さて、ネパールを訪問し続けて40年が近くなってきました。その間様々な事柄を観察し、感じながら私の人生が進んでいます。例年の恒例となってきたトレッキングも今回はアンナプルナ・ベースキャンプのトレッキングを達成することが出来ました。
その後の私の生活は、風の如く友人達を訪問し、何かしらのアイデアを提供したり、パソコンの秘伝を紹介しったりしています。単にパソコンの使い方を伝授するだけではなく、どのように情報発信をしていくかという点に重点を置いています。旅行代理店風の社員の一人で鳥の専門家のテクさんは、当初ブログには全く関心がなかったのですが、最近、ブログが自分の意見を発する大切なツールであることを発見し、熱中しています。単にブログをどのようにして設定、作成するかのテクニカルなものだけでは、内容を充実することができません。どのような課題に取り組むか、どのような内容にするかは、幅広い知識と教養が必要です。そう言った部分を含めて、共に協議しながら進めている日々です。
12年前から知っているホムさんは日本語でブログを綴っていますが、私がいなくなると急激に投稿数が落ちてしまいます。数年前からブログ作成を習い、様々なノウハウを取得しています。YOUTUBEの動画を組み込んだり、写真を加えたり、スクライブドというクラウド型文書保存サイトを通じて掲載したり、EVERYTRIALというGPS専門のサイトから、自分がアップロードしたルートをブログに載せたり、ゴーグルカレンダーを利用して自分で作成した特製ネパール休日カレンダーを公表したり、多彩な内容を誇っています。必要に応じて、自分たちで考え、工夫し、物事を進めていくというのは本当n楽しいものです。単なる模倣ではなく、個性あるオリジナル作品に夢中です。
最近入社した新入社員のスーザンはまだおぼつかないながらも、自分の経歴を生かしてサイクリング関連のブログを作成し始めました。まだ若いのでデザインなどのセンスやコンピューターの操作は飲み込みが早いのですが、文章を書くとなると、かなり支離滅裂な文が羅列されてしまいます。共に席を同じくして学んでいると、色々な事がわかってきます。最大の収穫は、本人自身が自分の弱点に気がついてくれた事です。己を知ることが基本となれば、どのように問題に対処していくかを容易に見出すことができます。
概してネパール人に限らず、最近の若い世代は文章を書くことが苦手です。これは、自分の意思表示が出来ないという事にもつながっています。また意思表示するものがないとも言えるでしょう。フェーズブックなどSNSを通じて簡単な言葉のやりとりは出来るのですが、更に奥深い内容を綴るという訓練はなされていないのが現状です。そう言った事柄、私自身の考え方や哲学を含めての伝授ですから、かなり好評を得ているわけです。私にとっては、彼ら自身が今まで自分たちの受けた教育、視点とは、異なったユニークなものに見えて来るようで、この機会を逃すまいと真剣になり始めました。
これは、私にとっても嬉しい励みになっています。私の考え方に同調するわけでもないのですが、自然とそうなっていくようです。私自身も今までに知らなかったネパールの姿を肌で感じることができ、どのような方向で支援を続ければよいのか、今まで以上に良い答えを得ることが出来そうです。周囲には10人程度の若い人々が何となく私の登場を心ひそかに待ち受けているようです。風のように現れて、風のように消えていくわけですが、こうした生活が今後も延々と続きそうです。
このようにして、ほんのちょっとしたきっかけを提供することで、予想外の効果が出るのは事実です。私自身はコンピューターの先生をしたわけでもなく、格別に免許などを持ちあわせているわけではなく、多少なりとも自分の経験で行なって来たことを伝授しているだけなのです。彼らと日々接することによって、彼らの性格や今まで習って来た環境がどうだったのかを改めて知ることができます。そうした、個々の状況を判断しながら適切なアドバイスを与えることによって、彼ら自身の将来が大きく発展する可能性が見え始めてきます。
一般的に、海外援助で様々な支援がなされているわけですが、こうした支援と取り組む場合は、相手国の事情を十分把握し、理解しなければなりません。先進国のノウハウが必ずしも役立つとはかぎりません。現地の実情にあった方式を採用する必要があります。今回は、ある事柄を教えるという機会を持ったわけですが、見落としてはいけないのは、相手の状況をしっかり見つめなおさなければなりません。特に感じるのは、ネパールの大半の学生達の受けた教育は単にコピーをする社会だったという事実です。従って、自分たちで考えるという方法が身についていないといえるでしょう。ここがスタートポイントの一つになったわけです。又、私自身が、相手に教えるというよりも、共に学ぶという姿勢を通すことによって、私自身も様々な発見が出来、一石二鳥です。
ただ、こうした現状を見つめ直すと、やはり日本とネパールの経済的格差に唖然とすることがしばしばあります。昨年知り合ったネパールの田舎からカトマンズで自炊しながら勉強に励んでいる青年の場合、「私がコンピューターに触り始めたのは三年前からです」と語ってくれました。この青年には、昨年、何とか中古のパソコンを提供することができ、大変喜んでくれました。しかし残念な事に10年ほど前の機種なので、ほぼ一年間稼動しただけですた。時々かれとも合うことがあるのですが、三年前に始めてパソコンを知った20歳の青年は、それなりに希望に燃えて自分の道を模索中です。こうした状況を見つめると、如何に日本の子どもたちは恵まれているか、その対比の大きさに驚きを隠すことができません。しかし、どれだけ向学心があり、真面目であっても、ネパール社会では概してコネクションがないと、就職が難しい社会です。日本のように平等な競争が存在しているとは限りません。又、経済格差も大きく、裕福な家庭では、パソコンとスマートフォンの両方を手にしている学生も多くいるわけです。彼らの能力をそれなりに、生かすには、ある程度の資金力も必要だという事実を拭い去ることは出来ません。
一方知り合ってから13年を超えるシェルパの友人は、「今年はエベレスト遠征に加わり、先日サウスコル(8752m)まで行ってきました。今ベースキャンプで休息中です。」とメッセージが入りました。幼少の頃から知っている田舎育ちの青年が、ここまで育つとは予想もしなかったことです。経済的にかなりの支援を続ける羽目になりましたが・・・・。こうした人々に囲まれて、私のネパールでの生活結構忙しい日々が続いています。
先日は数年前から知っているコーヒー(栽培から販売まで)屋さんのウェブ作成を依頼されたり、旅行代理店のウェブサイトの日本語版発行に手を貸したりの日々でした。当方も勉強がてら様々な新しい手法に取り組んでみたり、試行錯誤の連続です。時には食事が無料で部屋を提供してもらうこともあります。食事と云っても私の場合は現地の人々と同じもの、家族と共に暮らす事で満足しています。
いつも立ち寄る茶店の女主人には、可愛い小学生の息子がいます。数年に渡って帰国間際に、学資の足しにと、わずかばかりの寸志を渡しているのですが、最近は道端であうとにこにこしながら「ホシバ、ホシバ」と声をかけてくれます。店の女主人も、うれしそうに、「こんど、私の所でご飯を食べてください。お金いらないから」と彼女なりに精一杯の気配りをしてくれます。
常宿となっているHOTEL ハナの主人とも親しくなりました。ホテルのウェブサイトの作り方を伝授したり、ゴーグルマップにHOTEL HANAの位置情報を掲載するノウハウを教えたりするものですから、宿代は大幅割引になってしまいました。しかもいつも、大歓迎してくれます。近々彼の実家方面に小さなトレッキングコースがあるということで、そこへ出かける予定を立てました。
こうした幅広い階層の中を渡り歩きながらのネパール滞在です。
その後の私の生活は、風の如く友人達を訪問し、何かしらのアイデアを提供したり、パソコンの秘伝を紹介しったりしています。単にパソコンの使い方を伝授するだけではなく、どのように情報発信をしていくかという点に重点を置いています。旅行代理店風の社員の一人で鳥の専門家のテクさんは、当初ブログには全く関心がなかったのですが、最近、ブログが自分の意見を発する大切なツールであることを発見し、熱中しています。単にブログをどのようにして設定、作成するかのテクニカルなものだけでは、内容を充実することができません。どのような課題に取り組むか、どのような内容にするかは、幅広い知識と教養が必要です。そう言った部分を含めて、共に協議しながら進めている日々です。
12年前から知っているホムさんは日本語でブログを綴っていますが、私がいなくなると急激に投稿数が落ちてしまいます。数年前からブログ作成を習い、様々なノウハウを取得しています。YOUTUBEの動画を組み込んだり、写真を加えたり、スクライブドというクラウド型文書保存サイトを通じて掲載したり、EVERYTRIALというGPS専門のサイトから、自分がアップロードしたルートをブログに載せたり、ゴーグルカレンダーを利用して自分で作成した特製ネパール休日カレンダーを公表したり、多彩な内容を誇っています。必要に応じて、自分たちで考え、工夫し、物事を進めていくというのは本当n楽しいものです。単なる模倣ではなく、個性あるオリジナル作品に夢中です。
最近入社した新入社員のスーザンはまだおぼつかないながらも、自分の経歴を生かしてサイクリング関連のブログを作成し始めました。まだ若いのでデザインなどのセンスやコンピューターの操作は飲み込みが早いのですが、文章を書くとなると、かなり支離滅裂な文が羅列されてしまいます。共に席を同じくして学んでいると、色々な事がわかってきます。最大の収穫は、本人自身が自分の弱点に気がついてくれた事です。己を知ることが基本となれば、どのように問題に対処していくかを容易に見出すことができます。
概してネパール人に限らず、最近の若い世代は文章を書くことが苦手です。これは、自分の意思表示が出来ないという事にもつながっています。また意思表示するものがないとも言えるでしょう。フェーズブックなどSNSを通じて簡単な言葉のやりとりは出来るのですが、更に奥深い内容を綴るという訓練はなされていないのが現状です。そう言った事柄、私自身の考え方や哲学を含めての伝授ですから、かなり好評を得ているわけです。私にとっては、彼ら自身が今まで自分たちの受けた教育、視点とは、異なったユニークなものに見えて来るようで、この機会を逃すまいと真剣になり始めました。
これは、私にとっても嬉しい励みになっています。私の考え方に同調するわけでもないのですが、自然とそうなっていくようです。私自身も今までに知らなかったネパールの姿を肌で感じることができ、どのような方向で支援を続ければよいのか、今まで以上に良い答えを得ることが出来そうです。周囲には10人程度の若い人々が何となく私の登場を心ひそかに待ち受けているようです。風のように現れて、風のように消えていくわけですが、こうした生活が今後も延々と続きそうです。
このようにして、ほんのちょっとしたきっかけを提供することで、予想外の効果が出るのは事実です。私自身はコンピューターの先生をしたわけでもなく、格別に免許などを持ちあわせているわけではなく、多少なりとも自分の経験で行なって来たことを伝授しているだけなのです。彼らと日々接することによって、彼らの性格や今まで習って来た環境がどうだったのかを改めて知ることができます。そうした、個々の状況を判断しながら適切なアドバイスを与えることによって、彼ら自身の将来が大きく発展する可能性が見え始めてきます。
一般的に、海外援助で様々な支援がなされているわけですが、こうした支援と取り組む場合は、相手国の事情を十分把握し、理解しなければなりません。先進国のノウハウが必ずしも役立つとはかぎりません。現地の実情にあった方式を採用する必要があります。今回は、ある事柄を教えるという機会を持ったわけですが、見落としてはいけないのは、相手の状況をしっかり見つめなおさなければなりません。特に感じるのは、ネパールの大半の学生達の受けた教育は単にコピーをする社会だったという事実です。従って、自分たちで考えるという方法が身についていないといえるでしょう。ここがスタートポイントの一つになったわけです。又、私自身が、相手に教えるというよりも、共に学ぶという姿勢を通すことによって、私自身も様々な発見が出来、一石二鳥です。
ただ、こうした現状を見つめ直すと、やはり日本とネパールの経済的格差に唖然とすることがしばしばあります。昨年知り合ったネパールの田舎からカトマンズで自炊しながら勉強に励んでいる青年の場合、「私がコンピューターに触り始めたのは三年前からです」と語ってくれました。この青年には、昨年、何とか中古のパソコンを提供することができ、大変喜んでくれました。しかし残念な事に10年ほど前の機種なので、ほぼ一年間稼動しただけですた。時々かれとも合うことがあるのですが、三年前に始めてパソコンを知った20歳の青年は、それなりに希望に燃えて自分の道を模索中です。こうした状況を見つめると、如何に日本の子どもたちは恵まれているか、その対比の大きさに驚きを隠すことができません。しかし、どれだけ向学心があり、真面目であっても、ネパール社会では概してコネクションがないと、就職が難しい社会です。日本のように平等な競争が存在しているとは限りません。又、経済格差も大きく、裕福な家庭では、パソコンとスマートフォンの両方を手にしている学生も多くいるわけです。彼らの能力をそれなりに、生かすには、ある程度の資金力も必要だという事実を拭い去ることは出来ません。
一方知り合ってから13年を超えるシェルパの友人は、「今年はエベレスト遠征に加わり、先日サウスコル(8752m)まで行ってきました。今ベースキャンプで休息中です。」とメッセージが入りました。幼少の頃から知っている田舎育ちの青年が、ここまで育つとは予想もしなかったことです。経済的にかなりの支援を続ける羽目になりましたが・・・・。こうした人々に囲まれて、私のネパールでの生活結構忙しい日々が続いています。
先日は数年前から知っているコーヒー(栽培から販売まで)屋さんのウェブ作成を依頼されたり、旅行代理店のウェブサイトの日本語版発行に手を貸したりの日々でした。当方も勉強がてら様々な新しい手法に取り組んでみたり、試行錯誤の連続です。時には食事が無料で部屋を提供してもらうこともあります。食事と云っても私の場合は現地の人々と同じもの、家族と共に暮らす事で満足しています。
いつも立ち寄る茶店の女主人には、可愛い小学生の息子がいます。数年に渡って帰国間際に、学資の足しにと、わずかばかりの寸志を渡しているのですが、最近は道端であうとにこにこしながら「ホシバ、ホシバ」と声をかけてくれます。店の女主人も、うれしそうに、「こんど、私の所でご飯を食べてください。お金いらないから」と彼女なりに精一杯の気配りをしてくれます。
常宿となっているHOTEL ハナの主人とも親しくなりました。ホテルのウェブサイトの作り方を伝授したり、ゴーグルマップにHOTEL HANAの位置情報を掲載するノウハウを教えたりするものですから、宿代は大幅割引になってしまいました。しかもいつも、大歓迎してくれます。近々彼の実家方面に小さなトレッキングコースがあるということで、そこへ出かける予定を立てました。
こうした幅広い階層の中を渡り歩きながらのネパール滞在です。
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