さて、ラージャン氏の勤務する大学を訪問する機会がありました。クチンの郊外に、広大な敷地があります。3キロ×6キロで18平方キロの敷地を専有しての大学は、構内をシャトルバスが巡回するか、自家用車でそれぞれの部署に駆けつけなくてはならないほど、大きな大学です。昔からある大学ですが、8年前から規模の拡大を始め、まだ所々増築中です。彼が所属するのは、コンピューターサイエンスという事になっています。生まれはマレー半島のケダー州のアロースターです。典型的なインド系マレー人なのですが、英国へも留学して学位を取りました。今は政府の派遣で、ここサラワク州で教鞭の職を得ているわけです。この校舎の建築には日本政府も一部援助しているそうです。学生数が8000人というマンモス大学になりつつあります。昔からある旧校舎も見学です。こちらは、規模も小さく、木造平屋建ての校舎で落ち着いた感じがするのですが、学生数の増加で今は使われていないそうです。
このサラワク州がマレーシア連邦に加入したのが1963年ですから、それまでは英国の植民地だったわけです。そうした事情もあって、マレー半島のマレーシアとは異なった雰囲気があります。この地域は格別な産業もなく、密林に覆われた地域です。材木の輸出やパーム椰子のプランテーションなどが主要な産業でしょう。他にサラワク州の北部には原油が産出されることが、この地域を豊かに見せているのかも知れません。隣接するインドネシアからの出稼ぎも多く見受けます。同じ東マレーシアでもサバ州はフィリピンからの出稼ぎが多いのと対比すると当然ということになるでしょう。しかし、この地域は現在の状況では、これといった工業地域があるわけでもなく、のんびりとした土地といえるでしょう。そんな事情を背景に、この地域の土着の人々はマレー半島部へ出稼ぎにいくという奇妙な事象が発生しています。これも、当然の事かもしれません。
確かに、ここクチンの空気は今まで見てきたマレーシアの街とは異なります。この街での回教徒の人口は30から40%ということで、大半がキリスト教徒というのも異色の存在です。しかも、この街の大半を占める中国系住民にもキリスト教徒が多いとの事です。マレー半島部では、ペナンは中国人の街とも言われますが、街から村に行くと、たちまちにしてイスラム教徒の集落になるのが一般的です。マラッカでも、中心部は中国系住民が多いけど、村々は回教徒で占められています。しかし、ここでは村々へ行ったにしても、キリスト教徒が大半を占めるという状況になっているのです。
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