さあて、アレッピーからのんびりと2時間半かけてのクルーズはローカル色たっぷりで水郷の旅を満喫しました。いつもだと、船が到着するとタクシーの代用をしている軽三輪車(別名オートと呼ばれる)が待ち構えているのですが、今回は、一台も動いていません。翌日の新聞でわかったのですが、昨日はオートの組合が運賃値上げ認可を求めてストライキをしていたようです。幸いに船着場から、市内バスを拾ってバス駅に到着です。今回は初めて女性の車掌さんに遭遇しました。インドでは珍しいことです。最近女性の職場が増えたとは聞いていますが、車掌さんにも女性がいるようになったわけです。西洋との交流の歴史が深いケララ州ならではかもしれません。確かに、この州はインド国内でもヒンズー教徒が65%キリスト教徒が15%、イスラム教徒が15%その他5%という異色の構成です。様々な文化が古くから日常生活に影響を及びしています。垢抜けたスーパーマーケット形式の店舗は中規模の都市には必ずあり、繁盛しています。店内がこうこうと明るいケンタッキーフライドチキンに似た店も見かけました。最近目につくのは、アラブマネーで潤った人々の寄進によるモスク(回教寺院)の林立です。真新しい、優雅なデザインのモスクが主要街道にそってその勇姿をとどめているのは圧巻といえるでしょう。
さて、本題に戻りましょう。コータヤムからクムリという標高1000メートルの高原の街はバスで120キロの距離を4時間で走行します。最後の一時間は奥深い山の中を走ります。終点が近くなると紅茶畑も広がり、心を和ませてくれるのです。さて、バスは4時半過ぎに無事到着しました。何となく肌寒い気候です。そんな中を早速宿探しです。所が悪い予感が的中です。どの宿も満杯。安宿も高い宿も断られてしまいました。さて、次の町まで行って宿を探そうか、どうしたらよかろうと思案にくれている中、EVEREST GARDEN GUEST HOUSEというサインボードが目に入りました。最後の砦かなぁという瀕死の覚悟で、声をかけてみると、部屋があるという事です。しかも料金は250ルピーで良いからということです。オーナーのJALEELはちょっと小太りで陽気な性格で、片言の日本語を話します。私も応酬してタミル語で対応です。何となく意気投合です。さて、さて、お部屋を拝見すると、何かがオカシイ!いわゆる三階部分で眺めは良いのですが、窓の鍵が掛からないわけです。主人は大丈夫、問題ないからお泊りくださいと言っています。鍵が壊れているので、スライド式の窓は自由自在に外から開閉することが出来ます。まあ話は即決しなくて良かった、まだ支払いもしなくて良かったという事です。うううん、これではどうしようもありません。主人は今度は自宅の一室を紹介してくれました。ここなら鍵は掛かります。先に宿泊していたお兄さん(一人客)に頼んで、鍵はかかるけど、窓ガラスが自由に開閉する部屋に変わってくれませんかと、主人が頼みこみました。しかし、先客も、その部屋を見に行って部屋を代わる事を拒否したようです。まあ、そうこうしている間に一時間半経過、周囲も真っ暗になりました。今から、またバスに乗って2時間ばかり移動して宿探しも大変です。そんな中で、突然二人組の客がチェックアウトしました。間一髪で、鍵もかかる安全な部屋をゲットできそうです。すかさず、我々はその部屋に移動し、難なく一夜を過ごすことになりました。まさしく危機的状態での幸運でした。でも、翌朝になると部屋の一部が水浸し。どうも、この部屋は排水が悪いようです。雇われている爺ちゃんが一生懸命麻製のマットで水を吸い取っていました。夜はさほど気にならなかったのですが・・・。まあ朝も、近くの食堂で朝食を済ませてそうそうに出発しました。この場所も巡礼団のたむろする場所の一つです。しかも明日は山ほど人が来るということです。更にフラワーショーも開催されるという二重の混雑が災いしていたようです。クリスマスから年末、年始にかけての南インドの旅は過大なリスクを伴うものです。皆さんご用心ください。正月明け五日過ぎからは次第に人出が減っていくとの事です。そして、この宿探しの苦労は翌日30日も続くハメになりました。
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