この記事は1998年にミャンマーを訪問した際の日誌を再編集したものです
2.悩める経済
2.01国内の大動脈は何なのか?・
イラワジ川クルーズにて |
ヤンゴンから深夜の特急バスを利用して道中気がついたのですが、道路状況が極めて悪いのです。ヤンゴンからパゴーまでの80キロは8車線の幅広い道なのですが、それから先は、2車線しかなくしかも舗装の状況がとても悪くでこぼこ道の連続です。途中、橋のある所は車同士がすれ違いできなく待機しなくてはなりません。高速バスが疾走する中、牛車の集団が列をなして深夜にも拘わらず作物を運んでいます。さらにこの国の交通規則は右側通行なのに日本からの中古のバスは右ハンドルです。危曝極まりない状況です。幸い多くの車両には必ず安全係りが同乗し左側の交通状況を逐一連絡する役目を引き受けています。元来大概の国では必ず大動脈的な道路網があるのですが、これではヤンゴン~マンダレーが大動脈といえるのでしょうか?
隣国のタイでは全ての道はバンコクに通じているといっても過言ではありません。東西南北に立派な道路網が整備されました。西隣のバングラデッシュでも全ての地方都市と首都ダッカとはしっかりと結ばれています。ネパールでもインドの国境と首都カトマンズを結ぶ路線は重要視されネパールにとっては死活問題ともなる重要な道路網です。日本でも一昔前は東京から大阪の間の道路が幹線として整備されました。列車も新幹線が走り年毎に交通量や物流が活発になって行きます。
どうもこの国は様子が違います。前回の旅で、日中の列車に乗ってタ-ジからパゴーまで行きましたが、どうもこの国の不思議さを感じてなりません。都市の発達と鉄道とは密接な関係が成立するのが普通です。鉄路の拡張に沿って都市が発達して行くのが常識です。所に依っては鉄道の駅が郊外に設置され市街部へ入り込む事を極力避けている場合もありますが、数年後には鉄道駅を核として都市が発達しています。鉄道は都会と都会を結ぶ手段として物資や人々の交流に大きな役割を果たしている事を多くの旅で経験出来ます。
ここではどう見ても、村と村を結ぶ鉄道網にしか映りません。となれば河川交通はどうなのでしようか?
この国では古くから河川交通を手段として都市や市場が発達した経緯があり今もそれが生きているとも言えましょう。ヤンゴンとマンダレ一間の物資の輸送は今もこの方法に頼っているのが現状です。河川を利用した物流は古来の生活の知恵なのかも知れません。水上輸送は各種交通機関の中で最も摩擦抵抗が少なく燃費効率も良く大量の物資を運ぶのに適しています。その場合河川は適当な規模であり、洪水な
どが頻発しては水上輸送の方法は不適でしょう。しかしこの総延長1250マイル(2000キロ)のイラワジ川は理想的な水量と川幅を昔から受け継ついできたのではないでしょうか?ゆったりとした川の流れと共に人の流れそして文化の交流が何千年と続いたのではないでしょうか?
パガンやピーはこの河川に支えられて豊かな文明が栄えたように思います。古代から豊かな川に接した地域には文明が発達するという事を学びましたが、それを実感させてくれる地域の一つかも知れません。ナイル川のエジプト文明、中国の黄河流域、インダス川流域に開けたインダス文明など多くの例が見られます。高度に発達した物質文明が真に豊かなものと断定できるのでしょうか?2000年という長い歴史の眼で捕らえると日本の工業化は明治以降僅か100 年程度の事にしか過ぎません。しかも日本で急速な経済発展が加速されたのは、つい最近になってからの出来事です。経済発展が文明の進化と言う事に一致するとは限りません。
急速に発展した物質文明の社会での生活は秒刻みとなります。フラストレーションも蓄積されて来ます。各種の社会問題が深刻化していきます。精神の豊かさをも伴ってこそ文明の進歩と呼べるのではないでしょうか? 国家の大動脈があろうがなかろうがミャンマーはイラワジ川の流れにも似て悠々と流れているように思えてなりません。
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