2013年6月17日月曜日

シェルパから見るエベレスト遠征(2)彼らの体力

IMGP6424標高2000メートルから3000メートル付近で生まれ育った人々は、まさしく高山に強い体質を持ちあわせています。一般的に登山ガイドとなれば、ネパール人は標高7900メートルまでは酸素マスクを使用しないで行動するのが当然の事とされています。通常我々も標高5500メートル付近までは酸素マスクなしでゴーキョや日数をエベレストBCなどへのトレッキングを行うのは特別な事ではありません。勿論十分な時間をかけて高度順応をすることが前提となります。



10年ほど前にサルキと一緒にゴーキョピークへ出かけたことがあります。高度は5000メートルを超えています。彼にとっては、始めての5000メートルを超える場所でした。それで、彼は軽い高山病の症状に陥いり、私よりも歩行速度が遅くなった事がありました。今はもう、ベテラン中のベテランです。アマダブラムへの登頂は勿論酸素マスクなしでの登頂でした。



しかし、高度が上がると私達の動作は次第に緩慢になってくるのが常です。5000メートルを超えると歩行速度は極端に低下します。話を聞くと、登山靴を履くのにも片足10分はかかるとの事。しかも荷物を抱えていると更に動きは遅くなります。

そんな中、サルキは30キロもの荷物を背負ってC3からBCへの荷下げげをしたそうです。元来、高度が高くなると荷物の量は15キロ程度が限度です。しかし、二度に分けて運ぶのも大変だから一度に片付けてしまったようです。さすが、BCに帰った時は、もうぐったりしたそうです。道中は勿論氷河の割れ目なるクレパスがあり、その区間にははしごがかけてあるのですが・・・・。一歩間違うと危険きわまりない状況です。それを、彼は慎重に確実にその作業をやってのけたようです。
サルキとは17回も一緒にトレッキングにでかけているのですが、いつも感じるのは、彼の身の軽さです。とにかく足がひょいひょういと動いています。例え20キロ以上に荷物を背負っていても軽々と足を運んでいます。歩くというよりも走るという感覚です。

エベレスト登山での裏方としての荷揚げや荷下げは大変な苦労を伴います。概して出発は早朝の2時、3時に始まります。日中気温が上がると雪崩の発生や雪解けで歩行困難となり、雪がしまっている状態を見計らって行動することになります。勿論、この荷揚げや荷物おろしは、その区間と重量によって、特別手当が支給される仕組みになっています。

IMGP6249エベレストベースキャンプは、シーズン中は1500名を超える人々で賑わい、エベレスト村が出来上がってしまいます。そんな中で環境保全に一役かっている人々がいます。村人の屎尿を標高5000メーターのゴラクシェプへ運ぶポーター達です。勿論彼らは歩合制で、ベースキャンプで排出される糞尿を担いで下ります。現在の相場は1キロあたり50ルピーという価格が設定されています。彼らにとっては30キロの運搬はたいした苦労にはならないようです。例え30キロ運搬したとして、数時間の荷物運びで1500ルピーになります。1日に数回往復すれば3000から4500ルピーという高収入を得ることが出来ます。しかし、この職種は一年を通して
あるわけではなく、エベレスト村が開村した期間に限られて
                                                     しまいます。

今回彼はニューヨークに在住する日本人の女性を登頂へとガイドする役目になりました。しかし、二人がエベレスト南峰に到着した時点で酸素不足に陥りました。酸素の使用量を始め、現在位置、天候、その顧客の情報管理は,無線でBCのディレクターに逐一報告され、その指示を仰ぐことになります。いわゆる登頂の専門家、スタッフがBCで全てを把握して管理しています。本部からの指示と顧客とをつなぐ重要な役目を登山ガイドは引き受けています。

IMGP6402今回南峰まで辿りついたものの、通常の倍程の時間がかかっています。このまま頂上まで、ごくわずかなのですが、それでも往復2-3時間必要になります。しかし、酸素ボンベをチェックすると帰路は酸素不足に陥るのは間違いありません。こうして頂上を目前にして引き返さなければならないのは、彼にとっては非常に残念な事だったかもしれません。しかし、お客さんを説得して共に引き返すことこそ、真の勇気ある行動だったに違いありません。サルキは自分の酸素ボンベとお客さんの予備の酸素ボンベの二本で14キロ、そして多少の私物1キロの合計15キロを背負って南峰までたどりついたのですが、無念にもここで引き返す羽目になったのです。

外人の登山家と共に行動するといっても、トレッキングの場合とは大きく異なります。それは、外人が予定した時間を守ってくれない事にジレンマを感じています。これは、外人が意図的に遅れるのではなく、彼ら自身も始めての登頂です。最も難儀するのが、標高が上がるにつれて、動産が緩慢になり、服を着るには10分以上必要になる、靴を片足はくのに10分・・・。こうした事が積み重なって当初予定していた時間に大幅な遅れが生じてしまいます。



さらに運の悪いことに、歩行速うがあまりにもゆっくりだったので、両足の指先が軽い凍傷を患うことになりました。日本人の登山家は登山靴の内部に電池式のヒーターを用意していたので、足指が冷えきるのを防ぐことができました。サルキにとっては、今回が全て始めての体験です。友人や先輩達から、どういったものが必要かしっかりと事前に情報を収集していました。

それに併せて、登山靴や防寒具などはかなり値段が高くてもオリジナルの商品を購入しました。ヘッドランプも外国製の性能の良いものを入手しました。しかし、お客さんの歩行速度がこれだけゆっくりしたものかについては、予想もつかなかったようです。足の指先が壊疽をおこすような悪性のものではなかったようです。しかし、その後数週間は足の指先が麻痺したような状態が続いたそうです。
事は1日2度のダルバート(ご飯とカレー汁)の単調なものです。さらにもう一度軽食が提供されるとの事、ホットシャワーは一ヶ月に2度利用することが出来るそうです。まあ高山地帯で乾燥した気候の下では、汗をかき、ホコリまみれになるという事はまずありません。普通はエベレスト遠征隊に加わると、帰りは真っ黒に日焼けして目の部分だけが白くなって帰るそうですが、以外とおしゃれなサルキは日焼け止めクリームを欠かすことなく塗りたくっていたようで、全く普段の顔と変わりはありません。

なるほど登山は総合的な力が必要になってきます。まず第一に体力です。今の彼には、十分な体力が保証されています。それにしても二ヶ月の間、病気をするわけでもなく、無事御役目を果たしたものです。              続く

0 件のコメント:

コメントを投稿