2017年2月4日土曜日

4.1悩む大学生



 この記事は1998年にミャンマーを訪問した際の日誌を再編集したものです

4.1悩む大学生

船に荷物を積み込む
ミャンマーの大学が封鎖されてからかれこれ2年を経過しようとしています。今の所、再開の兆しはまだ明確ではありません。これに困っているのが多くの学生です。残念な事に彼らは学びたくてもその機会を持つ事無く人生を終わらなければなりません。この国では過去10年間に半分程授業があれば良い方だそうです。すなわち現在の年齢が20歳前後とすれば大学が2年間休講する事によって卒業前に結婚適齢期を迎えてお嫁に行く手になるので心配だという話しをタージの宿で聞きました。彼女は現在マンダレー大学に籍をおいている女学生です。これだと私が母親となった時に子供たちに勉強を教える事が出来なくなるから大変困ると語っていました。
その外あちこちでこれに類似した話を聴く事があります。勿論教師の給与は一ケ月150 チャット程度ですから日常の生活が遅れる訳はありません。そこで学生を集めての個人教授の学習塾を設けて小遣い稼ぎが始まる事となり
ます。お祭り等機会があるごとに生徒は先生に対してプレゼントと称してロンジー等を贈呈する習慣になっているそうです。一方現在の政権にしてみると何としても学生運動から盛り上がる民主化の要求を封じ込める事が最優先です。しかし別の面で考えてみると今の状況では人材が育たないという将来のハンデを負う事となり兼ねません。
特定の軍関係の師弟は得点が低くても甘い採点で優先的に取り扱われている気配を感じました。彼らの中から何人かの留学生が国外で勉学に励んでいるようです。教育の機会均等は名ばかりで、少々程遠い現状を物括っています。この国では産業が乏しく大学と言っても多くは文科系の学部で占められているようです。
インドと比較してみるとインドはタゴールなる有名な詩人を排出しました。世界的にも定評のある医師や科学者も結構います。最近のインドの頭脳は、世界中のコンピューターのソフトウ土アの作成に数多く雇用されています。果たしてミャンマーには世界に誇る著名な文化人や技術者がいるのでしょうか?大学や専門学校を卒業したとしても現在の社会構成の中ではその学んだ知識を生かす職場が不足しているという事実もあります。産業国家をめざそうとするならば、産業界と学会が一体となった体系を持つ必要があります。インドは意識的にその政策を実施しましたが、時には医学生の過剰で再び預を悩ましたそうです。産学合同作戦をしように`もミャンマーでは産業がないのですから仕方ありません。
しかしミヤンマTには我々の知り得ない部分ですなわち仏教の学問に於いて優れた何か保持しているような気がしてなりません。ミャンマーは、学問は科学が全てではない事を既に承知しているのかも知れません。或いは単に軍事政権の延命策として規制を続けているのでしょうか?
ある本に米国における黒人の人権復活をめぐる議論で徐々に差別廃止をしないと急激にこれを行うと危険であるという主張が掲げられましたが、それは支配する側がその特権を失いたくないが為の単なる理由を隠れみのとした詭弁であると説明されています。
1960年代に軍事政権に交代してから徹底した国有化をはかり、高等教育もそれまでの英語による授業からミャンマー語に変更となり、ミッション系の学校が次第に閉鎖に追い込まれ、多くの外国からの教師達がミャンマーを離れた事実もあります。高等教育の場は長い間混乱を続け今もそれが尾をひいています。果たして今後のミャンマーの高等教育はどのように進展していくのでしょうか?
今回も何人かの大学生や元大学生と話しをする機会がありました。全体的な印象としては、彼らの多くは極めて真面目なのに驚きました。授業が封鎖されている状態に於いても何かを学び取ろうという気運で目が輝いていました。

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