2017年1月3日火曜日

1.1人々は大変穏やかです。

この記事は1998年にミャンマーを訪問した際の日誌を再編集したものです。

1.仏教の影響

1.1人々は大変穏やかです。

当時の市内バス
ミャンマーに入国すると何となくホットした心の安らぎを感じるのは私だけでしょうか?インドからネパールへ入国すると多くの旅行者が安堵感を持ちます。北インドから南インドへ入っても同様な安らぎを感じます。この土地の人々の顔つきは極めて穏やかな表情を示しています。
人々が身につけているものの多くは男女共昔からの現地スタイルなるロンジーというものです。今でも早朝にはお坊さんや尼さんが托鉢に回っている光景を頻繁に見かけます。人々は何のためらいもなく寄進をしています。ある人は少額なれどもお札を、ある人はご飯を、ある人は煙草を捧げています。ヤンゴンからマンダレーを夜行バスで移動すると、朝食はメッテラ付近となります。まだ夜が明けきらない薄暗やみの中を托鉢する僧や尼僧達の行列が延々と続くのを見かけました。これは一体いつ頃から始まったものでしょうか?そして今後も永遠に続くのでしょうか?この光景は何千年の間も止む事なくこの国では続いた日常生活の一環なのではないでしょうか?聞く所によると自分達の食べ物を削ってでも僧侶には自由をかけないのが美徳とされるミャンマーです。
最近のヤンゴン市内は車の洪水や高層建築の増加で何となく騒がしく感じますが、それはアジア諸国のバンコクやクアラルンプールそしてジャカルタ等のような巨大首都に比べるとまだまだ静かです。今でも外界から取り残されているのではないかと錯覚すら感じる事もしばしばです。寸ヤンゴンの市内を外れると広大なる田圃地帯が広がります。勿論ヤンゴン自身も緑の多い町となって感ずる事でしょう。市内や郊外を問わずにあちこちに仏塔(パゴダ)がさんさんと輝いています。通称ゴールデンランドとも呼ばれるこの国の由縁です。
パゴダと並んであちこちに僧院が数多く存在します。大変に信仰熱心な国民である事を痛切に感じます。仏教徒の男子は生涯の中で最低7日間を修行僧として暮らし仏教の教えを実践するのが義務とされています。男性の僧侶だけではなく女性の尼さんの姿をも時々みかけます。この期間を通じて人々は仏教を学び、それぞれに寄進を受ける身分と寄進をする身分の双方を休験する事が可能となります。国内外を問わず聖地の巡礼も盛んなようです。インド各地の仏跡には必ずといって良いほどビルマ寺があります。ピンク色の袈裟を纏ったミャンマーからの尼僧さんをしばしば見かける事があります。
バゴーで小さいモナストリ(僧院)を訪ねて見ました。木造のひなびた僧院です。電気もなく質素な小屋で3人の僧侶が共同生活をしています。彼らの生活は喜捨でまかなわれています。
夕方訪問したのですが、お茶とビスケットの接待を受けました。其の中の一人の僧は45歳を過ぎていますが未だに独身だそうです。どうやって勉強したものか、彼はきれいな英語を話します。ともかく静寂が漂い清く正しい暮らしぶりです。この雰囲気がビルマ全一体を象徴しているかのようでした。
白常生活に於いて仏教の教えが浸透しているこの園の光景は我々に大きなインパクトを与えてくれます。人間が穏やかであれば、そこに住む動物までも穏やかに見えて来るものです。仏陀の五つの教えを尊び、
盗難等の犯罪も殆ど無く今も平和そのものを感じさせる風土です。この'地上にこれと類似した土地があるのでしょうか? この国を旅していると、近代化する事が進歩であると我々が勝手に判断していた事に大きな戸惑いを感じさせてくれます。停電が多くても、TVが無くても、バスの運行回数が一日に数本しか無くても人々の生活が成り立つ事を教えてくれます。ミャンマーに於いて政権の交代が過去の歴史に何度かあったにせよ、人々は仏陀の教えを忘れることなく伝え続けた証ではないでしょうか?
この国の最盛期はパガン王の栄えた1044年~1287年迄の約240年間といわれています。最終的にはクビライハンの軍隊が侵入して滅びたと言われています。しかしパガンの寺院は線香の灯が絶える事無く参拝者が続いているのでしょう。その事を想像するだけで感動せざるを得ません。
さて一体何故ミャンマーでは極めて穏健な空気を感じるのでしょう。ミャンマーは決して単一民族国家とはいえません。この国の国旗が示すようにシャン族、カレン族、ビルマ族など主要なる6つの民族からなっています。宗教を考えても日本のように95%が仏教徒ではありません。都市部へ行くと回教寺院や教会を見る事が出来ます。 マンダレーでは回教徒は2割以上と言われています。しかしミャンマーの場合民族が別れていてもその差違はインド国内においてのベンガリ人とタミル人のような極端な開きはありません。宗教の分布も大都会をのぞいて農村部ではほぼ100%に近い仏教の普及率です。ミャンマーを強いて表現するならば、疑似単一民族国家といってもよいのではないでしょうか?それが穏やかな社会を構成してきたように思います。
アジア地域をこの視点から眺めると、タイランドでは南部にかなり数の回教徒がいるそうで
すが、大半が民族はタイ人で宗教は仏教徒で構成されています。そこに一種の穏やかさを感じます。バングラデッシュは一見人口が過度に集中した強烈な国というイメージがあります。しかしこの園も実際には以外と穏やかな国と映ります。厳密にいえばバングラデッシュは単一とはいえません。仏教徒の人
口も東部ではかなりの数字です。ヒンズー教徒も全国で10%占めています。しかし国民の大半が回教徒であり且つバングラ人である事は単一民族、単一宗教の環境が社会の安定化に寄与しているのを裏付けています。バングラデッシュの場合は経済的な貧困がその社会に緊張感をもたらしている様に感じます。
複合民族国家で色々な宗教と言語が入り交じっているインドでも地方の田舎に入り込むとホットする事があります。その地域には文化の混在が少なくそれが原因で何となく安らぎを感じるのではないでしょうか?カルカッタは様々な人種で構成されている街です。しかしこれは市街に於いての話であり、一歩郊外へ行くとほぼ100%ベンガル人で且つヒンヅー教徒で構成されています。これが穏やかさの源なのかもしれません。

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