2015年12月14日月曜日

ミャンマー事情2015 (10) 選挙前後



アウンサン・スー・チー女史の住居

アウンサン・スー・チー女史の住居

NLDの事務所兼土産もの販売所
11月8日はミャンマー選挙の投票日に当たりました。ミャンマーといえば軍事政権で前回の選挙結果は、民主主義を訴えるアウン・サン・スーチーさん側が勝ったにも関わらず、強権で軍事政権を維持し続けていることで内外の批判を浴びました。その後も暴動の抑圧などを続けている政府です。旅行に行く前からも、この時期のミャンマー旅行は止めたほうが良いという声も聞かれました。選挙が近づくにつれ、内外の報道は、何が起きるかわからないから、危険だという論調を流していたようです。まるで投票日は暴動が起きて、危機が迫ったような感じでした。


しかし、ここミャンマーに入ってみると、そういった重苦しい雰囲気や緊張感は皆無です。ミャンマーは長い間軍事政権の下での統治が長く続きました。秘密警察のような組織がしっかりしていて、タレこみが多いとかも聞きました。あるミャンマー人の生き方は、「稲穂が特別に伸びていると、それが刈り取られちゃうから、伸びないように、みんなと同じように進むしかないですよ。」そうした背景があり、公の場では政治の話などは、しないのがミャンマー人のスタイルです。誰もがスーチー女史に賛成しています。そんな中で、友人たちはこっそりとスマホに取り込んだ彼女の写真を私に見せてくれます。

日本で報道される記事をうのみにしてはいけません。日本で報道されているミャンマーの現状と現地の空気は大きく乖離しているようです。経済発展が目覚ましいミャンマーと報じられても、ある面では昔とほとんど変わりません。インドのIT産業が躍進していると報じられても、実際のインド社会は今でも混沌とし、スラム街で人々はしっかりと生活しています。ネパールの地震発生当時は、その国がもうダメになったという印象が報じられています。さて、いったいどうして、このような現象になるのでしょうか?最近のニュース番組はやらせ番組に似てきたようです。真実はさておき、最初からストーリーを仕立てて後付けで内容を挿入する傾向にありませんか?全体を把握する力が欠落し、部分的に焦点を充てるが故、本質がかすんでしまうようです。また、社会情勢が複雑に絡んでくる現代社会では、正確に物事を分析する方法が難しくなって来ました。ネットで情報を集めて、それらを切り貼りして論文が完成する時代です。おうおうにして本当のフィールドワークが忘れ去られ、堂々とメディアとして成立する時代になりました。くれぐれも報道にはご用心を!
選挙後の動静を見ていると、現在の軍を背景にした与党は惨敗で、NLD(スーチー女史の率いる党)が躍進しました。今のところ権力の移譲について穏やかに話が進んでいるようです。何十年と長い歴史を積んだ軍事政権がすんなりと権力の移譲に応ずるかは定かではありません。東南アジア諸国を眺めると、多くの国が今だに軍事政権の下で統治さrています。隣国タイも軍事政権の姿勢が一層強まっています。一時期タクシン政権が政権をにぎり、軍事政権の色合いを弱めたかと見えましたが、残念ながら、元の軍事政権の体制に戻ってしまいました。

ミャンマーに関する報道は http://www.irrawaddy.com/ 英語の新聞
ちょっとユニークなブログは http://www.myanmarinfo.jp/ があります。

さて、ミャンマーの状況を眺めてみると、従来のように力で押さえつけ、あらゆる面で管理をし、ワイロを徴収することで政治を司る人々は大きな利益を享受してきました。しかし、最近、その風向きが大きく異なってきたようです。通信事業の分野では格安SIMを提供することで、急速に広まり、その通信料は膨大な金額に膨れ上がりました。そんな中で1%の税金、いやワイロをひねり出すほうが利幅が大きいとう勘定になります。軍事力という力で抑え込み、ワイロを要求して目こぼし料を稼ぐよりも、前者の方がはるかにスマートで、国際的にも通用します。銀行業務も大幅に改善されています。もうあちこちにミャンマー版メガバンクの登場です。といっても、これらの巨大な会社の幹部は軍人関係者で占められています。30年、40年前に軍事政権を担当した人々の次の世代や孫達は恵まれた資金で国外留学を果たし、世界を広くしるようになったのも、導火線になっているでしょう。ミャンマーで起きている現象は今始まったわけではありません。ここまで、経済が明るみにでてしまうと後戻りすることはないでしょう。

ヤンゴン市内では選挙2日前からレストランはお達しでアルコールの提供ができなくなりました。行きつけのシンガポール・フード・ジャンクションという食堂兼ビアーホールは電気がついていません。聞いてみると今日から3日間選挙の為に営業しませんとの事。残念、休肝日になるのでしょうか?さて知恵を絞ってみると、すぐ近くにスーパーマーケットがあります。ここでは、それを待ち構えたかのように、みんな瓶ビールや缶ビールを買い込んで帰っています。私達も同類です。スーパーの前にはお持ち帰り用に、焼きそば、焼き飯が手に入ります。スーパーでナイフやプラスチック製のスプーンなど一式も買い込んでガーデン・ゲスト・ハウスに持ち帰ったのは言うまでもありません。幸いにこのガーデンゲストハウスの食堂は、金色に輝くスーレーパゴダが真正面に見ることができます。こうして無事夕食を終えることができました。
19番街での夕食

持ち帰ったビールは種類豊富

豪勢に並ぶ料理


スリランカでも月歴に併せて満月の日はポーヤディとされ、休日となり、休肝日ですから、市中ではアルコールの販売が禁止されます。しかし、前日になると酒屋の前はお持ち帰りの方がたくさん並びます。ここミャンマーでも同様な現象を見ることができるわけです。仏教の教えというものは寛容が第一なのでしょうか?説法では飲酒、喫煙などは悪いこととして慎むようになっていますが、現実とは大きな違いがあるようです。これが仏教の良いところかもしれません。イスラム教だと、舌を抜かれるのかもしれませんが・・・。しかし、この強硬に見えるイスラム教ですが、その解釈は意外と自由な部分があるそうです。イスラム教徒は断食をしますが、特例があって、旅行中の場合は適応外だとか・・・。厳格なはずのイスラム教は、それを統治する人々は自分たちの都合のよい解釈をしているそうです。

そんな中で今日は選挙前日の土曜日です。何となく町は静まりかえっています。ひょっとして、今夜もビールの買い出しを覚悟して出かけたのですが、19番街はライトがさんさんときらめいています。ビアーガーデンも勢いよく客の呼び込みをしています。ええぇ!そんなという驚きと喜びに満ち溢れる一瞬でした。宿の近くのレストラン(アウン)は閉店です。市内をぶらぶらしていても、ビールの看板をあげている店は閉店です。政府からの指令で選挙があるのでお酒は慎んでくださいとの意向です。でもこれは、他のアジア諸国でよく見かける光景です。日本の常識では、そんな事があるとは信じられないと思う方が大勢でしょうが、日本の常識は世界の非常識ともいえるでしょう。こうして、中華街でゆったりと、夕食を楽しんだのは言うまでもありません。

さて、私達はパガンから帰った後、アウン・サン・スーチー女史の自宅(玄関まで)を訪問しました。NLDの事務所兼記念品販売所も回りました。後日一人でアウンサン将軍の博物館とかを訪問しました。ビルマ独立の父として慕われている将軍ですが、訪問した博物館は、将軍の住居だったそうで、日本大使館の裏側にありました。しかし、説明を見るとここに一年しか住んでいなかったそうです。前後関係からして、現在の軍事政権としては、あまり公表したくないのでしょうか?

そして、今日のニュースは、スーチー女史が先頭に立って、ゴミ拾いをしたという記事が掲載されています。 うううん。流石、何かが違うミャンマーです。
スーチー氏がゴミ拾い

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