2017年3月22日水曜日

11.5映画とビデオ



11.5映画とビデオ

この記事は1998年にミャンマーを訪問した際の日誌を再編集したものです

パゴーの市場
貸しビデオ屋さんが繁盛しています。 場所に依っては一回のレンタル料金が20チャットから50チャットですから手軽に借りる事が出来ます。 ホテルやゲストハウス等ではお客さんがテープを用意すればホテル側はデッキとTV一式を利用させてくれます。全く有り難い方法です。長距離バスの車内でも何本か上映される事があります。 それらは全くバラバラのマサラ貸しテープ屋さんとでも表現しましょうか、卑猥なものを除いて世界各地からの海賊版が集まっています。 香港作成で日本語の字幕の入ったやくざもの 映画から、洋画の最新作、インドのアクション映画、中国のオカルト映画などが店頭に並びその無秩序さに感激さえ覚えます。 地元の人々は言語がわからなくてもとにかく画面が派手に動いていればそれで良いみたいでミャンマー語への吹き替え作品や字幕の出るものは殆どありません。 字幕がでても日本語か中国語か英語に限られています。
奇妙な現象です。インドの場合北インドでヒットするとその作品はスターを南インドの人に置き換えて再ロケをして作り直します。この事はタッピングと呼ばれています。一体この国の実状はどうなんでしょうか? どうも人々は言葉など理解するのは二の次でそのアクションや風変わりな行動に目を奪われて陶酔しているように見うけます。 ストーリーはどうでも良いのが本音のようです。
ミャンマー映画を始めて見ました。友人に連れられての鑑賞です。この映画は1995.年度のミャンマー映画大賞受賞作晶です。 約2時間半のパガンの人形使いと上流階級の娘が恋に落ちたのですが、親から無理に離別を余儀なくさせられたのです。その女性は1人娘をお産しました。 その後両親は事故でなくなりその事が原因で女性は、半狂人の生活が続きました。他方捨てられた娘は、元愛人なる男性が実の娘とは知らずに育てあげました。 運良く有名な舞踏家に成長し、最後のシーンで父親は実の娘であった事をしり、母親も正気に帰る事ができ3人で一緒に暮らすというクライマックスを迎えてのハッピーエンドでした。 大変清楚な恋物語でミャンマー的というのがこれかなあと感じました。 
映像技術等はインドのそれに比べると遥かに見劣りがしますがストーリー性は充分あったと思います。 歴史的遺産のパガンが舞台というのもなかなかセッテンゲもよく、ミャンマー映画大賞受賞の一つの理由かも知れません。 最終のショーで見学したので観客の数は殆どいませんでした。これからも機会を見つけてミャンマー映画を楽しむ事にしましょう。 次回の訪問は何かと忙しくなりそうです。
マンダレ~には10軒程映画館がありますがその半分程はインド映画専門で上映しています。 さすがインドは文化大国です。 ストーリーは誰が見ても理解し易い事、アクションが派手で音楽も脳みそに気持ちよく働くからかも知れません。多くのインドの映画はストーリーが単純である事から文学的見地からすれば子供騙しなのかも知れませんが、一つの映画に音楽とスリルとラブとアクション等多くの要素を混ぜ合わせ、少々色っぽい個所を加えたりして観衆を楽しませてくれます。 映像文化論の見地からすると表彰ものかもしれません。 世界中にインド映画はばらまかれています。 インドネシアへ行った時には国民的歌手がインドのヒットソングをインドネシア語で歌いそれが大ヒットしていました。
補足ですが、ミャンマーの映画館では一応始まる前に国家と国旗が放映されます。 しかし多くの人々の表情は仕方なしに起立しているようでした。お国が変ってタイランドでは上映の前には必ず国歌が流れ同時にタイランド国王のドキュメンダリーが暫く紹介されます。この国ではそれが始まると待っていましたとばかり皆がスーと起立しています。 もしこれを怠ると不敬罪が摘要されるそうです。
大概の国では必ずコマーシャルのフイルムが入ってから本番上映ですが、ここでは全く宣伝映画がありません。 これはどういった事なのでしょうか? 経済の自由化をしてまだ時間が経過していません。国内での工業製品が殆ど生産されないのですから、宣伝を買ってでる企業もありません。 インドでは華やかに煙草の宣伝が数本、それから石鹸と歯磨きの宣伝等が主体となります。 タイでも石鹸やシャンプー等の宣伝が映画館で行われています。 ここで風変わりなのは男性の下着が派手やかにその一部を担って宣伝されている事です。宣伝の一部として地元の広告会社作成の単純なスライドショウも上映されています。宣伝(コマーシャル)なれしている我々の日からするとあっけない感じもします。
ミャンマーの街角では最近になってようやく煙草等の広告らしき看板を見掛るようになりました。しかし郊外を車で走ると広告や看板がないので大変スッキリとした感じを受けます。 目立つのは寺院のパゴダだけと言っても過言ではないでしょう。 日本のようにごちゃごちゃしなくてすむのです。 また別の意味で捕らえると、ミャンマーの人々は、我々のように情報に振り回される事なく過ごせる利点があるのではないでしょうか? いちいちブランドを気にしたり、どの商品にするか悩まなくてすみます。 基本的には宣伝は資本主義の産物ですから用いられ方次第で消費者が餌食となり犠牲を強いられる場合があります。そんな不幸もここでは少ないのではないでしょうか?
街角には必ず貸し本屋さんを見かけます。この国の人々はどうも読書も好きなのでしょう。 新聞は皆穴があくほど熱心に目を通しています。 貸し本屋の本はその多くはプラスチックのカバーを付けて長持ちするように工夫されています。 列車内でも本を抱えて売り子さんが行ったり来たりしていました。 車内移動図書館ともいうべきシステムもあるようです。 終着駅が近づくと回収して廻る貸本屋も登場です。 さて一体皆どんな本を読んでいるのでしょうか? ホーラーでしょうか? オカルト物でしょうか? それとも仏教経典でしょうかね? でも恋愛物語が一番多いのではないでしょうか?
喫茶店が2軒並ぶと大変不愉快な思いに刈られます。何故かと言うとどちらも集客作戦で朝から晩まで西洋音楽をガンガンと鳴らして居るからなのです。 最近の若い人たちは音楽喫茶にたむろしています。 一寸西洋っぽいポスターが貼られ何となくハイカラな気分を味わせてくれるのが最高の楽しみなのでしょう。 一昔前に日本だって明治時代か大正時代かよくわかりませんが、カフェショップと名前を付けてモーツアルトかなんかの音楽を流してハイカラぶった時代もあった筈です。 比較は無理かも知れませんが、どちらかと言うと似た者同士ではないでしょうか? それにしても結構賑わっています。 案の定音楽のない店はがらーんとしています。それにしても若い人々は一体何を話題にして延々とここで時間を過ごしているのでしょうか? 幸せは喫茶店からやって来るのでしょうか?
さてこの喫茶店でたむろしているのは殆どが男性です。 これはミャンマーだけの話しではありません。インドネシアやマレーシア等イスラム諸国でも多くみかけます。 男性はなにもしなくてもよいのがミャンマーでは風潮となっているそうです。 亭主をぶらぶらと遊ばせておくのが良き妻の象徴らしく、女性が朝早くから旦那の飯を用意して野良仕事に出かけ戻ってきてから夕食の準備をします。 その間亭主は何にもしないで茶店でゴシップ話しに熱中していればよいのです。 それで家内は満足だそうな。 一年で男は4ケ月仕事をし、後は寝て暮らすのがこの国の粋な暮らしだそうです。 しかしこの風潮は次第に変化しつつあるようです。 それにしても大変うらやましい話しではありませんか?

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