この記事は1998年にミャンマーを訪問した際の日誌を再編集したものです
5.6陸路の国境は開くのか?
デパートの前 |
さて現在ミャンマーはアセアン諸国連合に加入しました。日本の国際化の歴史でも解るようにその手順としては、第一に物資の交流が始まり大量に全世界へめがけて日本商品が送り込まれました。そう言った過程を終えて次は人と人との交流が始まりました。多くのビジネス関係者や観光客が今や世界各地に流れて行きます。それから文化の交流へと熟成して行くのではないでしょう。ミャンマーも次第にその政策に変更せざるを得なくなりつつあります。
1995年の統計では観光客の入り込み数は国境近辺のボーダー地区を往復する数を含めて20万人を越えたようです。しかし空路でのヤンゴン到達組みはその半分の10万人程度となっています。いずれは陸路の国境の開放へと向う事になると思いますが、現在の状況では当分の間不可能ではないかと感じます。大量の観光客の増加が情報を一気にもたらしてしまいます。現在の政権にとっては
命取りとなる可能性が大きくなり兼ねません。国境近辺の住民は相互に出入りをする事は比較的容易なのですが、ヤンゴン市民がバンコクへ買い出しに行ったり観光に出かけたりする事はまだまだ容易ではないようです。ここに現政権のジレンマがあるのではないでしょうか?現在のままでは世界から取り残されつつある事を首脳部は充分承知していると思います。かといって急激な開放策をすれば一気に外界からの風が現体制を一気に崩壊へと導く危険も抱え込んでいます。しかしいつかはこの国の人々が個人の意志で自由に情報を遮択する事ができ世界各地を訪問する機会が来る事を祈っています。且つ彼らが常に敬度なる仏教徒であり、従来のミャンマーとしての誇りを強く保ち続け、今にも増して精神性の高い人々となっていく事を念じています。科学や技術の分野に於いて日本は先進国かも知れませんが、精神面に於いての進歩は見られるのでしょうか?子供たちがお互いに殺し合いをする社会体制が現在の日本の姿ではないでしょうか?個人的には、いつかはミャンマーの人々から精神面の教えを授かっても良いのではないかと考え始めています。
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