2017年2月17日金曜日

6,3丁寧な言葉使い



この記事は1998年にミャンマーを訪問した際の日誌を再編集したものです



6.3丁寧な言葉使い

ヤンゴン中央駅
マンダレーで仕事をしている北インド系の友人を訪ねました。彼が話せるのはミャンマー語とヒンズー語の2種類です。同じ職場にタミル系の人もいますが彼ら同士が語り合う共通語はミャンマー語となります。さて彼のヒンズー語はとても穏やかな響きを持って耳に入りました。まるでこれがインド人なのかと疑いたくなるような丁寧な教科書通りの言い回しです。ミャンマーという仏教文化がかくもインド人を穏やかな人々に作り直したように思えてなりません。その背景を考えて見ると北インドでの実際の生活はストラグル(闘争)の連続です。あの社会に生きていく為にはあらゆる場合にも自己主張をしないといけないという強烈さを持っています。それに応じた言葉使いが派生したのではないでしょうか?スラングが生じるのもその国の文化の基盤に依って左右されます。このミャンマーという穏やかなる国に於いてはヒンズー語も全く異なった生き方をしたのではないかと思います。強いて言うならば仏教の穏やかさにインド人が去勢され、インド人らしさを失ったのではないかと思えるほどです。

本国に於いてよりも国外に於いて言語が正しく受け継がれている例がまだ他にもあります。以前スリランカを訪問した時に聞いた話ですが、マドラスのタミル語は外来語が多く交わり正しいタミル語を話す人は少なくなったのに引き換え、お隣りのスリランカの北部の人々は正統なタミル語を継承しているという説も納得が行きます。
ミャンマー語についてはまだまだ私は勉強不足ですが今後の大きな課題として取り組んで行きたいものと考えています。人々の行動の奥ゆかしさはそのまま言語にも反映されているのではないかと思います。
余談ですが、マンダレーで仕事をしている友人クマールはパゴーから2時間ぐらい離れた村の出身です。両親はまだ健在です。彼の住む近くの村でサドゥガオンという村があるそうです。ここは村人全員が北インドからの出身だそうです。ここにも英国の植民地化の一面を見る事ができるようです。昔から精糖所があってここへの労働力の供給源として大量に北インドからの移民が始まったという話です。

0 件のコメント:

コメントを投稿