この記事は1998年にミャンマーを訪問した際の日誌を再編集したものです
4.3.教育昨今
ピーにあるアウンサン将軍像 |
昔はタミル語で全ての授業をする学校があったそうです。パゴー在_住のタミル系ミャンマー人は学生の頃はタミル語での学校で勉強をし全くビルマ語の読み書きは出来なかったそうです。それが後にビルマ
語の習得が義務付けられて本人は必死になって勉強したそうです。今ではこの国ではインド系同士でも南インド人と北インド人は文化圏が全く異なり言語もタミル語とヒンズ一語という大きな開きがあるので両者が話をする時の共通語はビルマ語(ミャンマー語)となっています。ちなみにインド本国で、北インドの人と南インドの人が会話する時には英語を介して行われます。始めの頃は異様な感じをうけました。
マレーシアやスリランカ等では一応複合民族国家としての道を歩みそれぞれの民族の言語を用いた教育が認められています。ミャンマーはその規模からしても総人口に占める割合は極めて低くインド系や中国系の住民は都市部のみに集中していた結果もありましょう。また当時の政権担当のネ.ウイン氏の打ち出したビルマ人国家としての民族主義の強い主張が
あった事も肯けます。英語がすたれる反面ミャンマー語が急速に普及していきました。時々年配のミャンマー人で流暢な英語を話す人に出会います。その老人は今の人々は英語が話せなくなったと嘆いていました。若い人々は全くのミャンマー耽りの英語となり、理解に苦しむ事があります。しかも彼らの英語はミャンマーの会話を直訳したような英語の用法となります。日本人が英語を使うと頻繁にソーリーとイェスが出るように、文化の背景を伴った用法で以外と驚く表現があります。、
最近ブームになっているのはヤンゴンでは最先端の部類としてPCの教習所が人気を浴びています。また外国語のレッスンもかなり人気を博しているようです。日本語もその中で人気ある科目の一つです。これらは大体一時間25~30チャットが相場のようです。一ケ月30時間程度の教習で1000チャット程度の謝礼を渡すそうな話を耳にしました。
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