この記事は1998年にミャンマーを訪問した際の日誌を再編集したものです
11.4夢あれこれ
この汽車動いてる! |
ここ、ミャンマーでは、タイの宝くじがはやっています。一発当たると300万バーツ(一億円)の夢が実現します。 規則からするとこれは御法度なのですが、人々は一向に気にせずにせっせと次回は何番にすれ
ば良いか、数人集まって研究会らしき事を始めています。それに引き換えミャンマー国営宝くじ販売所はどう見ても活気がありません。やたらスピーカーで宣伝していますが、売り上げ不振です。
ジャパニーズ・ドリームも彼らのあこがれとなっています。ネパールの様に出稼ぎ経験者がもつと増加すれば、この話しは庶民にとって、一層身近な物となるのでしょうが、現段階では庶民が外国へ行く事を想像すらした事のない人々ばかりです。 極めて一部の人からの又聞きの又聞きで、外国の給料がどの程度なのか知っても驚きはしますが現実にはどうなのかピンと来ない人が大半なのではないでしょうか? 果たしてこの国の人々は、もし海外旅行がもっと自由になったら、多くのネパール人が始めたように、ジャパニーズ・ドリーム実現の為にはあらゆる手段を講じても構わないという気風になるのでしょうか?
パゴーのミヤナンダゲストハウスのマネージャーは最近までタイランドに住んでいました。何しろ7年間の滞在ですからタイ話も堪能です。私との会話はもっぱらタイ語を通じてとなりました。 バンコクやチェンマイ等あちこち転々として過ごしたそうですが、最近タイランドの経済不況と通貨の落ち込みで祖国ミャンマーへ帰ってきたとの話しです。 勿論タイランドのほうが遥かに給料も良かったのは事実です。今は一ケ月3000チャットの給料でこの宿の支配人をしています。 3人の子供を持ち5人家族で暮らしていますから何かと生活は大変ですよと嘆いていました。 英語が話せる事はこの国では貴重な事なのかも知れません。
他にもタイランドへ出稼ぎに行った人々の話しを聴く事があります。これも彼らにとっては一つの夢なのかも知れません。またまた出稼ぎの話しが続きます。これはミャンマーの事ではなくお隣のバングラデッシュの話しです。 現在バングラデッシュの人口は1億を越えています。その中で国外で働いている人々の数は180万人程度と発表されているのです。この他に日本への出稼ぎの様にもぐりで仕事をしている数を含めると200万人となりましょう。という事は人口の2%に匹赦します。この数字は50人に一人という事です。平均的な家族数を5人とすれば10軒の家庭で一人は外国へ出稼ぎに行っている計算となります。 バングラデッシュやスリランカ等ではどんな田舎へ行ってもその村には豪邸の一つや二つが目に入ります。これらの家はジャパンマネーやオイルマネーの還元によって建設されたのではないでしょうか?
パゴーの町で夕方寝仏寺へお参りに行きました。その帰り道にミャンマー人が声をかけてきました。 たどたどしい片言の日本語が耳に入って来ます。 何の警戒心もなく一寸お詩をする事となりました。立ち止まった所は家の新築現場です。皆にこにこと笑顔をしています。 二階建ての新築工事は3分の2程終了し、あと一息という所です。 母親らしき人が現場の前に座っていました。 後から来たお兄さんが財布の中から何かしらの-ドル札を数枚母親に渡しています。母親の財布にもお札がドルとチャットと混ざって入っているのが見えました。 彼は寝仏寺で働いているそうです。 貴方は2ドル拝観料を払いましたかと質問してきます。「この家は誰の家?」と聞くと、「私達のですよ」と答えました。 費用はざっと200万円程かかると話しています。 家の規模からすると納得の行く金額です。 簡素なミャンマーで見かける竹と木で出来たものではありません。 しっかりとセメントと煉瓦を用いた本格的な作りです。さてこの資金は一体何処から生じたものでしょうか? 推測するに寺院に拝観料をくすねたとしか思えません。 彼らは矢張りラッキーな人たちだったようです。このミャンマーでは何事が発生しても許せるような風を感じてしまいます。
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