいりになったと見え、教官からお声がかかり今回のエベレスト遠征隊への参加への道が開けたようです。
じっくりと、ぼんくら的に見えるのですが、芯の強い部分もあるようです。正式に学校を卒業していないというハンデーに色々と振り回されてきたのも彼の人生です。ガイドの訓練を受けるにも、近年はSLC(12学年修了証)の呈示が前提となりつつある時代になってきました。そう言った状況を何とかくぐり抜け、すペリ込みセーフの最終段階で訓練に参加してきました。
昨年の晩秋に参加を試みた登山ガイド上級者訓練の参加要項には、エベレストのベースキャンプ2以上の高さに達していなければならないとされています。そんな中での彼のやり取りには、なるほど独特の説得力がありました。「私はエベレストのC2より低いけど、ほぼそれに近いアマダブラムの登頂をしました。それに比べるとC2は標高こそ数十メータ高いけど、危険も何もなく、そこへ行く道はしっかりとルートが設定されているでしょう?技術的にどちらが高度なものが要求されるのでしょうか?」こうしたやり取りを繰り返して、無事申請は受け付けてもらうことが出来たそうです。
しかし、残念な事にロッククライミングのテストの段階で、多くの観客や審査員を前にして、ヘマをやらかしたので残念事に落とされてしまったそうです。ロッククライミングは、常日頃、時間があれば友人達と共にクラブを作って時々練習に励んでいるようで、昨年の全ネパールのコンテストでも、彼のグループは上位に入りました。勿論サルキの腕も、大いに得点を稼いだことでしょう。昨年の秋はペーパーテストは通過したものの、ロッククライミングの失点で訓練の参加を余儀なくされたのですが、今年の秋の再選考を狙っています。
この上級者訓練は通算して三回実施されます。選考は年10人程度の枠しかありません。費用はかなり高いものですが、訓練一回ごとにテストがあり、それを通過すればネパール山岳ガイドとして正式に登録されるそうです。更に最上級の訓練を経して試験を通過すれば国際山岳ガイドとしての免許へとつながるそうです。果たしてどのレベルまで進むものでしょうか?
ここへ到達するには、本人の様々な努力や人柄などが大きく影響してきたものでしょう。資金力にも乏しい普通のシェルパにとって、その多くはトレッキングガイドで人生を終えてしまいます。その中で数割が登山ガイドとして活躍しています。そんな仲間入りに足を突っ込んだ事になりました。ここまで進むとは誰も予想しなかったわけです。私も結果に驚いている始末です。しかし、今後は多大な期待は禁物です。やりたい事を思い切りやって見なさいと・・・
所で、エベレスト遠征隊の登山ガイドとしての役割は非常に重要で、その苦労は並大抵のものではありません。最近は状況が変化したそうですが、山に入る前には、これで人生終わるかもしれないという悲惨な結末を追い払おうと乾杯の連続、そして無事登頂が終わると万歳でまた乾杯の連続。折角の稼ぎがお酒にどんどん消えてしまう人もいるそうです。まさしく、ハードな仕事であることは間違いありません。一年に一度2ヶ月の仕事で一年分を稼ぎ出すとも言われています。果たして、彼らの現実は・・・・・。
3月26日にサルキはエベレスト遠征隊の仕事に参加するべきカトマンズを離れました。帰ってくるのはおよそ2ヶ月後の予定です。私がカトマンズを離れるのは6月6日ですが、それまでに帰れるかどうかは定かではありません。私がネパールの普通の村をめがけて単独トレッキングに奮闘している時に、サルキも又始めての厳しい体験をしていたようです。
エベレスト遠征という、あまりにも華やかな世界がある反面、それを裏で支える登山ガイドの苦労やジレンマは影に隠れてあまり語られることはありません。彼らの壮絶なる格闘とは、どういうものなのでしょうか?今回はサルキからの聴き語りをまとめたものですが、シェルパ側から見たエベレスト遠征の状況を日を追ってお知らせしたいと思います。
一介の田舎の青年が、年を追う毎に成長していく姿を見るのは楽しいものがあります。彼には近年になって、一つの希望がありました。それは、エベレスト遠征隊の登山ガイドとして仕事する事でした。ガイド仲間から様々な情報を入手し、その方法を色々と探っていたようです。
遠征隊の登山ガイドはエベレストとなればおよそ2ヶ月ほどの期間が必要になります。そして収入も従来のトレッキングガイドとは大きく異なり、高収入が約束されます。初回は装備の費用などがかかるのですが、回を重ねる毎に、支給される装備費は一部が純収入に回る結果になります。今までは単発のフリーのガイドとして、カトマンズ市内のトレッキング会社を数軒回りながら仕事を紹介してもらいながら日々を送っていました。
エベレストの遠征隊の参加といっても、有力なコネがなければ簡単に入り込めるものではありません。そんな中で彼に希望を与えたのが、アマダブラムの登頂です。これはシェルパ族の友人のお声がかかり、一緒に同行することになりました。標高7000m弱の標高ですが、技術的には難しく、頂上近くの石室での野営も必要だったそうです。そして拍車をかけたのが、昨年参加したネパール山岳協会主催の氷雪訓練でトップの座を得ることができた事です。本人はそういったことを自慢げに話をするタイプではありません。どちらかというと、おっとり、むっつり、にこにこしているのですが・・・・・。その時の教官のお気にいりになったと見え、教官からお声がかかり今回のエベレスト遠征隊への参加への道が開けたようです。
じっくりと、ぼんくら的に見えるのですが、芯の強い部分もあるようです。正式に学校を卒業していないというハンデーに色々と振り回されてきたのも彼の人生です。ガイドの訓練を受けるにも、近年はSLC(12学年修了証)の呈示が前提となりつつある時代になってきました。そう言った状況を何とかくぐり抜け、すペリ込みセーフの最終段階で訓練に参加してきました。
昨年の晩秋に参加を試みた登山ガイド上級者訓練の参加要項には、エベレストのベースキャンプ2以上の高さに達していなければならないとされています。そんな中での彼のやり取りには、なるほど独特の説得力がありました。「私はエベレストのC2より低いけど、ほぼそれに近いアマダブラムの登頂をしました。それに比べるとC2は標高こそ数十メータ高いけど、危険も何もなく、そこへ行く道はしっかりとルートが設定されているでしょう?技術的にどちらが高度なものが要求されるのでしょうか?」こうしたやり取りを繰り返して、無事申請は受け付けてもらうことが出来たそうです。
しかし、残念な事にロッククライミングのテストの段階で、多くの観客や審査員を前にして、ヘマをやらかしたので残念事に落とされてしまったそうです。ロッククライミングは、常日頃、時間があれば友人達と共にクラブを作って時々練習に励んでいるようで、昨年の全ネパールのコンテストでも、彼のグループは上位に入りました。勿論サルキの腕も、大いに得点を稼いだことでしょう。昨年の秋はペーパーテストは通過したものの、ロッククライミングの失点で訓練の参加を余儀なくされたのですが、今年の秋の再選考を狙っています。
この上級者訓練は通算して三回実施されます。選考は年10人程度の枠しかありません。費用はかなり高いものですが、訓練一回ごとにテストがあり、それを通過すればネパール山岳ガイドとして正式に登録されるそうです。更に最上級の訓練を経して試験を通過すれば国際山岳ガイドとしての免許へとつながるそうです。果たしてどのレベルまで進むものでしょうか?
ここへ到達するには、本人の様々な努力や人柄などが大きく影響してきたものでしょう。資金力にも乏しい普通のシェルパにとって、その多くはトレッキングガイドで人生を終えてしまいます。その中で数割が登山ガイドとして活躍しています。そんな仲間入りに足を突っ込んだ事になりました。ここまで進むとは誰も予想しなかったわけです。私も結果に驚いている始末です。しかし、今後は多大な期待は禁物です。やりたい事を思い切りやって見なさいと・・・
所で、エベレスト遠征隊の登山ガイドとしての役割は非常に重要で、その苦労は並大抵のものではありません。最近は状況が変化したそうですが、山に入る前には、これで人生終わるかもしれないという悲惨な結末を追い払おうと乾杯の連続、そして無事登頂が終わると万歳でまた乾杯の連続。折角の稼ぎがお酒にどんどん消えてしまう人もいるそうです。まさしく、ハードな仕事であることは間違いありません。一年に一度2ヶ月の仕事で一年分を稼ぎ出すとも言われています。果たして、彼らの現実は・・・・・。
3月26日にサルキはエベレスト遠征隊の仕事に参加するべきカトマンズを離れました。帰ってくるのはおよそ2ヶ月後の予定です。私がカトマンズを離れるのは6月6日ですが、それまでに帰れるかどうかは定かではありません。私がネパールの普通の村をめがけて単独トレッキングに奮闘している時に、サルキも又始めての厳しい体験をしていたようです。
エベレスト遠征という、あまりにも華やかな世界がある反面、それを裏で支える登山ガイドの苦労やジレンマは影に隠れてあまり語られることはありません。彼らの壮絶なる格闘とは、どういうものなのでしょうか?今回はサルキからの聴き語りをまとめたものですが、シェルパ側から見たエベレスト遠征の状況を日を追ってお知らせしたいと思います。
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