軽食の差し入れ(チキンラーメン風) |
もう皆とは家族同然の空気で充満しています。フェイスブックでは次々と友達リクエストがねずみ講のように増えていきます。何かしら夢を見ているような気持ちです。日本の大学のような格式ばった所もなく、まさしく田舎の大学。日本人観点からすれば、なんといい加減な事しているのだろうかと不評を買うかもしれません。やはり質が悪い、レベルが低いなど批判が生じるでしょう。しかし、こうした場所に自分自身を置いて観察すると、それなりの理由も見つかります。
いわゆる経済的格差を随所に見受けます。施設そのものの構造(建物)が日本でいうと安普請。インターネットの環境も低速、不安定。パソコンも機材がバラバラでどこかに欠陥がある備品が多いのです。エアコンは学長室にしかありません。プリンターは学内に10台ほどありますが、いわゆるレーザープリンター(大量の印刷、コピーに向いている)ではなく、印刷コストは高いけど、調達コストの低いインクジェットプリンターです。事務所で使っているパソコンは、どれを見ても動きが遅く、メンテナンスがしっかりと行き届いていません。こうした環境で授業をしていくには、かなりの忍耐と工夫、努力が欠かせません。
学生達の中にも数人はパソコンを所有していますが、国民所得から考えると日本では5万円クラス、10万円クラスの機種を購入することは、さほど難しくはありまません。しかし、ここでは300万ルピア(24000円)程度の旧式モデルで低スペックを購入するのが限度です。となるとパソコンを使って自習するにも、限度があります。しかし何故か彼らはゲームには真剣に取り組んでいます。でも、低スペックのモデルではゲームが稼働するはずがありません。基本的な知識の欠落と限られた予算でパソコンを購入するので、私の目からすると異様な光景を目撃することになるのです。
キャンパス内(一部工事中) |
こうした機器や設備の問題に加えて宗教的な要素が入り込み、更に自体を変化させています。イスラム教徒は一日五回の礼拝が課せられています。田舎では特に熱心です。私の授業が始まろうとする午後4時前はお祈りの時刻ですから、ラムジルは決まって遅刻です。彼の部屋で授業について討議していても、どこからかお祈りの時刻を告げるアザーンが聞こえると、「ちょっとごめんね。お祈りいってくるから」と席を外してしまいます。副学長のノビアルティさんも、時刻になると、頭を覆うスカーフを白いものに交換し、職員室の床に小さな敷物を敷いて真剣な顔でお祈りを始めます。もうこの時刻になると皆オーラが宿っています。お祈りが終わると爽やかな顔をして戻って来ます。
大学には2箇所コンピューター室があり、30台ほどのデスクトップが並んでいます。使用しているシステムはウィンドウ7だったり、10だったり、不揃いです。授業に入ろうとすると、インターネット接続を完了させるには結構時間がかかります。パソコンによって動きが遅いものがあり、日本と違ってサクサクと動きません。全員が接続完了になるまで10分から15分かかるケースが良くあります。更に問題なのは、ネットの速度がブロードバンドファイバー接続と言えども、2MPSの回線をシェアしているようで、同時に20台ほどつなくと、極端に遅くなります。でも彼らにとっては、日常茶飯事なので、これが当然と解釈しています。日本の高品質のシステムに出会うとびっくりすることでしょう。
そして南国の生み出すのんびりムードです。時刻に遅れることなど日常生活の一貫ですから、罪悪感は存在しません。突然の雨で来れなくても仕方のないことなのです。1時からの授業が遅れると終了も遅れます。こうして芋づる式にダイヤが乱れてくるのは当然です。こうして、私達のクラスも4時開始の予定が4時半からになることが数多くありました。もうちょっと待ったら皆来るから、もう少し待って見ましょうか?なんと45分も待っていました。なんと思いやりのある考え方でしょう。郷にいれば郷に従えとなって、私の感覚も麻痺してしまいます。いわゆるインドネシアタイム(ゴム時間)の代表的な例をいくつか経験しました。
こうして幾つもの要素が絡んで生産性が落ち込んでしまいます。元はと言えば、落ち込むこと、生産性が低いことに対して疑問を抱く人は少数です。時間だから走るという概念はゼロで、あくまでも自的悠々の日々です。
そんな環境だから、遅れている、進歩出来ないと批判するのは容易で極めて日本的な発想です。こうした状況を理解した上でより良い環境をどのように整えていくかを検討するのが最善の道と考えます。
効率化を図るには、取捨選択の機会が増えました。技術的に最近はパソコンでなくても簡便なスマホやタブレットで代用できるケースが増えました。高額なGarmin社の本格的なGPS機材でなくても、手軽にスマホ内蔵のGPS機能で代用することが出来ます。プロでない限り、スマホで撮影したビデオはかなり精度の高い映像を撮影することができるようになりました。ゲームオタクの世代の学生たちには、こうした方法を採用するのも一案です。
最大の難関は物事に対する取り組み方をどの様に解釈して勧めていくべきかという、精神面の変革が必要になりますが、これがとてもむずかしいわけです。開発途上国から多くの人々が様々な形で訪問するようになりました。日本の社会構造がどのようになっているのか、なぜ日本の人々は時間に厳しいのか、日本の働き方と母国の働き方の違いなどを実感する人々も多いでしょう。効率を求めれば求めるほどストレスが増加し、人間関係が凄まじく対立することも当然です。社会全体がどのように変化していくか、どのような違いがあったのか、発展途上国の人々は、体に感じて持ち帰るでしょう。私が双方の違いを理解しつつあると同様に!
結局社会全体の変化が必要になります。この社会構造のなかで、事態を更に複雑にしているのが、殆どの国で経験している賄賂などによる腐敗です。これをできる限り少なくするのが必須なのですが、道は遠いのが現実です。社会的腐敗による経済損失の量は莫大なものがあります。
交通渋滞の中で早く目的地にと到達するには、賄賂を渡して救急車の路線を得れば早いでしょう。しかし、それよりも、確実なのは、道幅全体を広げるのが最適なのですが・・・・。
こうした環境の中でも、幾人かの学生は夢を持って学んでいます。彼らの清純な目はいつも輝いています。そんな彼らと共に励ましあいながら、授業を進めていくのが私の役割なのかもしれません。長い道のりが待っています。
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