2017年1月16日月曜日

2.07経済封鎖でもびくともしない現状



   この記事は1998年にミャンマーを訪問した際の日誌を再編集したものです

2.07経済封鎖でもびくともしない現状。

船での輸送が・・・・
さて、ミャンマーの最近の情勢はこの様に多くの工業製品を隣国からの輸入に頼っているわけです。民主化を求めて時々不穏な動きが発生します。同時に、西洋諸国からの経済的制裁を部分的に受ける訳です。アメリカの企業が投資を始めたかと思うとすぐに引き上げをします。民主化の要求に歩調を併せて政治的背景を配慮しての行動でしょう。そう言った事で容易に工業化への道は進まず、一進一退を繰り返しています。しかしこの国をゆっくりと旅をすると国境を通じての交易の重要性が、はっきりと見えて来ます。マンダレーと中国の国境はバスで12時間の距離にあります。トラックでは一日で充分物資を運ぶ事が容易です。タウンジーからはチャイントンそしてタチレクを通じてタイランドのチェンマイに通じる道路があります。南部のモールメインからはこれもタイランドの国境メ-ソツトへは6時間程の距離にあります。それぞれの国境へは毎日数多くのトラック軍団が往来し、物資の供給を可能にしているわけです。米国がミャンマーを経済的に封鎖しようとしてもその効力が現れないのは明白です。一時南アフリカの人種差別に対して国連が経済制裁をした事があります。この措置も実際には思った程に効果を発揮出来なかったのが実状でした。医薬品等も卿裁の一部に入っていたようですが、大量にインド製の薬品がアフリカの近隣諸国を通じて国境貿易として流れ込み困る事はなかったそうです。ある中近東の国では諸外国から武器の禁輸を受けたのですが、実際は国連に加盟していない北朝鮮から多くの武器が流れ込みその国はあまり不自由をしなかったそうです。どうも現在のミャンマーはそれらに近い側面を持っているようです。′

この国は、食料自給が可能である限り、原料や工業製品を輸入してさらに付加価値を付けて国外へ輸出しなければ国家の経済が成り立たないという根拠は全く今の所ありません。なければないで済むという開き直りの風土を感じないわけでもありません。元来我々の学んできた経済論によると国家の運営には当初第一次産業からスタートをし徐々に軽工業から次第に知識集約型の産業に移行する事に依って国力を高める事に繋がると学びました。最終的に第三次産業へと移行するものという定義が為されました。
しかしこの経済学も最近はその方程式を変更せざるを得なくなりました。第一次産業から第二次へそして第三次産業へと順序を追って変化するのではなく、例えばネパールのように第二次産業部門を飛び越して観光産業に重点を置き中間の段階を飛びこそうとして.いる国もあります。また中近東の石油国家は昔から一次産業がなく、鞍舵を使っての高菜を基本として発展した国です。それらの国家は原油の輸出と武器の販売という一次、二次産業ともに欠落したままで現代の世界で国家として成り立っています。ミャンマーを観察していると国民が幸せであれば国家がどのような形態をとっていても良いのではないかと感じる事があります。

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