2013年6月9日日曜日

ヒマラヤの村 第4日目(2)長寿の秘訣

PIC_0679さて、マダンの家を訪問しての帰りは、ジャガットさんの弟ラムとその甥っ子は、帰路、自宅の山林にはいりました。中学生の甥っ子は、暗闇が迫っているのにもかかわらず、するすると木に登りグミのような山の果実をひょいひょいと摘んで私にくれました。もぎたての素朴な味がほんわりと口の中に広がります。今まで食した果物とは何かが違います。
二本のスーパーで見かける野菜を例にとると、トマトは色彩といい、見栄えといい味といいあまりにも管理された味を感じます。しかし時々田舎で見つける普通のトマトは香りがキツく素朴な味のするトマトを発見する事があります。これに似た野生の味でした。しかし何故か人気がないんですよねぇ。ここでは、そうした天然物に覆われています。

先進諸国の食生活はジャンクフードに囲まれています。豪華なプラスチックの包装で消費者を惹きつけています。ジャンクフードの材料は大量の農薬と化学肥料を使って効率よく大量生産のベルトに乗ったものが使用されています。完成された味、管理された味しか入手出来ない都会の弱点がここにあります。知らない内に大量に体内に入り込み、新たな病の発症につながります。当然の事として医療産業が経済を潤す仕組みになっています。

ここに統計上の誤りを発見できます。最近ネパールの平均寿命は上がってきました。統計上60歳ということで、日本とは大きな開きがあります。しかし、我々はこうした指標をどう捉えるでしょうか?「単に数値が上だから発展している。数値が低いのは、まだまだ文化が低いから」ととりがちです。しかし本当にそうでしょうか?今回訪問した村でも数多くの老人に会いました。白髪のおじいさんが華奢な足をさっさと動かして竹の棒きれを杖の代用にして急坂を登っています。ジャガットさんのお父さんは78歳ですが、毎日畑仕事が日課です。

実際には、ネパールの老人の方が長寿で豊かな暮らしをしているわけです。要するに、乳幼児死亡率が高いから全体を押し下げているに過ぎません。いわゆる強い遺伝子を持った人々が生き残っているわけで、乳幼児死亡率を加味しないで統計を取れば、日本より長寿の国になるでしょう。そりゃそうです、自然の一部として共存する生活ですから、ストレスも少ないでしょう。リスクフリーの健康にやさいい社会です。日本では大きな病になると、その治療に専念し結果として平均寿命が上昇します。しかし、ここヒマラヤの村では、そう言った設備がないかわりに、死期が近くなると短期間に現世との別れをすることが出来るようです。

話は大きくそれてしまいました。ジャガッさんの弟ラムは五メートルほどの木を二本切り倒して、甥っ子に一本渡して段々畑の中を引き回しながら自宅に持ち帰りです。何の障害もなく、二人がすいすいと枝葉のついたままの原木を引きずり回しています。それは、周囲の風景にぴったりで、閑静とした林と段々畑の中に、樹の葉と枝が大地との摩擦で引き起こすサラットザラと心地良い音を響かせています。

この間伐木は、つる豆やキュウリの支柱になります。一部は台所での貴重な燃料にもなります。こうして山の人々は自給自足のシステムを受け継いています。しかし、いずれはこうした平和な自給自足の生活が次第に変化せざるを得ないでしょう。都会の生活で必須となる携帯電話やテレビの普及が今村人の伝統的な文化を大きく変化させ始めています。

大自然と共生した生活、毎日の適当な運動、情報過多の世界から離れた健全な精神生活の三拍子が揃った日々はそれなりに充実しています。しかし、実際に私達の生活は欲望の渦に取り囲まれています。村の生活はある意味では、単調そのものかもしれません。いや、それは、忙しい日々を送る私達の目線から単調だと映るにしか過ぎません。彼らは、自分たちの生活が単調でつまらないと思っているかどうかは、疑問です。ネパール人の多くの人々から聞かれる質問は、家族の事です。何事に於いてもに家族の事が優先される文化を受け継いでいるようです。それは、もしかして私達が求め続けていた本当の幸せへの道なのかもしれません。

村の人々の習慣の一つとして、お酒は水代わりに飲む場面に遭遇します。朝10時頃朝食が始まるのですが、この時にもグラス一杯のお酒(家庭で作ったお酒)を煽っています。勿論夕食時もロキシが登場します。だからと言って酔っ払うわけではありません。これは、小さい頃からの習慣となっているようで、彼らにとっては、18歳未満だろうが、全く関係のない規則です。日本では、適当なアルコールの摂取は健康を保つと言われています。彼らはそれを幼い頃から実践していると考えましょう..

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