2013年6月21日金曜日

シェルパから見たエベレスト遠征(6)さようならネパール

登山ガイドとしての見習い生なるサルキ・シェルパの努力そして、多くの困難を乗り越え、積み重ねた経験は今後の彼の人生に大きな影響を与えることでしょう。
Total
ベースキャンプから南峰へのルート
0415BCtoC2
44月15日エベレストベースキャンプからキャンプ2へのログ



0430C2toC3
4月30日キャンプ2からキャンプ3へのログ
0504C3toSouthCol
5月4日キャンプ3からサウス・コル
0510B_SouthSummit to C2
5月10日南峰からキャンプ2へ
昨日のブログで画像データの添付を忘れていました。改めて掲載しておきます。GPSデータは必要に応じて取得したもので、これ以外に、荷物運搬の役目として、数回にわたり、この区間を往復しています。まさに、体力の限界とも言えるでしょう。
こうして、サルキとは、久しぶりに対面することが出来ました。本人も照れていたようです。しかし、本心は、この事を早く私に報告して、色々と話をしたかったとも読みとれます。様々な出来事を質問すると、それに対して率直に答えてくれました。彼からの聴き語りを元にして、今回のブログが投稿されています。人はそれぞれの道を歩むものですが、私達の想像の域をはるかに超えた生き方とも言えるでしょう。
さて、3日間にわたりサルキとの話が弾みました。しかし、私の帰国日は刻々と近づいています。6月6日のAIR ASIAが待っています。私がカトマンズの空港へ行く時は、決まって空港近くのローカルの店で簡単な食事とチャイを飲んで、やわら空港ビルへ向かうのがパターンになっていました。
空港入口へは、風のスタッフが社用の車で送ってくれました。しばらくして、サルキが市内バスでローカルな現地の食堂に姿を現しました。今回もネパールの滞在を楽しいものになりました。最後の時間を、こうしてゆっくりとお茶を飲んで、皆さんに別れを惜しむ雰囲気は何と味わい深いものでしょう。お世話になった人々、お世話をした人々の顔が次々と浮かんできます。こうして、庶民の喧騒に触れていると、何故かしら元気を沢山もらって帰ることができます。
スナップショット 1 (2013-06-21 0-05)エアーアジアは既にウェブチェックインをしていたので、搭乗券は手元にあります。手続きは瞬時に終了。座席は中程の席でした。しかし、幸いな事に、乗務員から声がかかりました。「ネパールの人は英語がわからないから、あなたは非常口に近い座席に代わってください」との事。幸いに右側の窓側の席でした。タイミング良く離陸してしばらくすると、白き峰々がかすかに姿を現しました。
多分それはエベレストだったでしょう。私の胸はふっと熱くなりました。「遠くに見える、あの峰のちょっと手前まで出かけて仕事をしていた息子がいるんだ」そんな誇らしげな気分と共に、こうまでして収入を得なければならない人生の厳しさとが交錯して複雑な思いに駆られてしまいました。
丁度隣の席に座ったいたのが、出稼ぎでマレーシアに向かう青年でした。愛想が良く時々私に話かけてきます。以前一度中東へ一年間出稼ぎに行ったそうです。今度は二度目になりマレーシアへ行くそうです。大切そうに、必要な書類を手にしています。契約書が目にはいったので、良く見ると3年契約で工場での作業です。1日当たりの給料が25マレーシア・リンギットです。即ち750円ということでしょう。その他に残業が1日4リンギット分の追加です。往復の飛行機代は会社から支給されています。部屋も用意されていますが、食事は自分たちでしなければなりません。一ヶ月の総収入がざっと3万円の世界です。そこから食費やその他必要なものを購入していくと、そんなに残らないでしょう。一ヶ月1000リンギット(3万円)ほどの手取り収入からやりくりしなければなりません。
マレーシアのKLでミャンマーの友人がいますが、彼も出稼ぎで生計を維持しています。一ヶ月の給料は1000~1400リンギットで部屋代や食事代などを賄っています。となると、殆ど残らないようです。
お釈迦さまの生誕地が近いルンピニ方面からの出身です。家族は両親と奥さんがいるとの事ですが、これで三年間簡単に会うことは出来ません。しかし、彼は明るく振舞っていました。勿論彼の場合は人材派遣会社を通じての求職です。当然の事ながら人材派遣会社はかなりの利益を得ているはずです。彼は25人のグループの一人だそうです。出発の前日まで実家にいたとの事、やはり名残が惜しいのでしょう。
こうして、様々な人々の生きざまを身の回りに感じることができました。ネパールが抱える問題の一つとして、収入の為には家族との離散も止むを得ないという風潮があるのも確かです。しかし、最近は、こうした出稼ぎに頼らず自分たちで農業を主体とした生活への道はないものか、模索する動きが始まっています。
ネパールへの支援はどのようにあるべきか、今までの経験を生かして新しいプロジェクト「夢農場」のプログへと続きます。

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