2013年6月14日金曜日

ヒマラヤの村 第6日目 旅を終えて

こうして、徒歩、ジープ、渡し、バスの旅を重ねて数時間の移動で全く別の社会に足を踏み込むことが出来るわけです。それは、村から町への変遷を見つめると共に、時代の流れをも凝縮してしまいます。前日は太陽発電の弱々しい電気の下で暮らしていたのが、翌日は灯りが眩しいくらいに輝く世界へ引越しをしたことになります。こうした旅は景観の変化を楽しむだけではなく、改めて時代の変遷を捉える目を育ててくれるものです。

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今回の旅は久しぶりの一人旅でした。念願かなってネパールの普通の村を訪問することが出来ました。ネパールは農村人口が75%を占めていますが、次第に都市化への波が押し寄せています。若い人々は国外やカトマンズへの出稼ぎに向かい、彼らの故郷は過疎化の波を避けて通ることは出来ません。毎日およそ1000人ものネパール人がカトマンズの空港から中近東や東南アジアへ出稼ぎに向かいます。ネパールを取り巻く国際情勢は大きく変化をしています。



単調な村の生活から離れて都会に来て住み始めると、次第に故郷は遠くなってしまいます。教育、医療そして日常生活の便利さを享受するには、田舎へ帰ることは躊躇してしまうことでしょう。しかし、田舎での生活もじっくり考えると悪くはありません。こうして比較してみると現代社会の抱える問題が浮き彫りになってきます。

まず、田舎での生活は、直接採れた農産物を自給自足していますから、新鮮で且つ有機栽培の野菜が豊富と言えるでしょう。カトマンズで勉強をしているネパールの友人は、その経済上の理由もあり、時々実家に帰ってお米や野菜、馬鈴薯などを大量にバスに積み込んで備蓄しています。その中に、とれたてのキュウリや野菜も含まれる場合があります。彼の自慢は何といっても、その新鮮な野菜にあります。なるほど、私達は野菜の味に麻痺し、どれが本物の野菜なのか良くわかりません。しかし彼らは素早く見ぬくことができます。

PIC_0600殺虫剤や化学肥料を使えば、一挙に大量生産が出来るわけですが、当然の事ながらその品質は天然ものとは違い、大きく低下しています。何かしらひと味違うのは確かです。例えば地鶏がありますが、我々がスーパーで求めるふにゃふにゃの鶏肉に比べると、庭で放し飼いにされている鶏は少し固いのですが、味はまるで違います。

カトマンズ市内では様々な食品が手にはいります。しかし良く観察するとジャンクフードの多さを発見してしまいます。何気なくスーパーのカゴの中に放り込んだ食品の多くには、酸化防止剤や合成着色料そして各種の添加物が混在しているのは事実です。村の生活から眺めると、不健康食品の塊と位置づけられてもおかしくはありません。

こうした健康的な食品の摂取は自ずと村人の体力つくりに、健康へと導いています。隣の家にいくには、少なくとも10分ほどは歩かなければなりません。これも健康法の一つです。また、日没に併せて眠り、夜明けと共に起きる生活は、程よく我々の生活のリズムを整えてくれます。深夜にこうこうと電気に照らされたコンビニが存在するわけではありません。じっくりと村の様子をみると自然と共生した日々を人々は営んでいます。

PIC_0631日中程よい労働をしていますから、夜はすんなりと眠りに入ることができます。最近の日本では睡眠薬を服用しないと眠れない人が増えているようで、その数は全人口の10%を超えると言われています。田舎の生活はまさしくスローライフでイライラする状況が極端に不要とされる社会です。なるほど、それだと長生き出来るのは当然です。しかも長生きをしながらも、農作業にも従事出来る体力を温存しています。通常、特別な事がない限り大病を患うという事は極めて稀でしょう。
ここでは、テレビがなくても、インターネットがなくても村人の営みは続きます。日本では各種機器の発達や完成度の高い情報システムの普及が本当に家庭での生活を豊かなものにしたでしょうか?いやその逆の現象が発生し家庭内での会話が極端に少なくなってきました。しかし、ここ田舎での生活には、過度な情報化社会の渦に巻き込まれることなく、家族の会話が絶える事はありません。



ストレスの少ない農村の生活では大病に悩まされる確立もずっと低くなります。いざ病気になったら近くの祈祷師にお願いすれば治るかもしれません。しかし、村人の求めているのは、大きな病院ではなく小さなクリニックが欲しいと望んでいるようです。

こうして都会の生活を改めて見つめなおすと、一体都会の生活は何だったんだろうかと疑問を抱く場面を再認識せざるを得ません。お金があれば、何でも入手できる時代です。美味しいものを沢山食べるといつの間にか糖尿病を発し、その為に膨な医療費がかさみます。その医療費の支払いの為にまたあくせく働かなければなりません。フェースブックというSNSがなくても、隣の家の人がどうしただの、こうしただのは、あっという間に口コミで村に広まります。人口が比較的少ないからでしょうが、4jキロ離れた隣村でさえも、「あっちの村のXXXさんは今どうしている?」と聞けば答えが跳ね返ってきます。

映画もないテレビもない新聞もないとなれば、あたかも隔離されたような生活に思えます。しかし、村人からの目に立ち返ると「いち早く、ドルが下がったとか円が強くなったを言うことを知って、一体どうするの?我々の生活には全く関係のないことですよね、」なるほど、それが本音でしょう。

最近の村の状況は次第に改善されつつあり、以前谷底まで水を汲みにいったのが、最近は不要となり、随所に水道の設備が普及しています。またこの村では全家庭の屋根には、簡易な太陽光発電装置を抱えています。携帯電話も何不自由なく利用することができるようになりました。少し費用がかさみますが、携帯電話が通じるところであれば、接続速度は遅いのですが、インターネットも利用することが出来るようになりました。

人口が増えると共に、廃棄物(ゴミ)の量も増大していきます。村の生活は不便さを伴う反面、排出されるゴミの量は少なくて済みます。これが、集落の規模が大きくなるに比例してゴミの量が増大していきます。小さな規模の村を基本にして、環境問題への意識向上をはからないと、ネパールの国中が巨大なゴミ捨場になってしまいます。

こんな素晴らしい村ですが、冬は雪に悩まされ、積もることはないそうですが、屋外での農作業は中断とならざるを得ません。さて、第一回の訪問は無事終わりました。来年ももう一度訪問したいものです。

カトマンズに帰って新聞記事を見ると西ネパールの山岳地帯で外国人トレッカーが盗賊に出会って金品を剥がれてしまったという記事が載っていました。確かに今回の単独紀行は若干無理な部分もあったかもしれません。地元の人々の目からすれば、チベットの人が、ヒマラヤの薬草か何かを行商に来たのではないかと思われても仕方ありません。カトマンズに戻ってから友人に報告したら、「ええ一人で行ったのですか?」と怪訝な顔をされてしまいました。

さて、私が奮闘して単独トレッキングらしきものをしている間に、ネパールの息子は今回始めてエベレスト遠征隊に加わり、様々な苦労を続けていたようです。「シェルパから見たエベレスト登山隊」ブログの続きをご期待ください。

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