2018年12月15日土曜日

スマトラ2018 11月21日(水曜日)ようこそパヤクンブへ



世界最大のカルデラ湖トバ湖はスマトラにある。
インドネシアのスマトラ島ブキティンギに到着してから1週間になります。サルマンに出会ったのは1982年にスマトラ島を訪問した時から始まります。マレーシアのペナンからはメダン行のフェリーが運行していました。当時は、これが最安でインドネシアに行く方法です。近年は格安航空会社が運行しているので、特売日に照準をあわせて購入すると、片道1000円から2000円程度でマラッカ海峡を挟んで対岸に行くことが出来ます。
当時のフェリーでは、料金は確か片道2000円ほどでしたが、実際の航行は4時間ほどですが、何しろ船ですから、一度に大量の客を運びます。出入国手続きに時間がかかり、朝桟橋についても、夕方5時頃にメダン市内の宿に到着することになります。そんな一日かかりの船の旅でした。この船で数回往復したことがありますが、時には、手錠をかけられたグループが警官と思しき人々に囲まれて同乗していました。彼らは、不法就労とかで強制送還の身になった人々です。隣国のインドネシア側に引き渡すまで係官が同行しています。それにしても、まあ彼らの表情はあっけらかんとしています。船といっても300席ほどある快速艇ですからそんな大きな船ではありません。エメラルド色の海峡を颯爽と進んでいきます。時には、海流に流されて到着が2時間ほど遅れ、現地へは暗くなってからというケースもありました。
さて、メダンからは、風光明媚なトバ湖を経由して南下するのが一般的なコースでその途中にあるのが、標高1000メートルほどの避暑地ブキッテンギです。
当時のガイドブックの記載によると、ホテル・ガンガという宿が最安となっていました。市内中心部にある宿はすぐに分かりました。さて、この宿で働きながら勉強している青年がサルマンだったのです。もう36年も前の話ですが、朝早くから宿の掃除や洗濯をし、7時頃から12時頃まで学校に通い、帰ってからまた仕事をするとの事。家は20キロぐらい離れた場所ですから、通学することは不可能で実家は農家ですから学費を準備する余裕がありません。今でもそうですが、多くの学生はアルバイトをしながら通学しているのが現状です。昨今の日本で言えばブラック企業みたいな環境です。更に悪いことに給料未払いで行き詰まっていた状況で私に出会ったわけです。たどたどしいながらも自力で学んだインドネシア語をたよりに、事情が次第に飲み込むことができました。夜はいつも地元の警察署に宿泊者名簿提出に出かけなければなりません。いつもお腹を空かしているようで、時々出くわして夜食用の小銭を渡したりしながら数日立ちました。そして私の決心がついたのです。
「あなたは、ここから出てどこかに下宿をして勉強すれば良いでしょう。今日から準備するから」と提案しました。翌日には銀行に一緒に出かけて私の準備した2万円で銀行口座を開き、後日私が日本に帰ったら、授業料と生活費を送金するからと申し出ました。本人もさぞかし驚いたことでしょう。こうなったら部屋探しをしなければなりません。友人を頼りに何とか目処がついたようですが、今の日本の様に家具付きなぞはありません。とりあえず、マットレスを買わなければなりません。一緒に寝具店にでかけ、マットレスを担いで新しく見つけた自分の部屋に運び込みました。勤務している宿には未払いの給料が残っているようですが、そんな事は気にせずに、脱出する方向になりました。
これが契機となり、必要な授業料と生活費を負担することになりました。当時の彼は15歳で高校生になったばかりです。日本の物価に比べると10分の一程度の格差があり、学費といっても、日本のように年間数十万という金額ではなく、私にも都合できる金額でした。こうして3年間送金が続きました。更に本人は大学に行きたいという夢がありました。もうここまで来たから、更に4年間延長です。こうして無事卒業です。この期間数回訪問した記憶があります。極めて真面目な青年で(一般的には、この地域の人々は真面目派が多い)控えめな性格です。これが、災いして卒業後の人生設計がうまく進みません。銀行に努めたり、ジャカルタに出かけてみたりしましたが、これも失敗。
今は自分でクリーニング店を営むことになりました。商売は徐々に進展しつつあります。昨年訪問した時よりも設備が増強され、顧客から引き受けた衣類はきれいになって包装され、商品棚に並んでいます。彼に家に一週間滞在して昨年ワークショップをしたパやクンブという小さな田舎町の大学に行くことになりました。観光地ブキッテンギからは33キロの距離ですから、彼のバイクの後ろに乗っかり疾走です。およそ1時間で皆が待ち構えていた所へ到着です。学長とは時々フェイスブックやメイルを通して連絡してあったので、早速記念撮影を行い、一年ぶりの再会を懐かしんだわけです。
右から副学長、学長そして私
昨年共に勉強した学生たちも出迎えてくれました。副学長によると、昨年の学生達が、「サトルはどうしたの?いつ来ますか?」としょっちゅう聞かれたそうです。昨年の学生たちで顔見知りは、私に握手を求めてやってきました。
そうこうしている間に4時近くになり、「さぁ、今日から始めましょう?」と言われて私はびっくり仰天です。何を、どのようにするか詳細については連絡も何もしていません。そんな事お構いなしに、皆の前に引き出されてしまいました。ともかく即興で1時間ほど紹介を兼ねて話をすることになりました。」
さて。これからが大変です。しかし今年の2月に主要な教材(主としてパワーポイント)は作成済みなので、これを基本に進めることになるのですが、まだしっかりと目を通していません。今日からは、超忙しくなりそうです。20分ほど学長と副学長の話で明日から毎日2時間講義があると学生たちに伝えてあるそうです。しかし、私には連絡が届いていません。一体どうなっているんでしょう?大学側が独自の判断で設定してしまったようです。

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