2017年2月9日木曜日

5.3回教徒と仏教徒の抗争


この記事は1998年にミャンマーを訪問した際の日誌を再編集したものです


5.3回教徒と仏教徒の抗争

ミャンマーの列車
昨年の春にミャンマーではかなり大きな暴動が発生しました。この事は日本の新聞にも報道されました。事件の発端はある回教徒が仏教徒の娘を強姦した事から始まりました。マンダレーでの事件は各地に飛び火をし、回教徒の商店や車等が焼き討ちの的となりました。この事件が収まるには2週間以上必要だったという事です。当時マンダレーでは夜間外出禁止令が発動され、3人以上での歩行は即取り締まりの対象となったそうです。寺院に対しても軍が僧侶の行動を規制する動きとなりました。この国の伝統なる早朝の托鍬に代わって軍が寺院に食ぺ物を差し入れしたとも言われています。
時々散発的に回教徒と仏教徒との抗争が起きる事がありますが、今回は今までにはない大きなものとなったようです。バングラデッシュとの国境付近の州ではかなりの数の回教徒がミャンマー人として住んでいます。数年前にはこの地域の住民ロヒニヤンなる回教徒のグループが大量に隣りのバングラデッ
シュへ追い出される言う事件が起き日本からもNGO がバングラデッシュの国境付近で支援活動を続けた事は記憶に新しい筈です.ミャンマー政府の発表によると彼らはミャンマーの市民権を持たずにいつのまにかバングラデッシュから経済難民として不法に引越しをした人々というのを主張していました。事の真意は定かではありませんが、ヒンズー教徒と仏教徒の間の抗争は殆ど聞いた事はありません。しかし仏教徒と回教徒とはどうもなじみにくいようです。
今回の事件がおきる数ヶ月前に、学生運動の気運が高まったそうです。どうも政府の意図はこれを封じ込める為の作戦で現政権自身が事件を大きくしたと思われる節がないでもありません。暴動に加わった僧侶の中には軍服の上に袈裟を纏った人も混じっていたとも言われます。
国内の不満が高まった時に、何らかの事件を巻き起こして大衆の眼をそらす方法として多くの国がこの方法を採用しています。今回も同様な性格を持った事件に思えてなりません。この事件で明らかな事は宗教自身が真にその教義をめぐって争いをしているのではなく外部からの要因で対立が拡大したに過ぎないのです。宗教の説く理念は殆ど変る事はありません。
日常の生活に於いてもミャンマーの場合は摩擦もなく僧侶が異教徒の家から寄進を受ける社
会です。多くのケースが歴史の中で宗教上の対立とされますが、抗争そのものには、政治の介入が存在するのではないでしょうか?

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