2012年11月15日木曜日

マレー紀行 番外編(Puchong)

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プチョンの教育センター
さて、楽しかったマレーシアの旅は10月30日の深夜で終結しました。数多くの思い出が皆さんの心にしっかりと刻まれた事と思います。AIR ASIAの羽田発KULの便は2時間8分の遅れで先発隊の坂本さんのグループがKLに到着となりました。6時半到着が8時半になり、羽田で待たされたそうです。そして、二週間後エアーアジアから一通のメイルが届きました。いわゆる遅延お詫び金とでも申しましょうか、一人あたり3500円分の当社のご利用券を進呈するという内容です。早速坂本さんと連絡をとり、手続きに入りました。エアーアジアは即返信が届きます。かくして87.5ドル分のクーポンをゲットです。まあ、このクーポンは三ヶ月以内にご利用くださいとのこと、新規予約として友人の名前も使えるとの事です。三ヶ月以降の予約を入れることも可能。至れり尽くせりの対応です。一般的に通常の飛行機会社が二時間以上遅れるとなれば食事を一度提供、6時間遅れると休憩用の部屋と食事を、そしてもっと遅れるならばホテルへの送迎と宿泊食事を提供というのが通説です。ずっと昔の話ですが、バングラデッシュの空港で、当日は半日ゼネストとかで出発が2時間以上遅れました。その際、係員に強引に話をつけたら、チキンカツレツが登場しましたね。待っている客の中では、私達だけが、特大の草鞋のようなチキンカツ定食をほおばった記憶があります。また空港についたものの、今日は飛ばないというのがバンコクで数度ありました。こういった場合は宿を手配し、食事(バイキング)を提供
してもらい、一日遅れで帰国した覚えもあります。ネパールの飛行機が遅れて出発した時は空港内で簡単なスナックとジュース一本しか出なかったことも記憶にあります。
こうして比較するとAIR ASIAの対応はよくしたものと思います。しかも素早い対応で、申請をしてから3日目には、もうクーポン券が発行されていました。お陰で当方は無料航空券をゲットさせて頂いたわけです。皆さんも時々、こうした事件に遭遇するかもしれません。今の所英文で書類が届き、英文で返信しなければ行けません。多少の英語力があれば大丈夫でしょう。ようするに、メンバーの会員番号、遅れた便の予約番号と搭乗者氏名を伝えることで、自動的にクーポンが発行される仕組みです。新しい予約をするとクレジットという項目があり、(カードの意味ではありません)その中に金額が記載されています。不足分はクレジットカード決済になるわけです。
話は余談となりましたが、本題に戻しましょう。友人を見送ってからマレーシアに出稼ぎに来ているミャンマーの友人を訪問することになりました。チャイナタウンからバスで30分ほどの距離にあるプチョンという地区です。出かけてみると以外と簡単バス停留所のすぐ近くに仲間7人と共同でアパートを借りて住んでいます。2DK という感じでしょうか、ここに総勢7人が寝起きしています。しかも皆ラカイン(ミャンマー西部の州)からの出身で仏教徒です。時々話には聞いているのですが、こうした外国人労働者の様子を実際に触れるのは初めてです。昨日までは、エアコン完備、バス・トイレ付きでちょっと贅沢をしていた日々とは反転します。床にマットをしいて雑魚寝そのものです。それにしても、こに長く住んでいるのに、彼らには家財道具らしきものは見当たりません。しかし、誰もが持っているのは携帯電話です。食事は殆ど外食をするようで、お湯を沸かしたり、買って来た弁当を広げて食べるための和式の脚の短い机・・・。そういったものしか見当たりません。それでも何不自由なく暮らしているようです。彼はレストランのウェイターとして夕方2時から深夜の1時頃まで勤務です。日当は一日1000円程度と話していました。まあ、その中で食事代や部屋代を払うと余裕は殆どないのかもしれません。ともかく彼らの仲間に入って二晩過ごすことになりました。この地区にはミャンマー系の人々が多く、彼にとっては顔見知りも多いようです。別なビルの上階にはひっそりと仏教寺院があり、仏像が飾ってあります。しかし、この地域では外から見えないようにしなければならないという規則があるそうで、通りに面した看板も見当たりません。
ミャンマー西部のラカイン州(アラカンとも言う)は隣にバングラデッシュを接し、昔からイスラム教徒と仏教徒が対立しあう地域です。最近になって、この地域に暴動があり非常事態が宣言され緊張が高まっています。また、この同じミャンマーのラカイン州からの人々の支援を続ける組織も活動しています。夕食時にそのラカイン協会を訪問したのですが、大勢の青年達が食事を囲む時間帯でした。また、この地域に住むラカインの人々の子どもたちを預かり、初歩の教育を提供している学校も訪問しました。これもビルの3回を2ブロック借りきって全生徒50人ほどを全寮制で保護しています。国籍がマレーシア人ではなく、貧困層であれば、この国では教育を受ける機会は絶望的です。幼い頃から両親の影響を受け自分たちの言葉(ラカイン語)で育っていますから、マレー語は殆ど理解することが出来ず街に出ると盲同然となってしまいます。両親は共働きで子供達の面倒を見ることが出来ず、時々面会に来るとの事。そんな時には、子どもたちは嬉しそうなのですが、その後は一緒に家に帰りたいとだだをこねるケースもあるとの事でした。
この事は日本でも似たような状況が発生しているでしょう。ブラジルから日本にで稼ぎにきた人々の子どもたちや、その他の国から出稼ぎに来た人々の家庭では一般的に日本語よりも、両親の言語が優先されて利用されています。そうした事でたとえ、日本の学校に入学が許可されたとしても、学力についていけないケースも多くあるようです。そうした状況を背景に各種のNGOやNPOが彼らを援助しているのが実情です。ここマレーシアでも同様な状況を見ることができました。

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