2013年6月22日土曜日

夢農場(2)農業で自立を!

そんな中先日ホムさんは故郷で友人の結婚式に出席するために村に出かけてきました。彼の友人や同志が既に小規模ながら農場を始めたそうで、その写真や動画を見せてもらいました。これをもう少し大きくして農場にし、様々な経営(有機栽培、養魚、養鶏そして会議場とレストラン)でもやれたらなぁ)何かアイデアはありませんかと相談を受けました。そう言った中で彼が最も関心を持っているのはゴミの問題です。田舎の町でもゴミが大量に発生しているそうで、このゴミから利益が得れないものだろうかという悩みも抱えています。

さて、さて、これは面白いことになりました。私が今まで各地を訪問して知りあわせた知識を披露する羽目になったのです。関連した記事として、当ブログのヒマラヤの村にも記載してありますが、村から多くの人々が海外へ出稼ぎに行き、村は過疎化していっている。故国を遠く離れて家族が数年も会えずにくらさなければならないという状況から脱するにはどうすれば良いものか!村そのものを豊かにする方法はないものかという模索とも関連しています。
さて、ここから私の提案になります。


一定規模の大きな土地を借り受け公益農業法人のようなものを作ります。あくまでも農業を中心とし、土地にあった作物の栽培、養魚、養鶏、畜産業、そしてキノコの栽培など多方面に渡って農業ビジネスを展開します。単一作物では、万一不作や病虫害に襲われると採算がとれなくなるのを荒涼し多角的農法が必要でしょう。

有機栽培と称して多くの商品が市場で取引されることになれば必ず偽物が出回ります。これをチェックしたりする簡易な装置、施設も必要になるでしょう。こうした部分については、伝統的な方法で対処しているのが現状です。「有機栽培の野菜は長持ちするけど、薬漬けの野菜はすぐしなびてしまう。

現在も多くの野菜や食料品がインドから流れこんできます。この観点からすると、まだまだ潜在的にマーケットは涸渇していない事を示しています。多品種、高品質かつ有機栽培という利点を生かす事によって採算は成り立つのではないでしょうか?

更に、作物が過剰に取れた時には、それを保存食としたり、乾燥させたり、加工する施設や、そのノウハウを探らなければなりません。高品質としての有機栽培を売り物にするには、マーケットの確保も必要になります。当初は小規模でスタートし、次第に拡大するのが最善の策でしょう。
さて、村では多くの人々が海外に出かけているので若年労働力が不足気味です。しかしこれは別の意味もあります。道路が出来て容易にカトマンズと結ばれると出稼ぎ組みだけではなく、多くの人々が都市に住むことになり、都市部では仕事を求めて出てきたのですが、容易に見つかるわけもなく、潜在的に失業者が増加しています。その半面山村部では労働力の不足が著しくなっています。こうした状況で労働力を補給する案として、学生寮を併設すればどうでしょう。幸いにここ、ガイガートは村と言っても、中等、高等教育機関からそう遠くはありません。

本当に勉強した学生たちに寄宿舎を提供し、その代償として農作業の補助を委託すれば良いでしょう。このアイデアは、私がいつも滞在しているカルカッタの僧院の事例から学びました。15名ほどの村からの子どもたち(小学校4年から中学校3年)が寄宿しながら僧院内の学校に通っています。時々ビルマからの巡礼団が来る時は、全員お手伝いに駆り出されるわけです。食事や部屋の清掃など、一気に80人以上もの世話をするには、それなりの人手を確保しなければなりません。僧院にとっても、大助かりとなっているようです。

さて、寄宿生の中で数人には、農業関係の勉強をしてもらう、教育学、会計学の勉強をしてもらう、コンピューター関係の勉強をしてもらう等、様々な分野で実務に叶う人材の育成に努めrます。農業関係の勉強をした人が、自分が学んだ農場に帰って更なる農場の発展、村落の開発に寄与をしようと自ら立ち上がる人材を育成しなければならないのが難点かもしれません。概して一定の高度な学問を会得すれば、その後はより、高い収入を目指して都市部へ流れてしまうのが一般的と言えるでしょう。しかし、このコミュニティでは、こうした事が発生しないように、個々の意思が自ら故郷で生活出来る場所を再現しようと言う意識を自覚してもらうように工夫しなければなりません。

さらに、小さな夜学教室を設置し、高齢の婦人などを対象に識字率向上のクラスを編成します。さらに、寄宿生達が今までの教育は何だったのかという事をテーマにした研究会を開きます。概してネパールの教育の現状には様々な問題があります。単なる試験の回答の為に暗記することが主体となり、独創力や想像力を養うという教育の基本理念から大きく離れているようです。

識字率の向上だけで、農村開発が順調に進める事は出来ません。特に山村に於いて伝統的な考え方を切り替える啓蒙活動も必要になってきます。従来の宗教からくる忌避的な事象が活動の様竹になることがあります。外国人の考えが良くて、同胞なるネパール人が同じ考え方を持っていても率直に認めようとしない場合があると聞きます。環境問題に対しての問題提起に始まって、その政策を実行するにも、単に指示や命令を前提としたものでは、いつの間にかうやむやになり、うまく作動しないでしょう。村の人々が自分たちで考え決定していく方法へ導くのが最善の策でしょう。こうした新しい事業に対しての啓蒙活動も必然となります。

先日村から出てきてカトマンズで数年間勉強した青年が語ってくれました。高校を卒業して、カトマンズに出てきたんです。それでコンピューター、会計学など色々学んで資格をとったけど、どれも役だっていません。今はパタンで細工師の仕事をしているけど、これだと、自分で頑張ると日当として1000ルピーは手にはいるからな、なんで今まで沢山お金使って勉強したんだろう?それに、この仕事だと自分で色々な事を考えて、それが作品に出るから楽しい。ああ学校など行かずに、ここへすぐ来ればよかった、後悔していると」憤慨していました。

0 件のコメント:

コメントを投稿