2015年12月10日木曜日

ミャンマー事情2015(6)ミャンマー郊外


ヤンゴン市内バス199番
今日は日曜日です。ヤンゴン市内の交通渋滞は、日曜日が休みなので交通量は激減し、渋滞はほとんどありません。それを見計らって郊外の友人宅を訪問することになりました。スーレー・パゴダの真正面にある定宿ガーデン・ゲストハウスは、さすが市内の中心部にあり、どこへ出かけるにも、この周辺を起点にして市内バスが発着しています。バス停といっても、一方通行が多いので行先によっては、乗り場が異なりますから、5分ほど歩く場合もあります。友人から聞いていた199番のバスの終点で降りればよいということで、スーレーパゴダの南にあるバス乗り場に向かいました。バス乗り場といっても、標識があるわけでもなく、人だまりのあるところがバス停です。ここでも、異なった番号のバスが頻繁にやってきます。客の乗降が終わると即発車しています。日本のバス停は、親切過剰ともいえる程に、行先、時刻そして、予定のバスは何分後に到着予定するのかまで表示されていることを考えると、天と地の差があります。どれだけ、厳重に管理してお客様の便宜を図っても、想定外が発生し、バスが来ない時は、どうしても来ない場合もあるでしょう。その場合は、設置された数々の機器や表示は無効になってしまいます。ここミャンマーはそうした心配もなく、ただじっと目的のバスが来るまで待てばよいということになります。いや、このほうが自然なのかもしれません。
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道はがらがら
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日曜は渋滞なし
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Shwe Pye Thar終点
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友人宅にて
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質素な家にも祭壇
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友人宅
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ここに20名が下宿
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のんびりとした郊外
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ヤンゴン・マハバンドーラ公園
きょう訪問する友人は2000年ごろから私がお世話になっているインドカルカッタ郊外の僧院で知り合いました。当時彼はミャンマー西部のラカイン州から勉学の為、僧院で見習い小僧として暮らしていました。当時
は中学生の年齢だったでしょう。まだあどけない、そしてやんちゃな少年でした。今でも、ここ僧院には多くの少年達が寄宿しながら勉学に励んでいます。インドでの生活には、現地語も必須となります、当時の彼はラカイン語(ミャンマー語に似ている)しか話すことができません。それで、地元の中学校へも入学してベンガル語の習得にも励みました。そして、仏教の聖地ブダガヤにあるマガダ大学を卒業し、今はヤンゴン郊外で兄弟二人で暮らしています。そうした通常のミャンマー人の生活はどうなっているものか、興味がそそられます。
今日のバスは渋滞もなく、すいすいと郊外に向かって進んでいきました。スマホでルートをたどると凡そ27キロあります。この距離で料金が30円ですから格安そのものです。といっても、冷房もなく、おんぼろ車体で急発進、急停車を繰り返しています。でも、こうした環境だと、身の危険を感じるセンサーが訓練されるから良いかもしれません。日本ならば、安全第一偏重の社会です。それが、私達の感覚を鈍くし、とっさの危機への対応が遅れて悲惨な事になりかねません。日本の社会は高品質とみられています。例えば衛生面に対しては、それが過剰に行き過ぎて私達の体は抵抗力を失っているのではないでしょうか?多少のばい菌は必要悪で、常日頃体内に取り込んでおけば、丈夫な体になっていく思いますが・・・。これも長生きの秘訣でしょうか!
こうしたバスの中でも物品販売業が乗り込んで商売しています。冷たいミネラルウォーターを見せつけられると、だれもが財布の紐も緩んできます。これって規制緩和なんですかね。自由奔放な社会に見えます。しかも、これで、誰も被害にあうことはありません。みんながウィンウィン(勝ち)の関係です。原点に帰ると、日本では何のために、だれのために、いろいろと規制を課してきたのでしょう。そして、今はまた、なぜ規制緩和が叫ばれるのでしょう。最初から規制しなければ緩和も必要ないんですけどね。
45分ほど乗って終点に到着です。電話をかけると、そこで待っていてくださいとの事で、待つこと15分、彼は自転車でやってきました。話に聞くと、この地域は最近開発が進んで、周囲には多くの工場があり、多くの人が働きに行っているそうです。いわゆるヤンゴンの衛星都市みたいなものです。といっても、やはりここは、ミャンマーです。日本経済に比べると一人当たりの所得、経済規模は⒑分の1なる社会です。道路はぼこぼこで傷だらけ、電柱があるようでないようで・・・。日本でいえば築60年の廃墟みたいな家が並んでいます。ヤンゴンとなれば、その中心部は日本の地方都市にも似た高層ビルが立ち並び、違和感がありませんが、初めて足を踏み入れるには、勇気がいるかもしれません。極端にいうなれば、プチスラム街に足を踏み入れるような感覚でした。しかし、人々は明るい表情で楽しそうです。陰鬱な雰囲気はありません。しかも友人も一緒ですから、心強いものがあります。友人の名前はケッティマですが、彼がインドにいた時に、すぐ近くの村を訪問したことがあります。いわゆるビルマコロニーと呼ばれている地域です。地理的にカルカッタが北に位置するので少し植生が異なりますが、似たような雰囲気があります。カルカッタ郊外では、レンガやセメントで家ができていますが、ここヤンゴン郊外では、多くが木や竹で作られ、屋根がトタン張りという簡素なものです。
最初に招かれたのは、歩くこと⒑分ほどで一つの僧院を訪問です。僧院は周囲の民家に比べると敷地も広く鉄筋コンクリート2階建てで立派なものです。一階は学校を併設しています。そして二階には住職の部屋があり、祭壇があります。ここの僧院長は最近アメリカへ三か月ほど出かけてきたとの事で上機嫌です。察するところ、ミャンマーからは結構多くの僧侶が海外へ出かけているようです。この僧院では是非昼ご飯を食べてくださいとかで、遠慮なく、昼をごちそうになりました。僧院長はスマホをもっていましたが、今回アメリカ訪問した時にもらったかものという最新のiPhoneを見せてくれました。この僧院は日本からの寄付もいただいているそうです。この地域の人口はおよそ5万人程度でしょうが、そんな中で200もの僧院があるわけです。比率からいくと、大きな数字です。
食事を済ませて今度は友人の家に向かいます。似たような家が並んでいるので、見分けるのは大変です。しかし、最近のスマホは性能が良くなり、今はもはや旅の必需品になりつつあります。乗車しているバスがどのあたりまで到着しているものか一目瞭然で、そろそろ下車かなと判断することができます。しかも、速度は遅いけどSIMカード連携のデータ通信をオンにしておけば、GOOGLEの地図で地名もしっかりと表記され露頭に迷うことはまずありません。しかしバッテリーには十分気を配らないと肝心なところで電池切れとなれば手に負えません。ここでは、やはり、古来からの手法で人に尋ねるという原則も忘れてはなりません。友人の家もしっかりとマークしてあるので、次回の訪問には、なんの問題もなく、目的地に到達することも可能です。
さて、友人宅に到着です。私の旅では、このようにして、時々家庭訪問をすることがあります。南インド、インドネシア、マレーシアなど今も時々訪問し居候することもしばしばです。ミャンマーでも昔から知っているインド系ミャンマー人で大きな商売をしている友人宅へは、今回も訪問し、ヤンゴン滞在中四回も夕食に招待されました。しかし、ふつうのミャンマー人の訪問は、初めてです。どのような家なのか、期待に胸を弾ませたわけですが・・・。町を歩いている間に、その期待は次第に小さくなっていきました。何しろ目に入る家屋は、日本でいう廃屋に近い建物が並んでいるではないですか!屋根はトタン張りで、周囲は竹で覆ってあるのが通常の家屋です。それでも、鍵がかかるように、玄関には開き戸が設置されています。窓と言えばガラスの入ったものと思いますが、こちらでは、ガラスの代用として板で設計されているわけです。窓を閉めると暗くなるかという心配は皆無です。床下から、竹の覆いからの隙間から、立て付けが悪いので採光には苦労しない設計です。しかも、意外と床が高い感じです。なるほど、この国では雨季ともなると、洪水に見舞われるのが当然です。それを考慮したものでしょう。玄関の戸は、はしご状に5段ほど上がった高さに設置されていました。いわゆる半高床式とでもいいましょうか!部屋といっても、通り抜けができるように3つばかり縦に並んでいました。この状態だとプライバシーという概念は皆無です。昔の日本でも、それで十分生活できたわけですから。奥の部屋は台所になっていますが、これも木造です。といっても、彼の場合は外食か、食事のテイクアウトで済ませているようで、お飾りのようにお皿が数枚並んでいるだけの簡素な台所です。冷蔵庫があるわけでもなく、勿論トースターや電子レンジなどとは無関係の社会です。
それでも、衛生概念が発達しているのでしょうか、トイレは敷地内で別棟として作ってありました。敷地内の入り口付近には手漕ぎのポンプとバケツがあります。ここで洗濯や沐浴をすることになるのでしょう。玄関には、鳥かごのようなプラスチックの箱がぶら下がっています。どうもそれは、秘密の鍵の保管場所になっているようです。私達も時々鍵を玄関先の花鉢の下に隠したりするのに似ています。兄弟三人の暮らしですから、家の中に誰もいなくなる時は、この方法で管理しているのでしょう。いわゆるロビーに当たる部屋には、懐かしいタイプの扇風機と小さなテレビ(ブラウン管)があり、一応ビニール製の茣蓙が数枚しいてありますが、部屋のサイズに合致することはまずありません。
そんな空間の中で目につくのが、仏壇です。といっても日本の旧家にあるような厳かなものではありません。簡素そのものの祭壇です。そして、その祭壇の右側に一人の僧侶の写真が飾ってありました。誰かと思うと、私の知っている僧侶です。インドカルカッタ郊外にある仏教僧院の院長の写真が配置され、友人はいつも手を合わせて暮らしているようです。なるほど、私としても十分頷ける事柄です。友人ケッテマがカルカッタでの僧院生活そして学業生活をしている時期は、この僧院長が親代わりでもあったわけです。僧院長は今もカルカッタ在住で様々な事業を展開しています。(学校の運営、金貸し業、仏教巡礼団の宿泊所および食事の提供そして、ミャンマーから高度な治療を受けるために訪問してくるメデカル・ツアーの人々の通訳業や宿泊のお世話そしてハイヤーの手配(僧院には3台自家用車あり)。ケッテマも、この僧院長にはいろいろと世話になったことでしょう。私の記憶では、僧院長の指令で、私の部屋のアレンジしてくれた事もありました。僧院長からは、「何か困ったことがあれば、ケッテマに連絡してください」という言葉もいただきました。
この地域は数年前から近くに多くの工場が立ち並び、多くの人々が日中働きに出ています。特にこの地域はミャンマーとバングラデッシュが国境を接するラカイン州の人々が多いそうです。それぞれの家やお店を見ればすぐわかるそうで、ラカインの州を表す旗を掲げている家が多く目にはいります。このラカインはバングラデッシュと国境を接し開発が遅れている地域です。新聞やテレビでは時々イスラム教徒と仏教徒が衝突し暴動に発展する記事が時々目にはいります。そんなわけで、政府の投資も進まみません。以前訪問したことがありますが、湿地帯が多く道路の整備も遅れがちで移動にはもっぱら河川に頼る交通機関を利用しなければなりません。空の便もありますが、これがやけに高額です。ミャンマー人でも140ドル(片道)になっています。この金額ならば、ヤンゴンからマレーシアまで往復してもおつりがくる金額です。飛行機代金の設定はどうなっているものでしょうか?ネパールでも同様です。特に高いと感じるのがカトマンズからエベレスト方面に向かう空の便は外人は150ドル、ネパール人でも80ドル前後の価格です。しかも所要時間はわずか20分。
そんなわけで、ミャンマーの僻地とも呼ばれる場所です。発展から取り残された地域ですから、それといった産業も少なく現地で職業についても、ヤンゴンの半額以下の給料しか手に入りません。ヤンゴン周辺であれば、一か月15,000円から20,000円が、地方にいくと7000円ももらえばよいほうだと聞きます。そして外国へ出稼ぎにいくと、ヤンゴンの2倍から3倍の給料が出るということです。そうなると、水が高いほうから低い方に流れるように、一気に人の移動が始まります。
この町で友人に誘われて訪問したのが、ラカインからの人々が出稼ぎにきている下宿屋でした。平屋建ての小さな建物に20人が下宿しているとうすさまじさです。一人一畳あるかないかの状況なれど、みんな和気あいあいと過ごしています。みんなの集まるホールは夜になるとそのまま寝室に早変わりです。部屋の中央にあるテレビを囲んでみんな熱中しています。今日は日曜ですからなおのことです。私もそんな中で珍客になってしまいました。彼らの話によると、ミャンマーでは新年が毎年5月中旬に始まるそうで、この時期はテインジャンと呼ばれる水かけ祭りの時期です。これをめがけて里帰りです。工場もこの期間は⒑日ほど連続して休みになります。ここで出会う多くは20代の若者(男女とも)です。ちなみに、この下宿屋の料金は一か月2000円で一日2食(大体彼らは朝は殆ど食べない)で、昼はお弁当を作ってもらうそうです。20人集まれば薄利多売の路線でしょうか?一か月150,000チャットの給料から20,000チャットが下宿代で消えます。そのほかいろいろと出費がかさむでしょう。そんな中をやりくりしながら、故郷への送金をしなくてはなりません。そこには、厳しい現実が待ち受けているかのように見えますが、意外と彼らの表情はキラキラし、微笑みにあふれていました。
こうした現実は第三者の目からすると、奴隷状態!と近い判断になるのでしょうが、それはあくまでも、日本や西欧の目から判断しているからでしょう。ここが、ミャンマーの個性というか、不思議な部分です。「不幸だと思うのはあなた方の勝手でしょう。私達はこれで結構満足しているんですよ」ミャンマーを旅していると、こうした部分が随所に見え隠れしてきます。軍事政権対民主主義の考え方も、西欧を中心とした考えに当てはめようとすると、整理しきれない部分が数多く生じてくるものです。ミャンマーの場合、私達は私達にあった方法で取り組んでいきますよ」そんな叫びが聞こえそうです。
3時間ほど町、いや村の中で時間を過ごし、ヤンゴン市内に帰りましたが、道中いくつもの小さな工場が目にはいりました。今日は久々に珍しい体験を積みました。通常、このような格差があまりにも開いている場合は、自宅への招待はお互いに見合わせることがあります。しかし、ケッテマはそうした部分を恥ずかしがることなく、招待してくれました。私も気を遣うこともなく、平常と同じ感覚で冗談を言いながらも、真実に近づこうと必死でした。

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