2018年12月29日土曜日

スマトラ2018 12月5日(水曜日)あみだくじでさようなら!


阿弥陀くじの発表会場
帰り際になって、昨日アイデアが浮かびました。今回の授業において熱心に参加した三名の学生に何かをしてあげたいという動機であみだくじ案が浮かび上がりました。初日には多くの学生が参加しましたが、その数は次第に少なくなりました。時には雨で登校できなかったなど様々な要因がからみました。
私は予備にUSBメモリーを持参しています。これを彼らご褒美として提供するにはどうするか、景品は一つしかありません。そこで思いついたのがあみだくじです。参加資格は出席率上位三人の中で阿弥陀くじを引いてもらって当選者を決めることになりました。昨夜遅くまでかかり、メッセージを添えたあみだくじシートを作成し、まずは、アムジルに、このアイデアについて問題ないか問いあわせました。彼にとっても始めてみる阿弥陀くじには驚いていました。私が懸念していたのは、景品は全員もらえるのではないし、不公平感がないかという事でした。アムジルの意見はおもしろそうですね。問題ないですよ。という返答です。私がこの大学を去る時刻は1時半過ぎを予定しています。12時半ごろになって副校長のノビアルティさんがマレーシアから帰国して大学に戻ってきました。

2018年12月28日金曜日

スマトラ2018 12月4日(火曜日)ラムジルさんの家


ラムジルさんの実家
今日は日中ラムジルの家にでかけました。ブキティンギの近くにあります。大学から15キロの距離にありますが、バイクで一時間、色々と回ってくれました。気遣いが何よりも嬉しいわけです。10キロも遠回りして小さな村々の長めの良い所、ちょっとした名所に立ち寄ってくれました。ここぞと思う場所で停車して写真撮影です。行く前は、近いからすぐですよ。バイクで30分と説明を受けたものの、曲りくねった里山の裏道を走るツアーと化してしまいました。
到着したのは一時間経過です。途中でお姉さんが経営している小さな雑貨店に立ち寄りご挨拶を交わす一面もありました。姉さんのお店は主要道路の交差点付近にあり、地の利の良い場所でまずまずの繁盛ぶりです。お店から勝手にポテトチップスの袋入を無造作に取り出して、これお土産だから持って帰ってくださいといただくことになりました。
彼の実家は主要道路から更に6キロ離れた僻地です。それでも道路は完全舗装で快適にバイクは進みます。平和そのもののアムジルの村そして家族です。今日は本人の実家と婿に入った家の2つを訪問しました。同じ敷地にあり隣同士に家が並んでいます。
家族全員が仲睦まじく、平和に楽しそうに暮らしています。今まで色々は家族を見てきましたが、彼の実家の家族の暮らしほど平和に見える所はありません。お父さんは1942年生まれで太平洋戦争の時はまだ幼児ですから、記憶にはありません。

スマトラ2018 12月3日(月曜日)パソコン教育の現場


軽食の差し入れ(チキンラーメン風)
もう皆とは家族同然の空気で充満しています。フェイスブックでは次々と友達リクエストがねずみ講のように増えていきます。何かしら夢を見ているような気持ちです。日本の大学のような格式ばった所もなく、まさしく田舎の大学。日本人観点からすれば、なんといい加減な事しているのだろうかと不評を買うかもしれません。やはり質が悪い、レベルが低いなど批判が生じるでしょう。しかし、こうした場所に自分自身を置いて観察すると、それなりの理由も見つかります。
いわゆる経済的格差を随所に見受けます。施設そのものの構造(建物)が日本でいうと安普請。インターネットの環境も低速、不安定。パソコンも機材がバラバラでどこかに欠陥がある備品が多いのです。エアコンは学長室にしかありません。プリンターは学内に10台ほどありますが、いわゆるレーザープリンター(大量の印刷、コピーに向いている)ではなく、印刷コストは高いけど、調達コストの低いインクジェットプリンターです。事務所で使っているパソコンは、どれを見ても動きが遅く、メンテナンスがしっかりと行き届いていません。こうした環境で授業をしていくには、かなりの忍耐と工夫、努力が欠かせません。

2018年12月27日木曜日

スマトラ2018 12月2日(日曜日)市内散策


今も馬車が活躍
今日は日曜で、大学は休みです。もう朝からひっそりしています。誰も人影がありません。穏やかな日曜です。昨日予定していたハイキングはどうも中止になりそうです。それにしても、なかなか居心地の良い所です。朝副学長からメッセージが入り、「今日予定していたミナンカバウ建築巡りは午後からにしましょう」そんなわけで、午前中は時間があったので、たんぽぽの会のアルバムを作成しました。これには2時間ほどかかりました。手順は既に知っているので、最近は早く進むようになりました。
そして昼過ぎには再度連絡がはいりました。「申し訳ないけど今回は取りやめになりました。」「大丈夫ですよ。来年回ればいいでしょう」
それで夕方4時から一人で町を散策です。GPSロガー持参でスマホの写真を撮影しながら市内を二時間ほど周りました。全部で10キロほどの散策です。廉価なロガーですが、しっかりと衛星信号を補足してくれます。併せて所々適当な距離を置いて写真撮影です。道中道を間違えて、ずうっと遠くまで行ってしまいましたが、Google Mapで現在地を把握してリセットです。帰宅したのは、日没寸前の6時を過ぎていました。

2018年12月26日水曜日

スマトラ2018 12月1日(土曜日)Google Earthに熱中

   
土曜日は新入生の授業がほとんどありませんから、出席率が下がります。基本的には、土曜は休講日ですが、特別授業で、Google Earth の使い方やGoogle My Mapsの使い方などを練習することになりました。数人の学生が集まりましたが、彼らにとってはGoogle Earthは始めての体験です。パソコンの画面がストリートビューになると、熱中し始めました。自分の家を探すのに必死です。こんな使い方があったのかとゲーム感覚で遊び始める始末です。一旦これを中断して、次の課題へ進んでも残念そうにいつまでも画面を開いていました。なるほどマウス操作で自宅周辺をドライブしているような状況も設定することが出来ます。GPS機器はスマホで代用が可能ですが、これも彼らの興味を引きつける事に成功です。
こんな使い方ができるのかと感激感動で、今日の授業はかなり盛り上がりました。
お昼の時間はノビアルティさんが近くの食堂に招待してくれました。ラムジルと私がバイクにのり、もう一台のバイクは、ノビアルティさんと同僚の女性講師の4人ででかけました。小さな道路沿いの食堂ですが、人気の店と見えお客さんが一杯います。日本の基準からすれば、その衛生基準は完全にアウトですが、そんな事はお構いなしです。水道の蛇口があるわけではなく、水を溜め込んだタライで食器を洗います。道路にそった竹製の開放型の建物で、窓やガラスもなく屋根があるだけのオープン型の建物です。しいてゆうなら

2018年12月23日日曜日

スマトラ2018 11月30日(金曜日)ブログ作成、コーヒー-酒場

居酒屋風喫茶店(アルコール禁止)

昨夜はオマールさんの招待で夜8時過ぎにコーヒー酒場にでかけました。酒場といっても、ここはイスラム社会ですから、アルコール飲料の提供はありません。その代り、様々な飲み物が揃っています。コーヒーと言っても変化に富んでいます。この地域の人々の愛するのは卵入りコーヒーです。コーヒーに卵黄が入っています。高温だと固まってしまうので、固まらない程度の中温で登場です。これを飲むと元気が出るからと進められて初の体験です。うううん。微妙な味がします。思ったほど生臭くはありませんが、若干ネッチリしたコーヒーと表現しましょうか?日本のコーヒーショップのように、酸味、苦味、コクを味わうという分類ではなく、異質な体験です。
大学から出発する時の話では1時間ほどで戻ってくるから、一緒に行きませんかと勧誘を受けました。それで気楽に連行されてしまいました。帰着したのは午後11時半です。何と3時間もの間お店にいたことになります。酒場といっても、営業時間は午後2時から深夜12時までになっており、一種の社交場という雰囲気です。奥にはステージのようなものがあり、ネオンサインできらびやかに飾ってあります。まるで、ベリーダンスの会場という室内装飾です。勿論ダンスが開催されることは皆無でしょう。

2018年12月22日土曜日

スマトラ2018 11月29日(木曜日)郊外レストランそしてパソコン教育


畳席のある郊外レストラン
大学講師の一人にランティさんがいます。彼女はこの大学でリナックスのプログラムを教えていますが、快活な方で、休みの時には自転車でサイクリングを楽しんでいます。彼女もウエブサイトに興味があり、自分が今まであちこちでかけた記録を公開したいという気持ちを持っています。午前中に、無料で運営できるホームページ作成の指南です。ううん。プログラミングについては専門家なのですが、実際にパソコンを使いこなすという点においては、今一つ何かが不足しています。と学生達の方が手早く操作してスイスイと先へ進むのですが、中年女性と取り組むには忍耐が必要です。そんな彼女は当方の気苦労も知らず、ご機嫌です。「さあ昼ごはんに行きましょう。素敵なレストラン紹介するからね。」ばかりの旧式のセダンタイプの自家用車でお出かけとなりました。車体のペンキはあちこち剥がれています。窓の開閉も手動式、動き出すとスピードは全然あがらず、ノロノロ運転です。まあ道路は登り下りでカーブが多いので安全運転という事でしょうか。30年ぐらい使っている古いモデルですが、エンジンの整備だけは、なされているようで、途中で引き返したり、エンストを起こすことはありません。独特の少し大きめの声で張り切って運転を続け、到着したのが、田園のど真ん中の郊外レストラン。ランチタイム限定の地元では評判を博しているお店なるようで、既に先客で埋まっています。1時半頃入ったので先客がそろそろ退散する時刻ですから、すぐにお座敷席に移動です。田んぼの中の一軒家のレストランは3名の女性を伴って楽しい時間となりました。周囲は緑の絨毯を敷き詰めたように水稲の田園がひろがっています。遠くには2000メートル

2018年12月21日金曜日

スマトラ2018 11月28日(水曜日)学費はいくら



パヤクンブの繁華街
今日も色々な情報が入りました。大学の授業料は半年でコンピューター学科は250万ルピア、土木学科は300万ルピアということです。これは二学期制になっているので、一期分の授業料です。日本円に換算する、2万五千円ということになります。これを6で割ると、一ヶ月4000円ほど学費がかかることになります。
パルディは働きながら通学しています。現地では学生のアルバイトが実労8時間で一月5000円ほどです。となると授業料は自分で賄っているような感じです。しかし、他に色々な費用がかかります。スマホとバイクも必要になって来ます。
バイクの普及は最近になってからでしょうが、昔はさぞかし大変だったわけです。村々を巡回する公共交通機関に頼るしかありません。通学時間帯になると満席状態で容赦なく詰め込まれていきます。各家庭に最低一台、家庭によっては数台のバイクがありますから、市内循環乗り合いトラックなどの営業台数は激減です。田舎道を歩いていても、まずは見かけることはありません。所得の向上と共に高等教育への関心も高まり、そのアクセスも容易なものとなりました。家が多少遠くても何ら問題はありません。こうして授業が始まる8時頃は続々と押しかけてきます。

スマトラ2018 11月27日(火曜日)女性活躍の社会

彼女達は講師

インドネシアでも、ここウェストスマトラ州はミナンカバウ族の生活領域です。この地域はインドネシアでも稀に見る女系家族の形態を維持していますから、女性の社会進出は日本よりはるかに進んでいるのです。実際にこの大学の学長は私が5年前に機内で隣席だったアストゥティさんです。副学長はノビアルティさんで、これ又女性です。そしてナンバー3で始めて男性のズルキフィリさんという順で並びます。講師陣は圧倒的に女性が多く、英語の先生も女性、職員も殆どが女性で、男性は肩身の狭い思いをしています。
幹部でただ一人のズルキフィリさんは2003年から三年間日本で技能訓練とかで過ごしたことがあるそうで、今でも少しばかりの日本語を話します。当時はペラペアだったようですが、今は殆ど忘れてしまったそうです。時間があると時々彼の部屋で話をすることがありますが、出勤は毎日ではありません。土木関係の講師をしながら、大学にも通っています。彼らの条件は良く週に3日の出勤でも一ヶ月分の給与が保証されています。なかなか恵まれた環境です。

2018年12月20日木曜日

スマトラ2018 11月26日(月曜日)日本語ブーム



大学の二階からの眺め
今年の新入生の中で熱心なのが3名います。その中の一人パルディは日本語にも興味があり、先生方の推薦もあり、日本語教室を開いて欲しいという要望がありました。しかし、彼は仕事をしながら学校に通っていますから、時間の調整が難しく思うように日本語教室は進みません。
なぜ日本語まなびたいのかと聞くと、彼らが日本語に興味を持ち始めたきっかけは日本のアニメにあるようです。昨年の学生の一人で今は二年生ですが、彼のニックネームはナオキで通じます。アニメから拾った日本語が次第に昂じて、日本、そして日本に興味を持つというケースが多いのです。インドネシアの高校では、第二外国語として英語、日本語、中国語のいずれかを選択することができるそうで、日本語もかなり人気があるのが一つの理由です。多くの学生達は、「センセーという言葉、「あり」がとう」は知っているようで、日本に関心のある学生も多くいます。
パルディの家から自宅から大学までバイクで30分ほどかかります。大学からアルバイト先までは更に20分ほどかかります。仕事は朝早かったり、夜遅かったりで、一定ではありません。24時間営業のネットカフェ兼コピー屋で働いていますが、一ヶ月の給料が600,000ルピアですから日本円に換算して5000円ほどの収入になります。その他若干の食事手当などがつくようですが・・・。

2018年12月18日火曜日

スマトラ2018 11月25日(日曜日)ハイキングの日


この道をバイクで行く
ラムジル、ラムジルの奥さん、アリフさん、アチェさんそして私の5名で近くの観光名所クロックの森にでかけました。約束の朝10時過ぎに大学を出発です。アムジル達は目的地に行く手前のお店でおお弁当を調達中でした。
大学のある場所は標高500メートルで、目的地は標高1000メートルありますから、かなりの急勾配を登ることになります。GPSで測定したら7キロの距離で500メートル登りますから、しっかりとしたバイクでないと登り切ることは出来ません。
5名分のお弁当(ぶっかけ飯)には、付録としてプラスチックの袋に入れたお水もついて来ます。1食大体100円ほどの料金です。これは、全額ラムジルが気前よく払いました。アリフさんのバイクの後ろに乗りましたが、どうもパワー不足なるようで、ぜいぜいしながら坂道を登っていくという感じです。およそ40分後には目的地です。さて、ここから更に森の中を歩くと滝があります。このルートは昨年整備完了とかで、町の名勝旧跡の一つになっています。鬱蒼とした森の中を20分歩くと滝がありますが、森の中は緑に包まれ、ひんやりとして気持ちの良いものがあります。

2018年12月17日月曜日

スマトラ2018 11月24日(土曜日)陽気な大学のスタッフ達


ド田舎の学園!
今日も色々な発見がありました。まずは先生方の給料ですか、学長は日本円にすると月8万円という金額です。大学から4万円、政府から4万円の支給があるそうです。そのほかに彼女の場合は国費で海外に出かけるチャンスが多くあります。既に日本へは3度ほどでかけています。彼女が日本からインドネシアに帰国の際に関空から同じ飛行機で隣に座っていたのが、学長のアストゥティさんでした。彼女は始めてのAIR ASIAで荷物の超過料金の事を知らずに、10,000円別途はらわなくてはならなくなり、びっくりしていました。機内で片言のインドネシア語と英語を交えて親交が深まっていきました。そして再会してから4年後の昨年、彼女の大学を訪問しました。そして今度は二度目の訪問となったのです。

次が4万円、講師は2万円、平の事務員などは8000円程度が相場みたいです。助手のラムジルが丁寧に説明してくれました。店先でお茶を飲みながら楽しいひとときを過ごすことができるのは彼がいるからです。

スマトラ2018 11月23日(金曜日)レジ会計システムの練習

コンピューター室

今日でここに来てから3日目になりますが、朝、昼、夜ともに、誰かのおごりです。どちらかと言うとオマールさんが最大のスポンサーです。朝起きるとゲストルームの前にコーヒーとロントン(米粉団子スープ)が並べてあります。それをいただき、9時半過ぎにやおら職員室に入ると日本でいうぜんざい風味の飲み物とバナナの天ぷらがテーブルの上にいてあります。これは学長か副学長の差し入れなるようです。結局朝食を二度摂ることになりました。これが月曜から土曜までほぼ連続して提供されました。もういつも満腹状態です。お昼になると、副学長がお昼に行きましょうと誘ってくれます。大学の前にあるレストランでおごっていただくことになります。そして夕食はオマールさんが「ご飯まだでしょう?一緒に行きましょう」万事こうした状況が続くのです。自分の財布から食事代金を払うという事は殆どありません。会ったにしても、1食最高で13000ルピア、日本円でちょうど100円です。

2018年12月16日日曜日

スマトラ2018 11月22日(木曜日)同室のオマールさん

中央が同室のオマールさん

来客用のゲストハウスで同室のオマールさんは、冗談が好きで陽気な大柄な土木の先生です。彼は講師の他に実業家ですから、結構羽振りが良いわけです。イスラム教の教えでは、豊かな人は貧しい人におごらなければならないという感じの教えがあります。夕食時になると彼が率先して誘ってくれます。他に21人の講師陣を引き連れて食事に出かけても、彼が全額払ってしまいます。そんな状況ですから、私も流れに任せるしかありません。隣のゲストルームには、ここから13キロ離れた州都のあるパダンに実家があるアリフ先生です。かれは、ものすごく温和な人で、ほとんど口を開くことがありません。しかしいつも微笑みを絶やすことはありません。更に、今回はもうひとりのゲストがあります。同じスマトラの出身ですが、アチェ州生まれでマレージア在住のプログラミングの先生です。オマールさんの家は州都パダンですが、週末になると家に帰りますが、ピカピカのトヨタの車を所持しています。やはり、お金持ちなのです。助手のアムジルに尋ねると、「彼は会社経営しているから車を七台もっているし、家も3箇所にある
大学構内左が学食!

2018年12月15日土曜日

スマトラ2018 11月21日(水曜日)ようこそパヤクンブへ



世界最大のカルデラ湖トバ湖はスマトラにある。
インドネシアのスマトラ島ブキティンギに到着してから1週間になります。サルマンに出会ったのは1982年にスマトラ島を訪問した時から始まります。マレーシアのペナンからはメダン行のフェリーが運行していました。当時は、これが最安でインドネシアに行く方法です。近年は格安航空会社が運行しているので、特売日に照準をあわせて購入すると、片道1000円から2000円程度でマラッカ海峡を挟んで対岸に行くことが出来ます。
当時のフェリーでは、料金は確か片道2000円ほどでしたが、実際の航行は4時間ほどですが、何しろ船ですから、一度に大量の客を運びます。出入国手続きに時間がかかり、朝桟橋についても、夕方5時頃にメダン市内の宿に到着することになります。そんな一日かかりの船の旅でした。この船で数回往復したことがありますが、時には、手錠をかけられたグループが警官と思しき人々に囲まれて同乗していました。彼らは、不法就労とかで強制送還の身になった人々です。隣国のインドネシア側に引き渡すまで係官が同行しています。それにしても、まあ彼らの表情はあっけらかんとしています。船といっても300席ほどある快速艇ですからそんな大きな船ではありません。エメラルド色の海峡を颯爽と進んでいきます。時には、海流に流されて到着が2時間ほど遅れ、現地へは暗くなってからというケースもありました。
さて、メダンからは、風光明媚なトバ湖を経由して南下するのが一般的なコースでその途中にあるのが、標高1000メートルほどの避暑地ブキッテンギです。
当時のガイドブックの記載によると、ホテル・ガンガという宿が最安となっていました。市内中心部にある宿はすぐに分かりました。さて、この宿で働きながら勉強している青年がサルマンだったのです。もう36年も前の話ですが、朝早くから宿の掃除や洗濯をし、7時頃から12時頃まで学校に通い、帰ってからまた仕事をするとの事。家は20キロぐらい離れた場所ですから、通学することは不可能で実家は農家ですから学費を準備する余裕がありません。今でもそうですが、多くの学生はアルバイトをしながら通学しているのが現状です。昨今の日本で言えばブラック企業みたいな環境です。更に悪いことに給料未払いで行き詰まっていた状況で私に出会ったわけです。たどたどしいながらも自力で学んだインドネシア語をたよりに、事情が次第に飲み込むことができました。夜はいつも地元の警察署に宿泊者名簿提出に出かけなければなりません。いつもお腹を空かしているようで、時々出くわして夜食用の小銭を渡したりしながら数日立ちました。そして私の決心がついたのです。

2018年12月12日水曜日

カンボジア物語15 カンポット


カンポット

メコン川の遊覧船
首都プノンペンから150キロほど南下すると。メコン川の畔にカンポットという小さな町があります。1時間もあるけば、町を一周してしまう規模で、のんびりするには、相応しい場所です。概して欧米人の熟年旅行者のたまり場的存在です。そんな場所に出かけてみました。前日にシンさんは、切符を購入し、当日になると朝8時の出発というので、ノーヘルメットで警察官のみはりのない場所を選定してバス乗り場に向かってくれました。小型バイク(モンキーバイク)ですいすいと路地裏を駆け抜けて行きます。交通渋滞は、始まったばかりで、20分ほどで到着です。さて、キャピタル・ツアーというバス会社はカンボジアでも大手で広くネットワークを持ち、ガイドブックにも推薦されているので、外国人にも人気があります。路線によってことなるのですが、前回シェムリアップにでかけた時は、ほぼ満席で大型バスが運行していました。しかし、今回は小型マイクロバスで15席ほどしかありません。しかも乗客は3名のみ。後日話しを聞くと、赤字でも路線を維持しなければならないし、一度切り捨てると免許を取るのが難しいので、赤字覚悟で運営しているそうです。

2018年7月20日金曜日

カンボジア物語14. アンコールワット


カンボジア有数の観光地として有名なのは、最初に思い浮かぶのがアンコールワットです。この巨大遺跡群は、やはり度肝を抜かれます。ミャンマーのパガンにある仏教遺跡は、その広大な地域に何千という仏塔、寺院群がびっしりと並んでいるのは荘厳ですが、ここアンコールワットは、それぞれの遺跡が特色ある彫刻で埋め尽くされ、どれを見ても個性があります。
隣国タイにある古代遺跡のルーツは、ここクメール王国の遺跡の一部と解釈しても不思議ではありません。12世紀頃栄えた巨大なクメール王国の支配地は、はるか、ミャンマー、タイ、ベトナムをも包み込んだ大きなものだったのです。
その建築様式は、インドのヒンズー教が基本だと言われています。その後次第に仏教が中心となった彫刻に変遷していきます。こうして眺めてみると、インドとの繋がりをひしひしと感じざるを得ません。勿論、それは、インドが本家本元で歴史的にも、インドに軍配が上がるでしょう。ヒンズー教の伝播は、東南アジア諸国で広範囲に影響を及ぼしています。インドネシアでは、観光地兼ヒンズー教文化が広がるバリ島が有名ですが、その他にも、インド洋を挟んだスマトラ島の一部には、スリ・ビジャヤ王国が栄えた時代があります。ジャワ島では、マジャ・パヒド王国が栄えていました。

2018年7月18日水曜日

カンボジア物語13 シェムリアップ


シェムリアップは、アンコールワット遺跡から7キロ離れた観光地です。ここには、旅行者用の宿、レストラン、コーヒーショップ、コンビニ、旅行代理店など観光客に必要な設備が全て整っています。国際空港もあり、小さい町ながら、観光で潤っている町として有名です。今でもホテルやゲストハウスなどが新築、増築中です。あまりにも、競争が激しいようで、宿の価格は5ドル程度でもシャワー、トイレ付きが存在します。
他にこれという産業もないようで、とにかく市街は観光地一色となり、ナイトマーケットも活気を帯びています。観光客は、年ごとに増加の一途をたどっていますから、町全体の収入が増加するのですが、他に投資する場所がありません。結局宿泊施設への再投資が加速する現象が発生しています。
遺跡へ行く巡回バス、いわゆる公共交通機関はアンコールワットにはありません。毎日、これだけの観光客が遺跡を訪問するならば、一般的には、手頃な価格の市内バスの運行があってもおかしくないのですが、どうも、これは、タクシーやトクトク(三輪車タイプのタクシー)業者からの圧力があるのでしょう。運行開始には至っていないのが残念です。一日借り切って15ドル程度ですから、3人で回れば一人500円ほどの費用ですから、それほど高くもありません。しかし一人ではちょっと負担になりますねぇ。

2018年7月16日月曜日

カンボジア物語12 カンボジアの人は高層ビルがお好き


高層ビルの並ぶプノンペン

シンさんは、最近私の旅行のパターンが気に入ったようで、旅行に出かける時は、決まって相談に来ます。「今度〇〇行きたいけど、出かけてもいいかな?」から始まり、OKサインを出すと嬉しそうに、次どうしたら良いですかと質問が届きます。
最近は、現地の食べ物を食べ、ローカルの乗り物で移動するパターンに変化しているようで、インドへの旅行中は、「アグラの市内から、〇〇まで市内バスで行って来たよ」など頼もしい返事が届くようになりました。インドの旅では、食べ物にはかなり不自由しているようで中華系の食べ物を見つけるのは高級ホテルへ行けば別ですが、街角では見かけることはまずありません。結局インドっぽい焼き飯や、焼きそばで済ませるか、カップヌードルでしのぐ事もあるようです。自国に帰ってから、たらふくご馳走を食べるのが常態化しています。
シンさんの旅は、次第に一般的なカンボジア人の海外旅行とは異質なものになりました。彼の説によると、「カンボジアの人々は高層ビルにしか興味がないのです。」という事でした。なるほどそれも納得が行きます。彼の旅のパターンは多様に渡っています。ヒマラヤのトレッキングなどは、平均的なカンボジア人にとっては、パイオニア的存在です。つい先日は、タジマハールをみたくて10日間インドに出かけました。話で聞いていたモルジブへも単独で出かけました。

2018年7月15日日曜日

カンボジア物語11 商売の基本

親日家のシンさんのバイク

さて、シンさんのお店には、CCTV(監視カメラ)も設置されています。月平均1500ドル(160万円)ほどですから、年収にすると2,000万円ほどの売上ですから、現地の物価、給与水準からすれば、大きな売上が続いています。物価は日本の五分の一程度ですから、日、本の規模に換算すると、さしずめ年商一億円規模ということになります。開店した当時1週間は全く売れなかったそうで、初めての一足が売れた時は、ものすごく嬉しかったそうです。
「良い品物を安く皆さんに提供する信頼のお店」をモットーに売上は右肩上りで上昇していきました。その統計資料が如実に物語っています。今まではノードに数値を記載していたのみですが、それがグラフで表示され、平均値を表示することで、分析は容易になります。給与の支払いが毎月25日頃ですから、

2018年7月8日日曜日

カンボジア物語10 大掃除しようか!

シンさんのお店(支店)

さて、シンさんの好意に甘えてばかり居るわけにはいけません。シンさんのお店は、抜群にセンスが良く、広くて明るいモダンなショップで、他の靴屋さんより垢抜けしています。しかし、5年前の開店以来、大掃除をした気配がありません。入り口の大きなガラス戸は手垢で汚れています。天井近くに飾ってある一メートルほどの大きなプラスチックの靴モデルは、上のほうが埃まみれで白くなっています。飾ってある写真が水平ではなく、歪んでいます。プラスチック製の芝生は、緑色が埃とゴミで黄色っぽく変色しています。棚の隅にも埃が溜まっています。玄関には、割れたガラスが放置されたままです。お店の中央に鎮座している神棚にも埃が溜まり、指でなぞると、ざらざらしています。
それでも、お店は繁盛するのですが、私としては、極めて遺憾です。シンさんに声をかけて「今日は、大掃除しようね」という事にいなりました。スタッフはマネージャーと学生のパート従業員、そしてシンさんと私で一斉に大掃除にかかりました。テキパキと、指示する私に全員は唖然呆然としていました。始めは何が起こっているのか、理解できないようでしたが、次第に要領が身につくようになり、2時間ほどで、お店は見違えるようにきれいになりました。「机は表を丸くなぞるのではなく、最初は机の側面からきれいにしましょう」など掃除の基本を丁寧に説明しながら作戦は大成功を納めました。

2018年7月6日金曜日

カンボジア物語9 プノンペンの下町

プノンペンの市場

さて、シンさんの自宅兼店舗はプノンペン市内の下町という雰囲気が漂う地域です。近くには朝市兼夕市がたち、雑然としていますが、いろいろなお店があります。アパートも多く存在し、最寄りのバス停へは、歩いて10分の距離にあります。昔からの伝統ある古い町並みが残る下町という雰囲気ではありませんが、数十年前までは、湿地帯だった地域が、振興居住地区という感じで急成長した場所です。所々に大きな豪邸があったり、そんな中を細い路地を挟んで中級アパートがひしめきあっている場所ですから、普段の生活にさほど不自由は感じません。強いて云うならば、都市計画がなされずに急に出来上がった住宅地でしょう。「皆が思い思いで建物を作っている」そんな町並みなのです。周囲は一般的なカンボジアの人々です。格別な高級住宅地やマンション街でないことは確かです。

2018年7月3日火曜日

カンボジア物語8 リアルとドル

100リアル札(2.7円)

私の手元には、現地通貨は一切ありません。しかしカンボジアでは心配無用で、ドルと現地通貨リアルの両方が器用に利用されています。街角のサンドイッチを買うには、ドルでもリアルでも構いません。バケットサンドイッチは大体2000から3000リアル(0.5ドルから0.75ドル)一ドルは4000リアルでほぼ固定されていますから、通貨がごちゃまぜでも、庶民は何の抵抗もなく、さらりとお釣りをくれます。その時の状況によって受け取るお釣りがドルだったり、リアルだったりするのです。
ここでは、コインはなく、リアルの紙幣は500100020005,00010,000さらに、同じ金額でも、発行時期によってデザインが異なり、外国人にとっては、即座に見分けるのが難しいのです。しかし地元の人々は日常生活での必須事項ですから、すぐに見分けがつくのです。ミャンマー同様に、汚れ一つない新札とズタズタ状態の旧札がどっさりと布袋か、引出しに無造作に放り込んで使うのがお店や屋台の常識です。お釣りが必要な時

2018年6月26日火曜日

カンボジア物語7 プノンペン到着

夜の市内ドライブ

近年カンボジアの治安は良くなったようで、査証の取得も空港で簡単に取得することが出来るようになりました。機内では、事前に査証申請用紙と出入国用紙が配布されました。空港に到着してからは、以外とスムーズにアライバルビザが取得出来、20分ほどで手続きが終了しました。私は機内預けの荷物がないので、荷物を待つ事もなく、税関を通過して空港外にすんなり出ることが出来たのです。
さて、少し離れた所にシンさんの姿が見えます。初めて訪問する国となれば、現地通貨の両替や、スマホのSIMカードの購入など、幾つか手続きを終えてから市内に向かうのが常ですが、今回は、そういった準備は不要です。シンさんと懐かしの対面を済ませ、彼の自家用車で自宅兼店舗に向かうことになりました。

2018年6月25日月曜日

カンボジア物語6 フェイスブックで交流拡大中



シンさんのお店
さて、シンさんとは、彼のカトマンズ出発の前日にはホテル・ハナで再会を喜び合いました。夕食は彼の奢りで、日本食のカツ丼です。これは、彼のお気に入りの食事の一つです。東南アジア系、中国系の人々にとっては、豚肉は普段の料理に頻繁に登場します。多少インドっぽいカツ丼でしたが、日本の味に近く80点という事で合格でしょう。
彼が帰国後、再々フェイスブックを通して、彼からの相談は、どんどん弾みが付きました。「今度モルジヴいきたいけど、どこに泊まったらいい?」「VISAを取るにはどうしたらいいのかな」「ホテルはどこかおすすめありますか」など旅の相談が多かったのが、次第にエスカレートし、「今従業員を首にしようか、どうか迷っているのだけど、どうすれば良いですか?」「隣の家の持ち主が土地を売りたいと言っているけど、購入していいかな?」など事業に関係する相談も増えて来ました。
話がかなり複雑になっても、めげる事もなく、多少難解な日本語で返事を書いても、その意味を理解しているようで、どんどん進んでいきます。出来る限り、やさしい日本語で返信するつもりでも、話題に熱中していると、私にとっては、高度な漢字で表現することもあります。新しい漢字が出ると、多分ネットで調べているのでしょう。すんなりと理解し、返信が届くようになりました。この技に驚きを隠すことは出来ません。
しかし、彼はどうも英語が苦手なようで、査証をネットで取得する際には、英語でいろいろな注意書きや、マニュアルなどがあり、それを読めば、理解できれば誰に相談することもなく自分で申請出来るはずですが、何故か私に頼って来ます。フェイスブック上でのチャットも英語で書くよりも、日本語で対応するほうが、早く応答を得ることになります。ビザ申請でのチャットでは、パソコンで入力中の画面をスマホで撮影し、それをオンラインでスマホのチャットを通して送信、受信するので、状態が良くわかります。それを元に、私が返信をするという状況に陥るのは、何度もありました。
しかし、ネットが通じるという事で、世界全体の距離は近くなり、意思疎通、問題解決の道がこんなに素早く行うことが出来るようになりました。国境を超えて、それは、まるで、隣に住む友人の家に押しかけて指南しているのと同じ感覚です。
こうして、始めは旅の相談から始まったのが、事業の相談そして人生相談へと多岐に及ぶ結果となりました。