この記事は1998年にミャンマーを訪問した際の日誌を再編集したものです
5.5軍事政権への道
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1947年に英国から独立したミャンマーは暫くの間ウ・ヌーの指揮の下に民主主義の道を歩み始めました。しかし1962年にはネ・ウィンが政権をとりその流れが現在に至っています。ネ・ウィンは次々と産業の国有化をはかりビルマ人国家の建設を目的としたようです。この時には10万人を超えるインド人が本国へ帰還したとも言われています。1988年年頃に民主主義の要求が高まり、当時一週間で6,000人もの死亡者をだしたとされています。これを受けてネ・ウィン氏は引退をしました。国名もビルマ社会主義連邦共和国からミャンマー連邦と変更しました。翌年選挙が実施されNLD(即ちナショナルリーグオブデモクラシ)が過半数を占めたのですが、政権の移行は為される事なく現在の軍事政権が継続されています。高齢のネ・ウィン耳は現在でも影の政治家として国家を左右する力があるとされています。
さてアジア諸国での政治体系の動きはどうなっているでしょうか?タイランドは現在でも半分は軍人で構成される政治を行っています。インドネシアも軍事政権がスハルノからスハルトへと移行しただけです。ベトナムもフランスから独立を勝ち得た後民主主義国家となったと思いきや、ソ連の支援で共産主義の指導の下で軍人による政治が長くつづきました。フィリピンは長い間軍人出身のマルコス大統領が統治を続けました。パキスタンもジアウルハクが軍部を統括して強権政治を長い間続けました。バングラデッシュでは一時期、軍部のリーダー、エルシャド氏が政治の実権を握りました。ネパールでは1990年に現在の国王制が民主主義へ移行しましたが、強力な軍を背景として国王による独裁政治が長く続きました。こうして眺めて見るとアジア社会に共通した特色が見られるのではないでしょうか?国家の発展を計るには或る程度の強権政治が必要だったのではないでしょうか?
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