2017年11月28日火曜日

スマトラ紀行(17)パヤクンブ工科大学

大学前にある学生募集の看板
今日が授業第二日目ですが、昨日同様ラムジルさんの手を借りることになりました。毎朝7時半頃には眼が覚めるのですが、8時頃になると、部屋の前にコーヒーが、時には紅茶が届いています。これは、大学内で雑用係をしている家族が毎朝届ける事になっています。ベランダに出て、田園光景を眺めながらのモーニングティーは格別美味しく感じます。それで、8時頃には学生食堂が開店しますから、それをめがけて朝食タイムです。朝食といっても、春巻きみたいなもの2つとコーヒーで十分ですが、その料金が又格安で4,000ルピア=35円です。昼食と夕食も、ここで注文するのですが、鶏唐揚げとご飯(野菜が少々)のセットで70円でお釣りが来る世界です。話には、聞いていましたが、物価が安いのには、感激、驚きです。そして部屋代も必要ないわけですから、一日の予算は500円で十分収まります。いやはや、これだと居心地が良くてたまりません。

2017年11月27日月曜日

スマトラ紀行(16) 授業開始第一日目

記念撮影
さて、この大学でIT技術を学んだ卒業生の中に、ネットワーク管理者として仕事をしているラムジルさんがいます。年齡は28歳で結婚して3年目になるそうです。可愛いお嫁さんで、大学の前に小さな屋台を作っています。すごく陽気で、明るい性格ですが、矢張り、この地域独特の空気があり、いつもお嫁さんに敷かれているという感じが随所で見受けます。しかし、この青年は頭が良さそうです。「今日から授業するんだけどさぁ、どうすればいいかなぁ」と相談を持ちかけました。コンピュータに関して色々と話をしていく間に、彼の実力も知ることができました。それで、インターネット(WIFI)の利用のために、早速私専用のIDとパスワードを設定してくれました。なるほど手際が良く、すいすいと事が運んでいます。彼は頼りになりそうです。英語はどうも怪しげな部分がありますが、お互いに専門的な内容については、ちょっと話せば、大概は意味が通じるものです。そんなわけで、彼をおだてて、授業の応援を依頼することになりました。毎日4時から2時間の授業が始まります。私が作成したパワーポイントの第一日目の教材を26台のパソコンに埋め込むことになりました。これも30分ほどの間に終了です。

2017年11月26日日曜日

スマトラ紀行(15)パヤクンブ

パヤクンブ散策
西スマトラ州第二の都市で人口12万人が住み、現地語の意味としては草深い沼地の意味を持っています。インドネシアでも有数の清潔な都市として有名だそうですが、実感としては、まだまだ随所にゴミが散らかっています。付近にはハラオ渓谷など景勝地があります。そんな田

           拡大して地図と画像を閲覧する。
舎町をブラブラと散歩してみました。郵便局は立派なミナン建築で天にそびえるかのような放物線状の屋根が見事です。既存の郵便局や政府庁舎などは、こうした建築様式を保っています。最近はセメント作りですが、デザインは伝統様式をしっかりと保っています。今でも町には馬車が走り主要な交通機関となっています。しかし、最近はどの家庭でもバイクが必需品となり、これが重要な交通機関となり、以前走っていた市内循環の乗り合い

スマトラ紀行(14) 再びパヤクンブへ

竹祭り開会式
サルマンのバイクに揺られておよそ1時間で、アストゥティ女史と約束していた竹祭り開催会場に到着しました。いわゆるパヤクンブ市の公会堂のような場所です。屋外ステージがあって、そこで開催式が始まったばかりです。市長を始め、そうそうたるメンバーが一同に介している中を、アストゥティ女史は紹介してくれます。何がなんだかわからないまま、とりあえずにこにこと握手を交わすという一般的な光景が始まります。始めはボス達の開催の祝辞が長々と続くのは、いずこの国でも同じことでしょう。テーブルには、現地の伝統的な食べ物が並んでいます。所で、この市長さんは日本へ七回も出かけたことがあるそうで、とても親日的な方です。他にも日本へ商売に出かけたことがある人など日本とインドネシアの近さを改めて実感します。そして最後は竹筒を叩いて、開催のを伝えることになるのですが、当方もステージに立つ羽目になりました。「第一回の竹祭りが成功裏に終わりますように」

2017年11月25日土曜日

スマトラ紀行(13)ファーリ少年

ファーリ少年の事
始めての絵
このクリーニング店は、三人の従業員を抱えています。一人はこの地方の田舎の娘でジャカルタで働いた事もあるという女性、そしてもう一人は、この建物と同じブロックに住む夫婦の奥さん。そしてクリーニング店の裏側に住まいがある女性がパートタイムで忙しい時に応援来てくれます。この奥さんは、まさしく働き者で、陽気な性格です。旦那はバス会社の客案内係として働いています。奥さんは、色々な仕事を経験しています。メイドさんとして働いたこともあったそうです。しかし学歴が低いので、給料の良いところへは就職は出来ません。幸いにちょうど良い場所が見つかったものです。サルマンも彼女の事を気に入って信頼しています。
5日後の絵
先日は数日間実家の父親が病気だったので、急遽実家に帰っていたので私が到着した時には会うことができませんでした。成る程実直そうな人柄です。そして小学校一年生のファーリという一人息子も一緒です。このファーリ君はなかなか可愛い少年で、はにかみ屋ですが、挨拶を交わしてしばらくしてから、私のパソコン(タッチパネル方式)で絵を描く練習をすることになりました。
いや、結構頭脳明晰な子です。簡単に使い方を教えると、少しづつ描きはじめました。直ぐに要領を覚えて、山を書いたり、雲をか

2017年11月24日金曜日

スマトラ紀行(12)ブキッテンギ

中央郵便局
今日のブキッテンギも曇り空です。時々晴れ間があるのですが赤道が近い場所ですから常に乱気流が舞舞しているのでしょう。SIMカードをいれましたから、これでネットが出来るわけです。料金は35000ルピアですから日本円に換算すると300円程度です。
Masdarさんからは熱烈なコメントが寄せられています。果たして今回のパソコン教室はどうなることでしょうか!
何を教えれば良いか、色々と調べなければなりません。いやぶっつけ本番になりそうです。
それにしてもサルマンは私の人生にとって忘れがたき人物です。今も昔もあのおっとりと
通りかかった小学校の鼓笛隊の練習
した態度は変わりません。しかし心の中にはしっかりとした信念をいだきながら生活しています。今までに様々な困難があったでしょう。精神的には優れているのですが、数字とか科学的な能力が低いので器用に世間を渡り歩くという事は苦手なようです。まあ良くここまでやってきたと思います。。
幸いにサルマンの店は商売繁盛の方向に進んでいます。うまく舵取りをしなければならないでしょう。日本で言うと掘っ建て小屋みたいな洗濯屋ですが、少しづつ大きくしていくでしょう。私の教えた言葉の幾つかを実践してくれる所が又嬉しいものです。

2017年11月23日木曜日

スマトラ紀行(11)サルマンの日々


鶏唐揚げ定食(80円)
サルマンの生活も大変なようです。この地域の習慣として女系家族で悩んでいます。妻の方が実権が強いので今の彼には何をすることも出来ません。よくここまで人生を送ったものです。日本的に考えると情けない部分があります。正直言うと愕然としてしまいます。はるか遠くから訪問したはずですが、安宿に篭り、本人も自分の不甲斐なさを反省せざるを得ないのが現状です。今私の家では、妻の方が80%私が20%ほどしか実権がないんですよ。でも、これから少しづづ改善していきたいと思うんだけど!このウエスト・スマトラ州はミナン族が住む地域で、伝統的な女系家族を構成しています。財産相続権は娘に引き継がれますから、当然の事ながら女性の権力が強くなります。
80円均一の食堂
いわゆる、この地域の男性はすべて婿入りしていることになります。ちなみに、サルマンの兄弟の中で兄の家では旦那が4割ほど力があり、彼の妻の方がまだ実権が強いとの事です。弟のヤントの家では半々だとか。そう言えば、アストゥティ女史の動きを観察すると、いつも旦那が奥さんの言うとおりに車で迎えに来たり。送ったりしています。STTPの守衛アントーさんやパソコン技師のラムジルさんの様子を見ていると、どうも奥さんには頭があがらないという状況が見えて来ます。

2017年11月22日水曜日

スマトラ紀行(10)パヤクンブ工科大学へ



二人用レインコート
ブキッテンギからは凡そ1時間の距離にSTTPがあります。ここへは、サルマンがしっかりと導いてくれました。モーターバイクの後ろに乗っけてもらい定刻1時に到着したのです。しかし、雨季特有の空でどんよりとしています。走っている間に少しばかり小粒の雨が降り始めたので、一時停止で、レインコート装着です。何しろこのレインコートは一着で二人分の役割をしてくれます。ちょっとばかし大きめで頭を出す場所が二箇所あり同乗者も頭を出せば良いという単純なものですが、これがインドネシアらしき服装!です。現地の人々は慣れっこですから、少しぐらい雨が降っても平気で走っています。概して雨は30分ほど待てば、小雨になるか、止んでしまうのです。こうして、丁度約束の1時に到着することが出来ました。
工科大学
ここは、意外と小さな学校ですが、学生達の目は明るく輝いています。今日はSTTを訪問しました。STTとはインドネシアの高等工科大学とでも位置づけましょうか。ブキッテンギから40キロほど離れた街にある大学です。今日は驚きの日でもありました。4年前に関空からクアラルンプールに向かう飛行機の中でちょうど隣の席に座っていたインドネシア女史と知り合うことになりました。何か日本で学会があって数人のグループで訪日していた帰路が運命の出会いと

2017年11月21日火曜日

スマトラ紀行(9)ブキッテンギ到着

開店二年目を迎える洗濯屋さん
今日は朝9時過ぎにブキッテンギの近くに到着しました。出発時には「15時間走るけど1時間ほど休憩するから全部で16時間だよ。明日の10時が到着予定」と聞いていました。ブキッテンギらしい光景が近づいた所でバスは朝食の時間となり30分ほど休憩です。スマホで見ると後10分も走れば目的地のブキッテンギのバス駅なはずですが、急いでも仕方ありません。何しろ、このバスは終点がパダンですから、ブキッテンギからは、まだ2時間以上かかります。
私がこの街に始めて足を踏み入れたのが25年前です。マレーシアのペナンからフェリーでメダンのベラワン港にはいり、ブラスタギ、パングルランそしてパラバットを経由してブキッテンギに入りました。当時はインターネットもなく、地球の歩き方やロンリープラネットなどのガイドブックも普及もない時代でした。それでも何かしのガイドブック(安宿情報)や宿に備え付けてある旅のノート、そして口コミの等が有力な情報収集の手段でした。何かのガイドブックに記載されていた安宿にガンガ・ホテルという名称の安宿が街の

2017年11月20日月曜日

スマトラ紀行(8)ブキッテンギへ

ALSの事務所ではバスの出発は18時だから予定の30分前までにバス駅に到着するように説明を受けました。宿のチェックアウトは12時になっています。ギリギリの時間まで粘ってチェックアウトです。30メートルほど離れたところには、ちょっと小奇麗な喫茶店兼食堂があります。価格表示もあり、安心です。スマトラはコーヒーの栽培が有名ですから、人々は一般的にコーヒーを好みます。と言ってもインドのようにミルクを入れるのではなく、ブラックで砂糖を入れたものを飲んでいますが、これがもうむちゃくちゃ濃いのです。それで、タバコをプカプカさせるのが、あたかも身だしなみという風潮です。もう、街のあちこちに吸い殻が散らばっています。世界全体が灰皿の社会で、誰も遠慮することなく吸い殻をポイポイと捨てています。日本や西欧社会のような禁煙化しつつある社会とは大きく事情が異なります。
ともかくバスの出発まで6時間もあります。この喫茶店はWIFIもあり落ち着ける場所です。昼ごはんを食べ、コーヒーを飲んでいるとあっと言う間に2時間経過です。さて、この喫茶店の主人やスタッフの昼食の時間です。私が日本人だと知っていたので、ご飯を一緒に食べませんか?と誘いを受けましたが、残念、今食べたばかりですからねぇ。なるほど、親切な人々も沢山います。
トバ湖周辺はキリスト教徒が多いので、アルコールの規制もゆるいようです。ここでは、キリスト教徒が大半でイスラム教徒が少数化という背景があります。やたらと目に入るのが教会です。
ご飯とお茶で時間を潰してもまだバス駅に向かうのは早すぎます。7キロの荷物を抱えながら、ブラブラと市内を散策です。どこにいても湖が見えるので大満足です。そうこうしている間に、そろそろ駅に向かう時間となりました。
メダンとパダンを結ぶバス
18時発のバスは予定よりも5分早く到着しました。図体の大きなメルセデスベンツの大型バスは5時55分に到着し、私を含めて二人の乗客を乗せて出発です。さて、今から16時間のバスの旅が始まります。マレーシアの場合は贅沢で3列席の配置ですが、ここでは2人と2人の4人がけが一列にならぶバスです。もう既に座席は満席の状態です。幾つかの空席を残したままの出発となりました。座席は意外と座り心地が良く、これならぐっすり眠れそうです。車内は音楽がガンガン鳴り響き、後ろの方からタバコの匂いとトイレの匂いが立ち込めています。日本の高速バスのイメージとはかけ離れた存在です。ああ、こんな環境の中で16時間も過ごすとなると、ちょっとビビリます。しかし9時を過ぎると音楽は消滅でやれやれ一安心です。道中7時頃は夕食タイムとかでバスは

2017年11月19日日曜日

スマトラ紀行(7)サモシール島半周

パラバットへの船乗り場
今日も少し緊張の日でした。昔の面影はまだ残っていますが、今一つ要領を得ません。10時20分ごろのバスでTOMOKに向かいました。40キロありますから約1時間要しました。その後は船がすぐ出発です。12時の出港で30分後にはパラバット到着です。
今日も宿探しです。大体このあたりの相場は150,000ルピアですが、値切って100,000ルピアに決定です。このあたりの宿の仕組みは宿帳を書く必要もなく、金を払って鍵をもらうだけです。のんびりしすぎの傾向です。昨日の宿も今日の宿も日中はひっそりとしていて、宿の管理人を探すのが一苦労です。待つこと30分ようやくやって来ました。150,000を値切って100,000に成立です。
Garminへジャンプ

立ち寄ったお店の人がとても親切で、タバコを購入して、安い宿ないですかと訪ねたら、向かいの宿は10万ルピアでOKなはずですよと進めてくれました。それで、出かけたものの誰もいません。近所の人に探してもらうも拉致があきません。待つこと30分バイクで従業員が戻ってきました。部屋はあるけど掃除が終わっていないから、向かいの店でお茶でも飲んで待っていてくださいとの事です。
詳細な地図と画像はここをクリックすると閲覧出来ます。

待つこと30分ようやく準備完了です。トイレ付きの部屋でまずまずの感じ。でも昨日のバングルーランの宿がもっと気持ちよかったですね。広い庭があって、もう一泊しても良さそうな宿でした。しかしここでもネットはありません。こうして比較するとSIBAYAKが優マークでした。

2017年11月18日土曜日

スマトラ紀行2017(5) バングルーランへの道

ブラスタギからパングルラン
今日も少しエキサイティングな日でした。朝食を済ませてバス乗り場に向かい問い合わせると後30分ほどでバスが来るとの事でした。早速宿でチェックアウトを済ませて、宿の人にも料金の確認を行うと、同じ料金で65000ルピアでした。これはおよそ5ドルです。いやはや、すごいオンボロ乗り合いワゴンです。ドアは壊れているので、素人では容易に開け閉めできません。窓を閉めるには、ダッシュボードにあるスパナを利用して開閉することになります。時速40キロ程度しか出していないのに矢鱈と轟音を立てて走ります。運転手はチェーンスモーカーで、矢次早にタバコを更かしながらハンドルを握っています。すぐに追い越しをかけるのが気にかかりますが、彼らにとっては当たり前なるようです。

2017年11月17日金曜日

スマトラ紀行2017(4)シバヤク登山

シバヤク山
今日は登山です。乗り合いバスで終点まででかけ歩き始めました。時刻は10時過ぎです。殆ど通る人のない閑散とした林道みたいな所を1時間歩くと、見えたのが料金所でした。ここで係員というか見張りが二人入場券を販売していました。料金は1万ルピアですから、およそ90円です。私が日本人だとわかると愛想も良く、色々と注意をしてくれました。昨年日本人で山田さんとかが足を滑らせて落っこちたそうで、危険な場所に近づかないようにとアドバイスをもらいました。さて、次第に話の内容が怪しくなり、下ネタに充満してきました。「同僚は植物から精製した精力剤を作っているんだけど、すごく効くんですよぉ!いかがかな?」と話かけてきます。腹切りやサムライの話もでましたが・・・
(ここをクリックすると画像と地図を同期させたものが閲覧出来ます。)

2017年11月16日木曜日

スマトラ紀行2017(3)グンダリンの丘

グンダリンから眺めるシナブン山
今日は、一日中街を散歩しました。郊外の丘にも出かけてみましたが、結構眺めがよいのです。食べ物や物価の感覚にも慣れてきました。少しばかり落ち着いてきました。3日ほど前と1週間前には地震があったそうです。何しろ火山を控えた街ですからね。すぐ近くのグンダリンという丘にでかけました。


詳しくは、ここをクリックすれば地図と画像を閲覧出来ます。

快適な宿も見つかりました。現地の物価にも少し慣れてきました。昨日は久しぶりのインドネシアで多少緊張していましたが、今日からはゆったりモードです。しかも、地方の小さな田舎町に移動しましたから、過ごしやすさが違います。冷房も必要なく、ちょっと水シャワーが厳しいかなぁという所です。宿のスタッフも温厚な笑顔を見せています。インドネシアというと、危ないとか治安が良くないとか、騙されるという言葉に連想されますが、こうしてゆっくりと眺めると良さが滲み出て来ます。

2017年11月15日水曜日

スマトラ紀行2017(2)ブラスタギへ

ブラスタギ町から見るシバヤク山
メダンから60キロほど南へくと、ブラスタギという小さな町があります。メダンから近いこともあり、標高1000メートルほどありますから、絶好の避暑地です。この地域は火山も多く、時には噴火に見舞われることもあります。今回はそうした兆候もなさそうです。さて、ここへ行くには、バスバスのりばに向かわなければなりません。インドネシアの場合バス乗り場は行き先によって、会社によってバラバラですから、幾つもバス乗り場があります。メダンでは大きなバスセンターとしてアンプラスとピナンバリスという2つがありますが、その他多くのバス乗り場があります。バス乗り場に向かうには、乗り合いミニバンで行くことが出来るのですが、ルートが複雑で始めての人には使い勝ってが難しいので大変です。比較的利用しやすいのが、バイクタクシーです。
さて、宿の主人からバイクタクシーをお願いしたら、登場したのがインド系のお兄さんでした。しかし残念な事にインドの言葉を話すことができません。両替のお店にいったらインド系のお姉さんが応対してくれました。彼女に聞いてみましたが、彼女もインドの言葉は話せないそうです。ここがマレーシアとインドネシアの大きな違いでしょう。マレーシアでは公用語として英語、中国語、マレー語そしてタミル語が使われています。インドネシアの場合、インド系住民の数は相対的に極めて少ないからでしょう。この地区は別名インド街と呼ばれているようで、よくインド系の顔を見かけます。運転手もそんな一人なのでしょう。さて、事前の話で8000ルピアでしたが、当の本人は場所を良く飲み込めていなかったようです。宿の主人の説明してくれた地図と方向は似ているのですが、バス会社(SINABUNG JAYA)は見当たりません。本人は電話で連絡しようにもSIMカードの残高が不足しているようで、急遽立ち寄って補充です。それから今利用しているオンラインのバイクタクシーの本部に場所を確かめています。どうも、当初考えていた場所より、かなり先のようで、8000ルピアでは無理で12000ルピアになるのを了解してほしいということでした。
 詳細は、ここをクリックしてください。Garminのサイトに移動します。

2017年11月14日火曜日

スマトラ紀行2017(1)メダン到着

メダン中心地にあるヒンズー寺院
今日はあっけなくメダンに入りました。新しくなったメダンの空港は、かなり設備も良く快適です。入国審査もパスポートを見せるだけで、帰りの切符を提示して指紋採取で一ヶ月のスタンプをもらいました。今朝はマラッカの宿の主人がバス停まで送ってくれました。小雨の降る中でしたが、車で行くと10分もかかりません。バスは10分ほど定刻より遅れて到着くです。マラッカ・セントラルバス駅から、空港へのバスに乗り込んだものの、切符の検査があるわけでもなく、間違って乗ってもわかりません。不思議な世界です。8時半過ぎのバスは10時半過ぎに無事KULIA2に到着です。ここで昼飯としてカップラーメンを食べて過ごしました。