2015年12月7日月曜日

ミャンマー事情2015(3)交通事情



ミャンマーの街を歩く時に一番問題になるのが、道路の横断です。ヤンゴン市内はいたるところ交通渋滞を引き起こしています。12年前は市内から空港への道路は混雑もなく18キロの距離は市内バスで40分ほどで結ばれていました。今はタクシーでも1時間半から2時間かかるということです。なるほど、市内の目抜き通りは交通渋滞で信号を抜けるのに10分以上待たなければなりません。そして、所々交差点の要所は、立体交差の工事中で、車線が一つしかありません。これが完成すると、渋滞も緩和され、スムーズに流れるのでしょうが、将来の交通量の増加に伴って、同じことかもしれません。しかし、完成した立体交差の部分はスムーズに車両が流れ快適です。そんな流れの中にも、きわめて中古なバスがあえぐように必死に緩い坂道を駆け上がっていくのが印象的なミャンマーです。
この国のもう一つの異常現象は、車両が右側通行なのに、右ハンドルと左ハンドルの車両が混在しています。日本製の中古バス(京都市営とか静岡鉄道など文字が残っている)は、乗降口を無理やり改造して運行しています。その改造後がお見事で、器用なものです。韓国からの市内バスは改造の必要もなく、そのままヤンゴン市内を走行することができます。市内いたるところ、車両は増加したのですが、立体横断歩道の整備に追いついていません。ヤンゴンでの道路横断は結構スリルがあります。私達にとっては、左側を注目しながら、横断するのが常となっていますが、この国では、どうも戸惑ってしまいます。結局両方をしっかりと見定めた上で行動しなくてはなりません。運動神経、視覚神経をきりきり舞いさせながら横断することになります。しかも、みんなで渡れば怖くないとでもいいますか!仲間を誘って横断するのが無難です。

今回の旅で、最悪の横断シーンは、パゴーの鉄道駅近くにある国道一号線の横断でした。駅へ行くには、一号線を横断しなくてはなりません。今も交通量が昼夜問わず、ひっきりなしのさまざまなタイプの車両が爆音をあげて通り過ぎています。横断歩道は遠くにあり、歩いて10分以上かかりますから、誰も、そんな遠くまで足を運びません。10分ということは、往復20分となりますから、ものすごく時間がかかります。対岸に行きたいけども・・・・。そんなわけで、この国道の単独横断は危険そのものです。数秒間待てば、必ずだれかが横断を試みようとします。それを見つけて、一緒に横断するのが習慣となりました。
聞くところによると、車両に対する税金が3分の1になったそうで、それが、更なる交通渋滞を引き起こしているのが事実です。昔は、トラック改造車両が客を運んでいました。当時、ラインカー(ピックアップトラック改造型大量輸送機関)と呼ばれ、バスサービスを補完していました。市内バスやラインカーは庶民の足となり、そのルートは複雑でミャンマー文字で番号が記載されていました。その時代からは大きな進歩になったともいえるでしょう。今日では、ラインカーの姿を見かけるのは少なくなりました。それでも、市内といえども、幹線から離れて、郊外をつなぐ路線で見受けることがあります。
さらに、その料金が安い安い、日本の⒑分の1とでも言いましょうか!行先によって100から300チャット(10円から30円)の設定になっています。日本の市内バスの最低料金を下回っています。しかし、この料金設定も無理はありません。ヤンゴン郊外の工場で働く人々の給料が一か月2万円になりません。1.5万円ほどとすれば、バランスの取れた金額になるでしょう。
勿論バスは運転手と車掌(料金徴収)そして呼び込み屋兼安全係の3人体制で運行しています。バスの読み込みは勿論ミャンマー語ですから、はじめは聞きなれないかもしれませんが、しばらくすると、慣れてくるもので、アウンミンガラー、スーレーなど馴染んでくるものです。当然の事ですが、車内での取引は口頭で行先を告げて払うのみ、切符も何も手元に残りません。
乗客安全係は、いろいろな技をもっています。高齢者にやさしい、女性に優しい、子供に優しいわけです。何しろ日本のような低床式のバスは普及していませんから、乗降の際は、高齢者や幼児は大変です。そんな中で、安全係は、お客さんの手を取り、背中をとり客を車内に押し込んでいく光景には、ホットするものがあります。勿論大きな荷物があれば、手助けしてくれます。それに比べると日本のワンマンバスという乗り物は不親切そのものです。何しろ人と人とのスキンシップゼロで、すべて機器任せでおわらそうとしています。当然の結果として、料金に跳ね上がってくるのは当然です。おそらく外国人が日本に来て、市内バスに乗り込むのは至難の技かもしれません。
ちょっとした観察ですが・・・・ネパールでの市内バスの支払いは、終点が近くなってから払うのが原則です。何しろ途中でエンスト起こしたり、走行不能になると責任が持てないので、結果として、下車の時に支払うのが常です。この観点からすると、ミャンマーに軍配があがるようです。車体はぼろぼろでも、整備に自信ありでしょうか?日本でも昔は車内に乗り込んだら、すかさず車掌が切符販売が優先だった記憶が甦ってきます。西欧思考とでもいいますか、契約の社会だとここまでサービスをしたのだから、料金をいただきますという解釈に立てば後払いが必須です。しかし、この国ではちょっと雰囲気が違います。しかし、ここミャンマーの場合はちょっと風向きが異なります。乗車するとすかさず集金そして支払いです。先日51番の空港方面行きのバスに乗りましたが、車内はぼろぼろ、シートもつぎはぎだらけでした。面白い改造があるものです。左側の座席が通常より30センチほど高く持ち上がっています。よく見ると、座席の下は、ベニヤ板ボックスで仕切られ60キロのガスボンベ二本が格納されていました。
なるほど、ミャンマー市内を歩いていても、それほど顔が煤だらけにならないのは、この秘伝があるからでしょう。カトマンズは半日市内を歩いていると、Yシャツの襟が真っ黒になってしまいます。しかし、ここヤンゴンでは、LPG車で動かしているので、黒煙を上げて走る車に出会うことは少なくようです。12年前にヤンゴンからパゴーへ行く乗り合いトラックは60キロボンベを4本程積み込んで走っていた記憶があります。
タクシーも最近は新しいタイプがどんどん増えました。初めてミャンマーを訪問したころは、マツダの三輪車がタクシーの代用をしていた時代があります。小さな車両で後ろ部分がトラック仕立てで、大都会といえども悪路をトコトコと走っていました。友人がどこかへ行くときは、時々、このマツダ三輪タクシーに乗せてもらった記憶があります。
http://plaza.rakuten.co.jp/umekin/diary/200809230000/
上記のサイトでミャンマーの三輪タクシーの画像をご覧いただけます。
それに比べると超進化したものです。12年前のタクシーは冷房などがなかったのですが、最近のは冷房を入れるのも当たり前になって来ました。そして、さまざまなタイプの車両が入り組んでいます。タイのバンコクでは、日本のトヨタ車が大半を占めて、一目でタクシーとわかるように、配色されています。ここミャンマーはなんでもありというパターンで様々な車種が混在しています。でもそれで、人々が不自由しているわけでもなく、結構上手に使いこなしています。

1 件のコメント:

  1. パガンの遺跡巡りで、レンタル・電気バイクを利用しましたが、右側通行は頭では理解しても、行動はついてきません。大通りに出る時、左に注意すべきなのに、右だけ見て出てしまったケースが何回かありました。冷や汗ものです。特にロータリー式交差点は恐怖です。

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