さて、こうしてサルキは初めてのエベレスト遠征隊に加わって貴重な体験を積む事になりました。あまりにも厳しい現実に多くの登山ガイドは「もう来ない!」と心に決めて帰るわけすが、シーズンが始まると、その言葉と裏腹に、やはり参加してしますそうです。彼らにとっては、矢張り大切な収入源です。他に生活の手段を選ぶことはできません。
そんな中でサルキの今回の働きは会社にとっても好人物と映ったのでしょう。「来年も仕事を回すから貴方さえ良ければ是非来なさい」とお声がかかったそうです。しかし、この過酷な職務は若い時が勝負です。ましてや、通常のトレッキングと異なり生死が一体となった危険な職業とも言えるでしょう。本人もあと数回出かける覚悟はしていますが、それ以降はトレッキングを主体として生活を支えて行きたいと希望しています。
さて、ベースキャンプの撤収も終わり、皆がそれぞれに家庭に帰ることになりました。外人の多くは飛行機のり用でいとも簡単にカトマンズに到着することができます。中には一人500ドル以上払ってヘリコプターをチャーターして帰る人々もいます。元来この路線は外国人が130ドル(20分)という料金が設定されています。通常の時期はネパール人はその半分程度の金額で利用出来るのですが、こうして、短期間に外人客が集中すると航空会社も強気でネパール人単独への座席割り当てはしてくれません。登山ガイドにとっては、勿論交通費も支給されるのですが、席がとれないことにはどうしようもありません。この時期にあるシェルパは200ドルを払ってカトマンズへ帰着したそうです。
さらに、会社の支払い規定があって、サルキがカトマンズで初めての遠征隊に参加するとの事で、装備一式を揃えるのに必死になっていました。しかし、この会社では、登山ガイドがベースキャンプへ到着した時に装備費用を支払うという厄介なものでした。一式揃えるには十数万円必要になります。しかし、そうした蓄えがあるわけではありません。急遽私が緊急融資をして、その場をしのぐ事ができました。会社としては、装備費を支給したものの、予定日時までに現場に到着しないガイドや、装備費をもらって職務をキャンセルするガイドも増えたそうで、最終的には現場到着を持って支給する形になったそうです。
彼にとっては、買い物も一苦労です。色々と店を回り、交渉を続けて良い品物を出来るだけ安く手にいれたようです。彼が初めてカトマンズに出てきた時、色々と買い物をしたわけですが、いつも私と一緒に買い物に行きました。値段の交渉はもっぱら私が引き受けたわけです。しかし、そrも徐々に相場感や交渉のノウハウを身につけ、現在に至っています。
エベレスト登頂の時期が終わりに近くなると、案の定雨季に突入です。日本でも、そうなんですが、雨季の始めと終わりには必ず天候が荒れてきます。一刻も早くカトマンズに帰りたいのですが、そう簡単に事は運びませんでした。飛行機で帰るのは諦めなければなりません。そうなると陸路で徒歩とバスを乗り継いで帰らなければなりません。激しい雨に襲われての山道の歩行は普段よりも時間がかかります。予定していた地点からのバスは運休と知り、更に別な場所へ徒歩で移動しなければなりません。バスがようやく動いたかと思いきや、土砂崩れでバスは立ち往生してしまいます。ブルドーザーで道を開けてもらうまで道中夜明かししなければなりません。
途中で車の調子が悪くなり整備に時間がかかってしまいます。この状況はつい先日私がラメチャップ方面のスルケ村を訪問した時にひしひしと感じるものがありました。こうして、サルキはカトマンズからナムチェバザールの行程を最短4日で到達しましたが、復路は何と10日間ようした事になりました。(道中2日間は疲労回復を兼ねて自分の故郷で休憩)往路は3月下旬で乾季ですから、陸上交通機関も正常に稼動していました。しかし復路は前述のように、道路は寸断されズタズタの状態です。
地元に住んでいる彼らにとっては、特別に変わったことではありません。毎年発生する巨大な土砂災害と共に暮らしています。復路で日数がかかろうが、カトマンズに帰った所で、いますぐ仕事があるわけではありません。こうなったら、急いでも仕方がないでしょう。登山専門の会社へ今すぐ帰って報酬をもらわなければならないという切羽詰まった状況ではありません。しかし、確かに悪条件と言えば悪条件です。サルキが帰途の道中に、一刻も早くカトマンズに帰りたいと願っても現実はそんなに甘いものではなかったようです。時を同じくして、私の出発も次第に近くなりました。最終的に私が帰る4日前に、無事カトマンズに到着することが出来ました。聞き慣れた声を耳にして、安堵の胸をなでおろした事は言うまでもありません。
さて、この登山ガイドの保険制度はどうなっているでしょう。現時点では万一死亡した場合の補償金額はおよそ50万円となっています。これは登山・トレッキングの会社が負担しているそうです。しかし、この金額を私達はどう捉えてよいものでしょうか?この金額は来年2014年1月から制度が変わって、補償額は一気に倍になり100万円が支払われることになるそうです。
さて、こうした激しい職務に対しての報酬は予想したよりも多くはないようです。基本給が彼の会社の場合は1日850ルピーで、その他に様々な加給がされるようで、一回の遠征で、その働きに応じて20-30万円程度の純収入につながるそうです。しかし、この金額で家族と共に一家を一年支えていくにはぎりぎりの金額でしょう。他にトレーニングに参加したり、必要な耐久消費財などを買ったりするとあっと言う間に資金は涸渇してしまいます。残りの10ヶ月の期間には、何らかのトレッキングやチベットツアーなどに参加して別途収入の増大を図らなければなりません。
また、エベレストベースキャンプで数ヶ月に渡って仕事をするネパール人のコック達の収入はどのようなものでしょうか?基本的には通常のトレッキングのコック達と同じ金額が日当として支払われています。しかし、彼らにも装備費という名目で別途防寒具などの購入費用が支払われます。初回は必要なものを購入しなければなりませんが、次回からは、その費用の大半は純然たる収入となっていきます。
そんな中でサルキの今回の働きは会社にとっても好人物と映ったのでしょう。「来年も仕事を回すから貴方さえ良ければ是非来なさい」とお声がかかったそうです。しかし、この過酷な職務は若い時が勝負です。ましてや、通常のトレッキングと異なり生死が一体となった危険な職業とも言えるでしょう。本人もあと数回出かける覚悟はしていますが、それ以降はトレッキングを主体として生活を支えて行きたいと希望しています。
さて、ベースキャンプの撤収も終わり、皆がそれぞれに家庭に帰ることになりました。外人の多くは飛行機のり用でいとも簡単にカトマンズに到着することができます。中には一人500ドル以上払ってヘリコプターをチャーターして帰る人々もいます。元来この路線は外国人が130ドル(20分)という料金が設定されています。通常の時期はネパール人はその半分程度の金額で利用出来るのですが、こうして、短期間に外人客が集中すると航空会社も強気でネパール人単独への座席割り当てはしてくれません。登山ガイドにとっては、勿論交通費も支給されるのですが、席がとれないことにはどうしようもありません。この時期にあるシェルパは200ドルを払ってカトマンズへ帰着したそうです。
さらに、会社の支払い規定があって、サルキがカトマンズで初めての遠征隊に参加するとの事で、装備一式を揃えるのに必死になっていました。しかし、この会社では、登山ガイドがベースキャンプへ到着した時に装備費用を支払うという厄介なものでした。一式揃えるには十数万円必要になります。しかし、そうした蓄えがあるわけではありません。急遽私が緊急融資をして、その場をしのぐ事ができました。会社としては、装備費を支給したものの、予定日時までに現場に到着しないガイドや、装備費をもらって職務をキャンセルするガイドも増えたそうで、最終的には現場到着を持って支給する形になったそうです。
彼にとっては、買い物も一苦労です。色々と店を回り、交渉を続けて良い品物を出来るだけ安く手にいれたようです。彼が初めてカトマンズに出てきた時、色々と買い物をしたわけですが、いつも私と一緒に買い物に行きました。値段の交渉はもっぱら私が引き受けたわけです。しかし、そrも徐々に相場感や交渉のノウハウを身につけ、現在に至っています。
エベレスト登頂の時期が終わりに近くなると、案の定雨季に突入です。日本でも、そうなんですが、雨季の始めと終わりには必ず天候が荒れてきます。一刻も早くカトマンズに帰りたいのですが、そう簡単に事は運びませんでした。飛行機で帰るのは諦めなければなりません。そうなると陸路で徒歩とバスを乗り継いで帰らなければなりません。激しい雨に襲われての山道の歩行は普段よりも時間がかかります。予定していた地点からのバスは運休と知り、更に別な場所へ徒歩で移動しなければなりません。バスがようやく動いたかと思いきや、土砂崩れでバスは立ち往生してしまいます。ブルドーザーで道を開けてもらうまで道中夜明かししなければなりません。
途中で車の調子が悪くなり整備に時間がかかってしまいます。この状況はつい先日私がラメチャップ方面のスルケ村を訪問した時にひしひしと感じるものがありました。こうして、サルキはカトマンズからナムチェバザールの行程を最短4日で到達しましたが、復路は何と10日間ようした事になりました。(道中2日間は疲労回復を兼ねて自分の故郷で休憩)往路は3月下旬で乾季ですから、陸上交通機関も正常に稼動していました。しかし復路は前述のように、道路は寸断されズタズタの状態です。
地元に住んでいる彼らにとっては、特別に変わったことではありません。毎年発生する巨大な土砂災害と共に暮らしています。復路で日数がかかろうが、カトマンズに帰った所で、いますぐ仕事があるわけではありません。こうなったら、急いでも仕方がないでしょう。登山専門の会社へ今すぐ帰って報酬をもらわなければならないという切羽詰まった状況ではありません。しかし、確かに悪条件と言えば悪条件です。サルキが帰途の道中に、一刻も早くカトマンズに帰りたいと願っても現実はそんなに甘いものではなかったようです。時を同じくして、私の出発も次第に近くなりました。最終的に私が帰る4日前に、無事カトマンズに到着することが出来ました。聞き慣れた声を耳にして、安堵の胸をなでおろした事は言うまでもありません。
さて、この登山ガイドの保険制度はどうなっているでしょう。現時点では万一死亡した場合の補償金額はおよそ50万円となっています。これは登山・トレッキングの会社が負担しているそうです。しかし、この金額を私達はどう捉えてよいものでしょうか?この金額は来年2014年1月から制度が変わって、補償額は一気に倍になり100万円が支払われることになるそうです。
さて、こうした激しい職務に対しての報酬は予想したよりも多くはないようです。基本給が彼の会社の場合は1日850ルピーで、その他に様々な加給がされるようで、一回の遠征で、その働きに応じて20-30万円程度の純収入につながるそうです。しかし、この金額で家族と共に一家を一年支えていくにはぎりぎりの金額でしょう。他にトレーニングに参加したり、必要な耐久消費財などを買ったりするとあっと言う間に資金は涸渇してしまいます。残りの10ヶ月の期間には、何らかのトレッキングやチベットツアーなどに参加して別途収入の増大を図らなければなりません。
また、エベレストベースキャンプで数ヶ月に渡って仕事をするネパール人のコック達の収入はどのようなものでしょうか?基本的には通常のトレッキングのコック達と同じ金額が日当として支払われています。しかし、彼らにも装備費という名目で別途防寒具などの購入費用が支払われます。初回は必要なものを購入しなければなりませんが、次回からは、その費用の大半は純然たる収入となっていきます。
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