2017年3月28日火曜日

12.2落っこちたトマト



12.2落っこちたトマト


この記事は1998年にミャンマーを訪問した際の日誌を再編集したものです

タージの街にて
遅れていると言う事は一体どのような意味を持つのでしょうか? 単に教育水準が低いと言う発言もこの国の尺度では通用しません。ましてや科学水準が低いと言ってもそれは彼らの実生活とかけ離れた存在です。このレベルで人が優れているとかを語るべきではありません。その人々の行動がどのようになされるのかが真の人生の尺度ではないでしょうか? 今日のトラックバスの荷台からトマトが-駕寵落ちました。 15キロ種詰まった寵です。 皆協力して路上に散乱したトマトを拾うのに協力していました。 はつらつとした光景を眺める事となりました。ここに真に仏教徒としての悟りがあるように思えてなりません。誰一人この事件に関して良いとか悪いとか批判はしません。 起きてしまった事象に対しての決着を付けるのではなく、それをどのように処理するかを決めるのが先のようです。 こうして考えると我々はまだまだ教えて貰うべき事が沢山ある気が致します。ここピーの街へは又来年も訪ねてみたいと思います。季節を選んでビルマにはまる事と致しましょう。

ミャンマーの人々の移動する姿を見ているとインドやネパール等とは全く異なった感覚になって来ます。列車で旅をしても、バスで旅をしても彼ら荷物には鍵がついていた試しはありません。他の国では大概厳重に南京錠がかけてあります。インドの列車等は座席の下に置いた荷物には更に金属のチェーンをかけて防御するのは格別異常な行為ではありません。インドの街角では鍵屋さんがあらゆる種類の鍵を販売しています。 ネパールでは国内生産が出来ないので多くは中国製かインド製が並びます。 如何にこの国は平和なのか改めて感じます。
今回ミャンマーの旅で人々が口論している光景を一度だけ見掛ました。 インドでは日常茶飯事で人々のわめきが聞こえてならないのですが、ミャンマーは別天地なのでしょうか? インドやネパールの映画館で封切りともなると人々が切符を確保する為に我先にと窓口に押しかけ時には警官出動で事態収拾するのに必死となる事もあります。それに比べるとどうもこの社会は何故でしょう。 何処かが違っているのです。

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