概してネパール人やインド人の社会では自己主張を強くしないと生活していくことが難しいという背景があります。日本の社会のような控えめな態度は極めて不利に働く場合がおうおうにしてあります。よく見かける光景ですが、「私は、これこれが出来る。英語も話せる、コンピュータも出来る」と自慢する人ほど、実務においては全く役立たないケースを数多く見て来ました。私の生き方は、己を知ることから始まります。何が出来て、何が出来ないかという判断を着実に見つめなければなりません。結果として控えめな表現になってしまいます。しかし、実際に現場にたって実務に携わる
と、口頭での確約以上に仕事が進んでしまいます。そう言った私の習慣をサルキも多少理解しているようです。何しろ10年以上に渡るお付き合いです。彼の口癖は、「これについては少し少しできますよ」という表現をしています。決して大仰にはならず、コツコツと物事を仕上げていくタイプなのかもしれません。風トラベルのスタッフが言うには、「ネパール息子さんは、貴方とそっくりになったきましたね。」と冗談ともつかず、本当ともつかず語ってくれました。
私がカトマンズにいたり、一緒にどレッキングに出かけたりした時は決まって宿題が出ます。毎日日記を書いて私が添削するのが日常でした。いつまで経っても上達しないので、時々私はしびれを切らして喚いたりする事もあるのですが・・・・。私がパソコンやブログを発行し写真の整理や動画編集をするという特技があるのですが、山を登る、無酸素で8000メートル付近まで行きなさいと言われても無理難題です。それと同じ事がサルキに言えるのでしょう。しかし、進歩の度合いは遅いのですが、その成果は着実に上がっているようです。
登山ガイドの中には、自分達の強がりを主張して引っ込みがつかなくなったり、事故の原因になったりするそうで、極限に世界ではガイド同志の凄まじい闘争心がむき出しになっていく場合もあるでしょう。装備の不良で凍傷を発して引返す登山ガイドもいます。今回の登山ガイドの中には耳を切らなければならなかったりした人もいました。今年はここエベレスト方面でシェルパが二名犠牲になっています。そんな記事を新聞やネットで見るとサルキはどうしたものか一喜一憂する日々が続きました。
さて、天候を見ながら登頂予定日がエベレスト村で決定され、各社の割り当てそして各社の中でもどのグループが優先されるのか順序がきまります。もうそうなるとエベレスト銀座とかで長蛇の列が続く結果になってしまいます。前を進む人が遅ければ、一車線みたいなものですから余程うまく隙を狙わないと追越は出来ません。誰もは早く頂上への到達を目指して必至です。登山ガイドは、その隙を狙って、自分のお客を成功へ導くのに必死にならざるを得ません。
ちなみに、今回最高齢でエベレスト登頂を果たした三浦さんには13人の登山ガイドがついたとの事です。通常外人はC3(標高6500m)から酸素の使用を始めています。酸素の供給具合にもよりますが、通常18時間でボンベは空になるとの事です。ボンベの重さは7キロですから、外人もそれを背負っての行動になりますが、登山ガイドは外人用の予備を一つと、本人の酸素ボンベを一つ、合計14キロを背負わなければなりません。
しかし、初めて遠征隊に参加したサルキは様々な事を学んだに違いありません。どれ一つとっても、彼にとっては新しい体験でした。酸素マスクの使い方や、使用量の測定そして調節の仕方など手間取ったに違いありません。彼らの場合は、詳しい学術的な解釈は別として、勘と知恵を組み合わせて器用に習得していきます。学校を出ていなくて英語の読み書きが十分できなくても、最新式の携帯電話やスマホの使用方法などは意外と短時間で習得してしまいます。幸いにGPSのデータもエベレスト南峰までは記録として保管したそうです。
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