2013年5月31日金曜日

ヒマラヤの村第2日目(2) 村が見えた

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左中に小さく見える市場で朝ごはん
さて、今朝は朝から宿で紅茶を飲んだだけでした。道中買い込んだビスケットをかじりながら、ダラを過ぎてダドゥワという分岐点で朝飯を取ることになりました。簡素な市場の最奥に優しそうな顔つきをした青年が子供を抱きかかえています。何か食べるものは?と聞くと、どうぞという感じで店の中にまねかれました。ここも驚きの連続です。棚にビスケットやラーメン、石鹸やローソクの類が並べてある簡単なものです、いわゆる村のコンビニとでもいいましょうか?入り口を入って右側がお店で左側にベッドがあり、簡単なカーテンで仕切ってあります。ほそぼそとラジオが鳴りインドの音楽が流れています。まずは値段を確かめないと、ラーメンは25ルピー、ビスケットは10ルピーそしてお茶が10ルピ-ということで、三点全部注文したわけです。これが主要なトレッキングルートになると標高によってことなりますが、200ルピー以上、すなわち五倍程度に跳ね上がります。

2013年5月30日木曜日

ヒマラヤの村第2日目(1) スルケへの道

PIC_0579さて、昨日は8時過ぎにベッドに潜り込んだので朝6時半までぐっすりと眠ってしまいました。ネパール方式で朝はミルクティーを飲んでおしまいです。それで、宿代と食事代の支払いをしたわけですが、料金は300ルピーです。何しろ寒村そのものですから、もらったお釣りは5ルピー札がびっしりと含まれていました。カトマンズでは1000ルピー札を出しても全くお釣りの問題はありません。数十年前にトレッキングに出かけた時は、事前に100ルピー札を沢山用意しなくてはなりませんでした。近年主要なトレッキング地域では、高額紙幣を出しても何ら不自由なくお釣りを受け取ることができます。当方、この事を忘れて1000ルピー札ばかりが財布に入っていたのです。

2013年5月29日水曜日

ヒマラヤの村第1日目(2) 今日のお宿は

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遠くに見える山がサイルンピーク
さて、バスから降りて数分もしない間に雨がシトシト降り始めました。下車した数人の客はいつの間にか姿を消し、あたりは閑散としています。そんな中一人の老婆が誰かを待っているような出で立ちで立ちすくんでいます。早速彼女に「このあたりに泊まる場所ありますか?」と問うと、「私のところで泊まれるよ」と言います。雨も次第に激しくなり周囲には4軒ほど似通った建物が並んでいるだけです。もう、選択の余地はありません。のこのことその老婆の後について行きました。
もう、それは、バス停の目と鼻の先ほどしか離れていません。天井の低い長屋風の建物に、老夫婦が仲睦まじく囲炉裏を囲んで談笑しています。薄暗くええぇと驚くような建物です。果たしてトイレはどうなってるのだろう。寝室はどうなっているのだろうと不安になってしまうのが常です。しかし、こうなったら、まな板の上の鯉みたいなもので、成り行きに任せるしかありません。

2013年5月28日火曜日

ヒマラヤの村 第1日目(1)悪路は続く

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ラメチャップ方面へのバス
今朝は5時半に起床です。昨日ドンゲ行きのバスを手配しました。料金は365ルピー(約400円)です。切符購入の窓口が何箇所かあるのですが、サインボードは勿論現地語です。マレーシアのバス駅はちゃんと看板があり、どの窓口で購入すれば良いのか誰にでもわかりやすくなっています。特にKLのバスターミナルは、空港のターミナル以上の設備とシステムが備えれれていました。中には、インターネットや電話で予約を済ませて、乗車券を引き換えるだけのカウンターもあります。人々は整然と窓口に並び、係員は手際よくパソコンの端末で発券、購入しています。それに比べると、ここは天国と地獄ぐらいの開きがあるわけです。まずは自分の行きたいバス路線の窓口を探すのに一苦労です。幸いに私の場合は現地語が多少出来、顔つきや容貌も現地人に近いので、難なくクリアです。さて、目的地へのバスは朝6時15分発で一本だけの路線です。係員に聞くと所要時間は6時間。となると多少遅れても現地へは午後1時頃には到着するものとほっとしていました。

2013年5月25日土曜日

ヒマラヤの村 パート3 Himalayan Village Part3


雨季も近くなりました。そろそろカトマンズに帰らなければなりません。
田舎の豊かな暮らしを再発見しました。カトマンズに帰ってから翌日は大雨でした。

ヒマラヤの村パート2 Himalayan Village Part2




ヒマラヤの山村で3日間滞在しました。村の生活はまさしく自然と共生した日々です。
でも、時々インターネットが欲しくなるんですがねぇ

2013年5月24日金曜日

The Village Part1 ヒマラヤの村パート1


先日5日間ほど、ちょっとした冒険をして来ました。ヒマラヤンの山奥に足を踏み入れてみたわけです。バスで8時間、それから歩いて2日かかりて、友人の家を訪問しました。中間山岳地帯のど真ん中に位置した典型的な農村です。標高1850mのスルケという村落で3泊しました。カトマンズで常宿となっているホテル・ハナのボスの実家訪問でした。単独の訪問で様々な体験をする結果になりました。正しく生の体験です。ガイド同行となると、こうした結果は生まないでしょう。谷を下り、川を渡り、また斜面を登りの連続でした。直接村の人々とのふれあいがあり、そこに暮らす人々の現状を知り・・・・。霧もやの立ち込める山道を一人でポツポツ歩きました。行き交う人に必ず道を確かめながらの山旅でした。それが、又人の数が少なく、道を聞くにもしばらく待っていないと人に会えないわけです。もう、雨季の始めに差し掛かっていますから、時々夕立が来ます。地図は持参したつもりですが、新しい道(車が通れる道)がいくつも支線を作っているので、どれが旧道なのかわかりません。そんな中を強行したわけです。幸いに事故や盗難に会うこともなく無事終えることが出来ました。帰路は乗合ジープを利用し22キロの道を進みました。その後ボートで川を渡り、30分歩いてバス停留所までいき・・・・・、バスを二度乗り換えてカトマンズに戻りました。ジープの道は今にも崖から落っこちそうな場所ばかりです。日本の現状とは大きな違いです。そこに住む人々の現状、最近の変化など私なりに、かなり詳しく知ることが出来、課題がもう一つ増えました。多分、日本人で単独でこうしたひなびた村に入り込むケースは稀でしょう。通常のトレッキングコースを歩いて知る村の生活とは大きな違いがありました。全てが鮮明に心に焼き付いています。又ブログを再会して記事を載せる予定でいます。宜しく。

2013年5月16日木曜日

ネパールでの日々

さて、ネパールを訪問し続けて40年が近くなってきました。その間様々な事柄を観察し、感じながら私の人生が進んでいます。例年の恒例となってきたトレッキングも今回はアンナプルナ・ベースキャンプのトレッキングを達成することが出来ました。
その後の私の生活は、風の如く友人達を訪問し、何かしらのアイデアを提供したり、パソコンの秘伝を紹介しったりしています。単にパソコンの使い方を伝授するだけではなく、どのように情報発信をしていくかという点に重点を置いています。旅行代理店風の社員の一人で鳥の専門家のテクさんは、当初ブログには全く関心がなかったのですが、最近、ブログが自分の意見を発する大切なツールであることを発見し、熱中しています。単にブログをどのようにして設定、作成するかのテクニカルなものだけでは、内容を充実することができません。どのような課題に取り組むか、どのような内容にするかは、幅広い知識と教養が必要です。そう言った部分を含めて、共に協議しながら進めている日々です。

machendranath マチェンドラナート




昨日は友人のスレッシュさんの自宅に訪問しました。ちょうど、今日は家の前を山車が通過するとの事で、是非おいで下さいと招待を受けました。夕方4時過ぎにパタンの王宮広場近くに到着です。ちょうど山車が動こうとしている絶好のタイミングです。
このお祭りは雨乞いの祭りとしても知られています。親戚が集まり、お祭りのごちそうをほうばりながら楽しく過ごしています。

2013年5月15日水曜日

ドゥリケル紀行 第2日目

Royal
うわさのロイヤルホテル
昨夜は超アートの世界でした。私は熟睡したのですが、近所の犬が夜中にわんわん泣いていたそうで、坂本さんは少し寝不足気味です。設備はまずまずの宿ですが、ちょと異質な雰囲気なので、今日は宿変えです。昨日から目を着けていたバス停留所近くのロイヤルホテルです。ナワルンガ・ゲストハウスを早々に引き上げてロイヤルに直行しました。部屋はまずまず、クゥイーン・サイズのベッドが2つあって料金は900ルピー。ちょっと高いきがしましたが、観光地ドゥリケルという事を考慮すると、まずまずの価格です。おまけに地球の歩き方にも値段の安い宿として掲載されています。小さいながらも手入れの行き届いた中庭があって、色とりどりの花が咲き誇っています。早速、ガーデンレストランで朝食です。今日はナモブッダに出かける予定で、十分時間があります。ゆるりと食事をした後、バス停留所にむかいました。しかし目的とするバスはまっても待ってもやってきません。近くの雑貨屋に聞くと10時にバスがあるからという事で、それまで待ってみたのですが、全然その気配はありません。時々バスがやってくるのですが、方向が違います。しかも、そのバスは満席で屋根の上にも人がのっています。更に待つこと1時間。これでもバスは到着しません。それにしても、

2013年5月14日火曜日

ドゥリケル紀行 第1日目

さて、今回の坂本夫妻のネパール旅行はゴーキョ方面の旅を予定していました。予定通りだと2週間程度の山行となるのですが、大幅に変更となりました。ABC方面へと切り替わりポカラ観光をすくめて11日間で終わりました。となると余った時間をカトマンズにベッタリいるよりも、何処か他の場所に出かけようということになったのです。候補として上がったのが、ドゥリケルでした。早速実行です。時は丁度ネパールの元旦の日でした。
ドゥリケルはカトマンズから32キロ東にあり、古くからネワール族が住み、ヒマラヤの展望台としても有名な場所で、高級リゾートが並ぶ土地柄です。今回は勿論LCCタイプの旅です。地元のローカルバスと現地の安宿そして現地食が主体となる干場企画です。
常宿となっているフジホテルからカトマンズの近距離バスターミナルへは、細い路地裏をくぐり抜けておよそ20分の距離です。今日は休みの日で市内の渋滞はないものと安心しきっていたのですが、何故かしらバスは大混雑しています。きらびやかな衣装を着飾った人々が乗り込んで、車内はあっと言う間に満杯になりました。この路線は途中サンゲという所に有名なヒンズー寺院があり、初詣に出かける客でごった返しています。見事なくらい車内は日本の通勤電車のラッシュアワー同様ぎゅう詰めになり鼻叫喚の世界と化したのです。事実我々が下車する際も後部の座席に座っていたので、人をかき分けて降りなければなりません。かき分けるといっても、足が中に浮いたまま乗降口まで進まなければなりません。本当にかき分けてたどり着くしか方法がありません。通常1時間半の所要時間は2時間となる混雑ぶりです。

2013年5月12日日曜日

トレッキングの会計

さて、今回のトレッキング、費用は以下の通りです。格安のトレッキングとなっていますが、これは、特殊なケースとえるでしょう。若い人々で自分たちで荷物を担ぎ、トレッキングを行うとなると実費だけで済みます。1日の宿代と食事代等で1日平均1500から2000ルピーという所でしょうか!そこにTIMSカードの取得費用や国立公園、アンナプルナ保護地区の入域料などが加算されます。
一方、代理店を通して、ガイド、ポーターを手配してパッケージの形態を取るとなれば、会社によって、サービスの内容によって異なります。1日平均一人50ドルから80ドル程度と開きがあります。この中間をとって、ガイド兼、ポーターのみを手配一案です。最近はインフレが激しく、ガイドやポーターの料金もアップしました。ガイドの場合は1日15ドルから25ドル程度、ポーターの場合は10ドルから20ドル程度(荷物の量にもよる)が相場になっています。ガイドやポーターの手配は信頼のおける人材を確保することが必至です。街角で時々声がかかり勧誘される場合がありますが、多くの場合はその質に疑問があります。中高年の方々にとっては日本語の出来るガイドのほうが安心感があります。経験豊かな良いガイドをどうやって確保するかが重要な鍵になります。

2013年5月10日金曜日

第11日目 余録ポカラ観光

ラムガート

当初の予定は、ABCとプーンヒルの二箇所を制覇しようという予定でしたが、今回はABCのみで終わってしまいました。となると予定が1日余ってしまいました。日程の調整を兼ねて今日もポカラに滞在です。山から下山すると、懐かしい町の喧騒に遭遇します。あまり長期の間山の中にこもっていると、町の喧騒を懐かしく感じホット安心するのは、やはり現代人だからでしょうか?
残念ながら今日も曇り空です。おかげ様でプーンヒルへのトレッキングを避けた辻褄を合わせることができました。もし朝になって壮大なアンナプルナ連山の景色が目前に現れたらきっと恨みを買うことに間違いありません。ともかく、シャクナゲの林を歩くプーンヒルのコースは二年後に実施することで一見落着となりました。午前中は坂本夫人は読書三昧です。ここアニルモモには日本の文庫本やコミックが沢山あるので、不自由はしません。
我々は半日市内観光の実施です。これは少しばかりユニークで且つ安価なコースです。市内バスで町の中心地にはいり、ぶらぶら歩きラムガートという所に出かけます。町のど真ん中に奇妙な光景が広がっています。砂利採集場を兼ねたセテ川の河畔はのどかな風景が私達を楽しませてくれます。帰りは川を渡り対岸にあるグルンの寺院を回って宿に戻りました。ガイドブックにも載っていない密かな3時間ほどのコースでしたが、ポカラ再発見とも言えるでしょう。

第10日目タダパニからポカラへ 歩行約4時間


昨夜も安眠です。夜早く寝る習慣が身について来ました。当然の事ながら朝も早く目が覚めます。前夜注文したトーストはカリカリ感があって美味しく焼いてありました。しかし今朝も曇り空です。結局は下山コースとなりました。この分ではまだ数日どんよりした天候が続きそうです。鬱蒼としたシャクナゲ林の中をゆるりと下山です。まるで幼少の時代にタイムスリップしたような気分で快適な山行です。この地域の人に名前を訪ねると殆どが***グルンと名前を告げてくれます。所々急な下り坂がありますが、全体としてはゆっくりしたコースで3時間後にはグルン族の里として名高いガンドルック村に到着です。
キムチェの宿で昼食を食べて、出発間際には大事な情報収集です。半分ネパール人の風体をしている私には、何でもスラスラと打ち明けてくれるようで、キムチェからのジープは乗合で現地人は150ルピー、外人は倍の300ルピーと教わりました。ガンドルックから緩やかな石畳の坂が続き1時間もしない間にキムチェに到着です。なるほどジープの溜まり場です。同時に獲物を狙っているハゲタカ集団的な運転手の巣窟です。あれあれいやな予感です。どの運転手に聞いても値段は下がりません。ナヤプールまで貸切で2500ルピーと平気な顔で返事をしています。うううむ。道路の先の方にバスが一台止まっていますが、これは、どうも貸切のようで、一般客は乗せてくれません。仕方なく、半分歩いて下る覚悟で歩き始めました。丁度ガスボンベを沢山積んで、いまや出発しようとするジープに交渉です。価格破壊を防ごうとジープの溜まり場からドライバーがくっついて来て見はっています。

2013年5月9日木曜日

第9日目チョムロンからタダパニへ 歩行約5時間

PIC_0511宿を出発する時に宿の主人に確かめる「とグルジュンまでは比較的平坦で2時間かかります。それからちょっと上り坂になって2時間も登ればタダパニに到着する」と言う話でした。となると朝7時に出発するとお昼ごろには終点のタダパニに到着出来るものと、気分も明るくなってきました。今日も空はどんよりと霞がかかっています。何となく嫌な予感がします。アンナプルナ山群も姿をみせようとはしません。
意気揚々と歩き始めたのですが、すぐに難関が待ち受けていたのです。30分ほどのどかな田園風景を楽しみながら進んでいくと、目の前に急な坂が待ち受けていました。トレッキングの始めの頃は、坂道があっても、元気良く踏破したはずですが、昨日といい、一昨日といい、午前中で目的地に到着していました。どうも帰路となると、体が訛ってしまうようです。こんな険しい登り坂が待ち受けているとは、宿の人に恨みを買っても仕方ありません。ちょっとし

2013年5月7日火曜日

第8日目バンプーからチョムロンへ 歩行時間約4時間


昨日もゆっくりと体を休めることが出来ました。今日はバンプーからチョムロンに向かいます。バンブーからしばらく登り坂が30分ほどありますが、難なくクリアです。その後は上シヌワまでゆっくりとした下りが続きます。所々にシャクナゲの赤い花が心を和ませてくれます。往路に立ち寄った茶店でテータイムをとりました。前回、ここで昼食を取り、出発の際には、小学生ぐらいの子供がお手伝いをしていました。かなりおませな子供で、元気よく「気をつけて行ってね。帰りもここへよってくださいね」とちゃっかり客引きをしてくれました。帰りに立ち寄って時は、その少年は林の中で何かを集めていましたが、我々の姿を見ると「おおお!じっちゃん、帰ってきたんだね。」と元気よく答えてくれました。そんなあどけない姿は、私達を何かしら元気づけてくれるものです。
さて、これからが大変です。上シヌワそして中シヌワを通過して、下シヌワに下り、川を超えてまた登らなければなりません。下ったら、又登るといのは、大変な事です。しかし、避けて通ることはできません。もう、こうなったらゆっくり時間をかけて進むしかありません。道中何人ものグループに追いぬかれながらも、努力の甲斐があって午後の12時過ぎには、無事チャムロンの宿に到着です。チョムロンの一番高い峠に到着した時は心身ともに、軽くなってしまいました。
さて、チョムロンは標高が2000メートルほどあり、日当たりも良く、快適な場所です。しかし、残念な事に今日もアンナプルナ連山の容姿は雲に隠れて私達に姿を見せようとはしませんでした。
ここチョムロンはシャクナゲで山全体が赤く染まってみえるプーンヒルからのルート、グルン族を代表する村カンドルンそして、ABCからの入り口にあたるジヌからの道が交差する場所で数多くの宿があります。競争が厳しいのでしょうか、熱湯シャワーは無料で利用することができます。今までは平屋建てのたてものでしたが、ここでは二階建ても珍しくありません。久しぶりに二階に部屋を取ることにしました。簡易バルコニーが付いていますから、眺めも良く、行き交う人々をただボー然と眺めるのも悪くはありません。夕方6時を過ぎた頃、韓国人の家族連れが通過しました。夕食は韓国製の激辛ラーメンです。今までは、ネパール製のインスタントラーメンを注文していたのですが、ここで見つけた韓国製のラーメンは人気があるようで、途中でみかけた現地のポーターが箱を重ねて運んでいます。どこからともなく、天秤棒を担いた八百屋さんも通過しました。
夕方韓国の家族連れが通過したのですが、子供が高山病の症状になったようで、外人が薬を処方していました。こうして眺めている間に、ボツり、ポツリと客が入り込み、私達を入れて10人ほどになりました。丁度この宿はジヌ方面から登り切った場所にあるので、ちょっと一休み、そして時間が遅くなれは、ここで宿泊という人々もあるようです。実の所、ここから更に5分も歩けば山の斜面に沿って20軒ほどズラリと並んでいるのですが・・・・!
こうして、夜は静寂そのものです。さて明日の行程はどうなることでしょうか?
この橋を超えて又登る
無事登りつめました。



2013年5月6日月曜日

第7日目デオラリからバンプーへ 歩行5時間


嵐が明けて一夜が過ぎました。朝起きてみると辺り一面が真っ白で、大地はツルツル氷が張っていました。いつものように朝食を済ませて出発です。しかし、このツルツルの坂道を下るとなると難関が待ち受けています。まず石段をくだらなければならないのですが、その石段もツルツルで危険一杯の状況です。私はステッキというか、ただの竹の棒しかありません。さて、20分で到着できるはずのヒンク・ケーブへは1時間要しました。ともかく高齢の我々にとっては、ゆっくりと確実に一歩一歩下るしかありません。私は途中で二度転んでしまったのですが、列の最後尾にいたので誰にも気づかれることなく済んだのですが、もし本当に滑落していたら大変な事になったでしょう。この難関の中でガイド役のケダールは13キロ程度の大きな荷物を背負いながらも、軽い足取りでひょうひょいと下っていきます。やはり田舎育ちというか、彼の育った環境はカトマンズ郊外のスンダリジャルという風光明媚な渓谷の近くです。小さい頃から山や谷で遊んですごしていたのでしょうか、天性的なものが身についています。しかし、後日談ですが、本人に聞くと、「あの時は怖かったですよ」と話してくれました。

2013年5月4日土曜日

第6日目MBCからABCそしてデオラリに到着




アンナプルナベースキャンプ
昨夜はかなり冷え込みました。夜目が覚めて外を眺めると星が至近距離にキラキラ光輝いていました。案の定翌朝は真っ青な空に白い峰々が映えて最高の景色を確かめることになったのです。今日の予定は、MBCからABCを往復して下に下る予定です。朝6時半に朝食を準備してもらい、7時には出発です。一応チェックアウトをして荷物は宿に預かってもらうことになりました。さて、請求書を見るとヒーター料金が一人100ルピー加算されています。昨日宿泊したヒマラヤンではヒーター料金は徴収されずに済んでいます。勿論ヒーターも入っていなかったわけです。この近辺の食堂は大きなテーブルの周囲は毛布で覆われています。なるほど昨夜は、ここに足を入れるとほのかに暖かく感じました。ここでは、ガスを利用して熱源をとっています。勿論その分もお客さんから料金をとっています。宿の主人に話を聴くと、この地域は雨季になっっても、真冬になっても少しだけどトレッカーが途切れることがないそうで、オフシーズンには多くの宿が開店休業になりますが、最低一軒は開店しているとの事です。シーズン中特に10月と11月の秋は、毎日ほぼ満室の情況になるそうで、事前に電話で予約を入れないと部屋の確保が難しいようです。部屋が確保出来ない客は止む無く食堂を囲んで四隅に並んだ簡易ベッドを利用することになります。昨日も一昨日もお昼過ぎ或るは、お昼前に宿に到着したので、満室という憂き目に会うことは避けることができました。

2013年5月3日金曜日

第5日目ヒマラヤンからMBC(マチャプチャレ・ベース・キャンプ)へ 歩行4時間



今日の歩行もゆっくりとしたものになりました。夜寝るのが早いので、自然に朝も早く目が覚めます。快食快便の日々が続いています。今日はヒマラヤンからマチャプチャレ・ベース・キャンプへ向かう予定です。いつものように、グルンブレッドで朝食を済ませ7時過ぎには出発です。今朝は真っ青な空を見ながらの山行です。標高をじわじわと上げているのですが、全員高山病の気配は全くありません。昨年のランタン・トレッキングでも病気らしい病気もなく、平穏無事に終えることが出来ました。今回もそうありたいものです。昨日は天候が荒れ、ここヒマラヤンでも雹やあられに見まわれたのです。しかし翌日は快晴で気温もぐっと下がっています。ヒマラヤンを過ぎると次の集落はドバンです。ここでいつものようにお茶の時間をすごしてデオラリに向かいます。ずうっと谷の奥へ進んでいるという実感が沸き上がってきます。このどん詰まりの場所がマチャプチャレ・ベース・キャンプと頭の中で理解していても、現実はそう簡単なものではありません。ともかく一歩一歩確実に近づいていくしかありません。ドバンを過ぎて1時間ほど進むとヒンク・ケーブという場所があります。地名の通り大きな岩が洞穴のように頓挫し絶好の雨宿りの場所ともなっています。さらに20分ほどあるくとデオラリという場所に着きます。ここで、もう一度お茶の時間です。水分の補給を兼ねてのティータイムはトレッキングには欠かす事ができません。

第4日目バンブーからヒマラヤン 歩行約3時間

ドバンから見るマチャプチャレ
さて、昨夜は早く布団に潜り込んだせいか、朝は早く目が覚めました。予定を変更して7時朝食で7時半過ぎの出発です。今回のトレッキングは私にとっても始めてのコースで土地勘がまだつかめていません。ランタン谷は10回以上往復しているので、どこから登りで、どこに石ころがあって、お気に入りの店がどこにあるかなど全て把握していましたから、不自由することは皆無でした。しかし今度は道中に表示してあるコースタイムの看板に目をやり、地元の人々から時間を確かめながら作戦を練る必要があります。どうも、日程上今日はあまり先へ進んでも、翌日の行動があまりにも短くなり時間を持て余すことになり兼ねません。しかも、昨日はちょっとばかし過激な行動で朝8時から夕方4時まで行動でした。まあ、歩いてみてから今日の宿泊地を決めるという事になりました。ここから次の宿のある場所ドバンまで1時間半そして次の中継地なるヒマラヤンまでは更に1時間半の行程です。緩やかな坂道を登りながらの山行も悪くはありません。ジープの終点シワイで貰った竹の杖は、私にとっては、山行の強力な助っ人となりました。ドバンには4軒の宿があり、トレッカーの姿もちらほらです。ここで、ゆっくりとティータイムを過ごし、更に1時間半の行程でヒマラヤンに到着です。さて時間はまだ11時半です。ともかく昼食を取ることにし、先へ進むかどうかは、天候の具合と皆さんの疲れ具合で判断です。このヒマラヤンは二軒しか宿がありませんが、時間帯によっては、上からそして下からくる人々にとって格好な食事場となります。我々が到着した時間帯もかなりの客で賑わっていました。客の中には地元ネパール人のトレッカーの姿も見えます。今までは、トレッカーと言えばイコール外国人とパターンでしたが、最近はネパール人にもトレッキングの人気が出始めたようで20~30年前では想像しがたい事でした。しかしその多くはカトマンズやポカラなど大都会の上流階級の子息達です。我々外国人がトレッキングするには、アンナプルナ自然保護区の許可証とTIMSと呼ばれる許可証の2つが必要となり、その費用だけでも3500ルピー(3500円)の出費を余儀なくされます。ネパールの人は一切費用がかかりません。しかも、山小屋のメニューは前述したようにオーバープライスでガイドの食事や飲み物の分まで含まれています。いわゆる現地価格と外国人価格の二重価格制度で成り立っています。話に聞くとシーズン中(特に10月11月

2013年5月1日水曜日

第3日目 ジヌからバンブー

ジヌからチョムロンの急坂

今日はトレッキング第2日目です。昨日からの雨は上がり爽やかな青空が開けています。山の中腹にポツリとジヌダンダが数軒の宿を抱えて村の景色を形どっています。朝食はグルンブレッドと紅茶の簡単な組み合わせです。グルンブレッドというのは耳に新しく響きますが、昨年のランタントレッキングでは、毎朝チベッタンブレッドと紅茶の組み合わせでした。所が変わると同じローカルブレッドといっても呼称が違ってきます。この地域はグルン族が多く住み、地元製の発酵菌を使わないパンをグルンブレッドと呼んでいます。ランタン方面のブレッドは鉄板で焼いたものですが、ここでは油で揚げたものが供されています。これに、ジャムや蜂蜜を付けて食べるのが毎日の日課となりました。朝食としては丁度良い分量です。昨日はロシアの青年達が夕方5時頃到着しました。彼らはアンナプルナ・ベース・キャンプをその日の朝出発して、ここジヌ・ダンダまで到達したそうです。まさに健脚コースで、丘を超え、谷を渡りかなりの強行軍だったようです。若い彼らならでは、出来ることでしょう。日本とソ連が戦争になったら、彼らにはかなわないかもしれません。