2013年6月3日月曜日

ヒマラヤの村 第3日目(2)学校訪問

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ネパール歴2018年創立(1942年)
さて、この村には、大きな学校があります。小学校から高校までの一貫した学校で、近郊の丘から子どもたちが通学しています。私が訪問した時は、学校が休みだったので、校内は写真のようにひっそりとしていました。全部で12学年、1クラス平均50人が在籍していますから、全部で600人程度の大規模な学校です。
この学校の歴史は古く50年以上も続いているので、新館や旧館併せて5棟の建物が広いグラントの周囲に造られていました。教室と言ってもものすごく簡素な設備です。目下の所、トイレを増設中でした。トイレ増設と云っても、地元の有志によるボランティアによって作業がなされています。学校の運営は、村のコミュニティが立ち上げたもので、政府からの支援は殆ど受けていないそうです。

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地元の人々が協力
政府からは、先生二名分の給与に相当する額が支給されているそうで、不足分は生徒達から徴収する学費で賄われているとの事です。確か先生の給料は一ヶ月13000ルピーと聞いています。しかし、こうした寒村では、教師を探すのも大変なようで、誰もがカトマンズに目が向いてしまう現状から脱却することは難しいようです。事務室には、いくつかの教科書が棚につまれています。コミュニティが主体となって出来た学校ですから、地域住民が協力しながら、運営を続けているという雰囲気を強く感じます。

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通学路の途中で
学校に行く途中にも、ホームスティがありました。ジャガットさんの家から歩いて30分ほどの高台にあります。日本のコンビニのような品数がそろったものではありませんがその近くには雑貨屋があり、村のお寺もありました。段々畑を遠巻きにしている通学路は勿論畦道と呼ぶべきでしょう。どの道中では、鳥のさえずりを聞くことができます。




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特製卓球台
学校の近くから30分ほど下に降りて行く小川を利用してマイクロハイドロ(水力)発電が建設中とかで、数年すると、この地域にも大容量の電気が供給されることになるでしょう。学校の屋上にはソーラーパネルが15基設置されています。後日気がついたのですが、同じような規模の学校にもしっかりとソーラーパネルが設置されていました。どうも、これは政府の援助で設置されたものに違いありません。後述することになりますが、この種類の支援には、どうも疑惑が見え隠れしてなりません。しかし、現場の人々の声からすれば、何にも得られないよりも、いくつかのルートを通じて配分され、末端に届くには、途中で消えてしまい、金額が減ってしまっても仕方がありません。それは、ないよりもましだからです。ここに、改めて支援、資金援助の難しさが発生してきます。こうした事はそういった補助金や金額が大きければ大きいほど、中間に入る人々の間で消えていくのが現状です。もしこれが自分達のお金であれば、そう言った無駄を排除することが出来るのではないでしょうか?自分達の資金に不正を働くことはまずはありえないと思います。
そういえば、私が通っていた小学校の日々と似ている部分も見え隠れしています。私の家は学校から歩いて20分ほどの距離でしかありません。しかし、通学している友達の家は歩いて1時間ほどかかる山奥でした。ネパールのように険しい谷を下って、又登ってということはないのですが、冬になると吹雪に見舞われることが良くあります。それを心得ての事でしょう、所々藁葺き屋根のシェルターが設置されていた事を覚えています。当時はプラスチックの製品やビニール袋などが氾濫しない時代でした。一体どうして暮らしていたものでしょうか?ふっと私の幼少時代を彷彿させてくれる光景です。
こうして無事学校訪問は終了です。家に帰ると夕方のおやつの時間が待っていました。

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