2013年5月29日水曜日

ヒマラヤの村第1日目(2) 今日のお宿は

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遠くに見える山がサイルンピーク
さて、バスから降りて数分もしない間に雨がシトシト降り始めました。下車した数人の客はいつの間にか姿を消し、あたりは閑散としています。そんな中一人の老婆が誰かを待っているような出で立ちで立ちすくんでいます。早速彼女に「このあたりに泊まる場所ありますか?」と問うと、「私のところで泊まれるよ」と言います。雨も次第に激しくなり周囲には4軒ほど似通った建物が並んでいるだけです。もう、選択の余地はありません。のこのことその老婆の後について行きました。
もう、それは、バス停の目と鼻の先ほどしか離れていません。天井の低い長屋風の建物に、老夫婦が仲睦まじく囲炉裏を囲んで談笑しています。薄暗くええぇと驚くような建物です。果たしてトイレはどうなってるのだろう。寝室はどうなっているのだろうと不安になってしまうのが常です。しかし、こうなったら、まな板の上の鯉みたいなもので、成り行きに任せるしかありません。

カトマンズを出る時に、友人から現地情報を詳しく聞いていたのですが、これほど凄まじいとは思いませんでした。受付とか宿帳とかの仕組みは皆無でいわゆるホームステイに近い感じです。カトマンズの友人の話で、貴方は現地についたら、外人だと言わず、シェルパだと言えば良いと忠告を受け、その通りにしてみました。所が宿泊した宿は シェルパ族の経営でした。シェルパ族と言えばエベレスト周辺に拠点を置くチベット系の住民です。彼らの生活範囲は主として3000メートル付近の高山帯に住み牧畜を中心とした生活を営んでいる人々です。勿論今でもシェルパ語で日常会話が成り立っています。そんな彼らの中で私もシェルパと云っても、半信半疑にならざるを得ないでしょう。
ともかくシェルパで通すことになりました。細長い建で雑貨屋、茶店を兼ねています。寝る所は端っこがボロ布で囲ってある端っこの方にあります。簡単なベッドが4台配置され、太陽光発電を利用した小さな蛍光灯が何となく周囲を照らしています。まあ、ここは標高三千メートル付近ですから野宿するよりもましだと言えるでしょう。そんなわけで、ここに決まりです。早速お茶をごちそうになって夕食も事前に予約です。予約と言っても他に客がいるわけではありません。ともかく体を休めることが出来れば十分です。
さて、カトマンズの友人に無事バスが到着し、宿い入ったことを連絡しようと、携帯電話を取り出したのですが、電波が届いていないようで連絡がとれません。宿の主人に聞くと、あそこの道路の所まででると大丈夫ということで、傘を指して30歩ほど道路に出た所で通話をすることが出来ました。
夕食は7時半頃です。老夫婦に子どもたちはと聞くと「二人ともカトマンズで勉強しているよ」という事です。こうした現象は随所に見受けることができます。若い人々は都会へ、そして海外へ出稼ぎに行き、村が閑散としてしまう状況は、ネパール全土に広がっています。食事の時間帯に近所の人が訪ねて来ました。出稼ぎについての話題が中心となっています。私はシェルパ族として偽装しているのですが、どうも不確かで疑いの眼差しで見られています。「あの人はチベット人だよ!」などひそひそ話も聞こえます。ちょっと空気が淀んでしまいました。これも自業自得です。
ご飯とデロ(小麦粉を練ったもの)とカレーの現地食です。食後はしばらく囲炉裏で暖をとりましたが、何しろ手持ち無沙汰です。今日は早めにオヤスミです。寝室となっている場所は台所と筒抜けです。薪を燃料としているこの家は天井が見事に黒光りしています。なるほど、これなら虫も沸かないかもしれません。古来からの生活の知恵でしょう。前回訪問したトレッキング(ABC)の道中で薪を燃料としている所はみかけませんでした。どんな山奥でも、標高が4000メートルあってもガスがポーターによって運ばれていました。しかし、ここでは、久しぶりに薪の香りに触れることができ、不思議な感動が湧いてくるものです。
布団一枚覆って眠りに入ろうとしたら、老婆が気を使ってくれたのでしょう。「夜は寒くなるから、もう一枚毛布をかけて寝るんだよ」と声をかけてくれたのが、印象的です。こうして、初日を無事終える事が出来ました。

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